先日の台風でチリが吹っ飛ばされて、
空が綺麗になったような、気がします。
台風が上陸していて見られなかった9月30日の月って、
満月だったんですよね。
次の日の10月1日、いつものように仕事の後に歩いて帰宅していると、
東の空から真ん丸お月様が出始めました。
「そういえば昨日満月だったんだよね~。今日もほぼ満月!綺麗だなぁ~ ♪ 」
と、歩きつつも、ほぼ満月をずっと見ていました。
わざと東の方向に歩くように方角を変えて、
飽きもせずにずっと見ていました。
その10月1日のほぼ満月。
とーっても綺麗だったんですよね!
「こんな時に月食になればいいのになぁ・・・」
と都合の良いことを言ってみたり(笑)。
大きく見えたような気もしたんですが、
スーパームーン(14%大きく見えるらしい)ほどではない。
にしても「今日はやけに明るいなぁ!」と何度も思うくらい、
月の明るさに驚いていました。
東の方向に歩いていた場所は、
ちょっとした小さな港(と言っても海沿いではない港、船がいっぱいある)なので、
水面に月明かりがとっても綺麗に反射していました。
月明かりといえば。
最近ずっと私は時代小説を読んでいます。
殆どが戦国~江戸時代なので、当然電気がありません。
となると、頼りになるのが「月明かり」なのです。
皆さんは、石川数正(いしかわかずまさ)という武将をご存知でしょうか。
石川数正は、徳川家康の父の代から仕えていて、石川家は松平家の譜代の家臣だった家です。
その石川数正がある夜、徳川家康の下を出奔(しゅっぽん)しました。
出奔とは、主人の家を出ることです。
この出奔した夜が、満月の夜だったそうなのです。
電気が無い当時の夜の明かりといえば、この月明かりか松明(たいまつ)、
せいぜいが提灯の明かりです。
この場合は主人を裏切っての家出ですから、
提灯や松明を使うわけにはいきません。
他の人にバレずに夜逃げしなければいけないので、
石川数正は満月の夜を選んだそうなのです。
っていうのを皆さんに頭に入れていただいて(笑)、
私は今回のとても明るいほぼ満月を見つめていた時に思ったわけですよ。
「石川数正もこの月明かりの時に出奔したんだなぁ・・・」って。
人の心はわからないし、時代を経て今の私にはわかるはずもないのですが、
この月明かりを頼りに、石川数正はどんな思いで三河の地を出て行ったのか。
7月下旬の旅行で徳川家康生誕の城・岡崎城に行きましたが、
譜代の臣・石川数正に関することは一切書いてありませんでした。
そりゃそうですよね、出奔してしまったんですもの。
岡崎城で色々な展示を見ていて、
「やっぱり石川数正は省かれてしまったんだな」と悲しい気持ちになりました。
秋の夜のほぼ満月に、色々な思いを馳せていたこの日。
やっぱり「何で今日のほぼ満月はあんなに明るいんだ?」と不思議でなりませんでした。
が、このことを友人に話したところ、
「台風が来たからだよ」と言ってくれてすぐにピンときました。
私→「あ、そっか~!」
友人→「何でかわかる?」
私→「風で上空のチリが飛んでいったからだ!」
友人→「ピーンポーン!」
台風後は強風で空気が綺麗になるって、昔から言ってたもんな~。
「月も星も綺麗に見えるんだよ」と友人は教えてくれたのですが、
「あー、星まで見ていなかった~。あまりに月が綺麗で、
星まで目がいかなかったよ(^^;)」と、ちょっと後悔したのでした。