最近、親ガチャって言葉を耳にします。

その言葉の賛否は、色々あるようですが、私は正直あるなーと思いますショボーン


私が始めて、貧富の差を実感したのは、小学生の低学年の時。


父親が働いていた小さい会社の社長のお家へお邪魔した時です。


広く清潔に整えられた家、高校生くらいのお兄さんが2人。優しく遊んでくれました。散歩に連れていってくれて、ドナルドのぬいぐるみを買ってくれました。


その時、一つでいいの?


と不思議そうに言われました。


ぬいぐるみを買ってもらった事など、ほとんどなく、自分で選ぶという事をほとんどしたことがなく(母が決めていたので)戸惑いました。


一つでいいの?

は、私には衝撃的。


2つも買うという、発想さえない。


その後、その社長は、うちの父親を連帯保証人にし、父は億の負債を負わせられるという、結末ですガーン


二人のお兄ちゃんは、本当に親切で、素直な2人だったと記憶していますチーンそれだけに、ショックでした。人形を眺めながら。。


社長の子供が、親ガチャで当たり!と今感じている訳ではありません。


ただ、私には、金持ちの親切には痛い目にあわされる。私は貧乏で金持ちに人生を踏みにじられるなどが、潜在意識に刷り込まれました。



親ガチャがハズレって、子供の時に、幸せの種が発芽するのを妨げる潜在意識が、沢山刷り込まれる事かな?と。


裕福でなくても、幸せの種を蒔いてあげる事ができたら、それは、けして、ハズレではない。


きっとその子は、自分が必要なだけのお金は手に入れられるはずだし、目に見えない部分でも、幸せを手に入れられる。そういう自分を描ける。


ネガティブな潜在意識、無意識すぎ真顔


でも、沢山の潜在意識に悩まされても、気がついた今日から、幸せに進行方向がかえられる。


人生は自分で変えられる。私は幸運である!と心から信じると、すごく勇気がわきます。


虐待など、もっともっと幸せを妨げる潜在意識があっても、しっかり自分でうけとめて、優しく包み癒す。



親ガチャで人生決まる訳じゃない!と信じます。



アファメーション

私は幸運です。