夏休み明けて早速、発熱した娘でしたが
熱は一晩だけで翌朝には平熱に!![]()
鼻水もそこまで酷くはならず、、
今日は朝から元気に
近所のお友達と登校してくれました![]()
これでやっと私の自由な時間が🤩✨✨
ようやくゆっくり集中してブログが書ける!
朝から洗濯、掃除、買い出しに行っても
まだまだ時間がある!し♡あ♡わ♡せ
てことで
5月から停滞していたブログですが…
実は5月から実父の体調が思わしくなくて
結論から書くと
令和6年6月22日に
大好きだった父が
享年81歳で永眠いたしました![]()
5月の初めごろ父から電話で
『なんだか体調が悪くなってきたよ』
と連絡があって
『えー!それならGWで病院が休みになる前にかかりつけ医で診察してもらいなよ!』
と私が言ったら
素直に病院に行った父でしたが
検査の予約だけして
(かかりつけ医は町医者なので大きな総合病院で検査の予約をしました)
病院にはもう行かない
治療もしない
入院もしない
ここ(自宅)でいい
とだけ言って
そこからはバタバタと
介護認定の申請をしたり
市役所の介護保健課に連絡したり
ケアマネさんと連絡を取り合ったり
訪問看護師さんが来たり
母と私で父の介護が始まりました
父の症状は
『なんか喉に詰まってる感じがする』←そのまま
です
素人判断になるけど、咽頭癌?
検査前にかかりつけ医が自宅に往診に来てくれた時点では、まだ確定ではないけど恐らく肝臓癌か咽頭癌かどちらかの癌が転移したのでは?
とのことでした
末期です。と
末期か、、
それなら最期を自宅で過ごすのもありかな?
母と私で看取ってあげれば父も幸せかも…
と、腹を括って覚悟したのに!!
腹を括ったのにですよ!!
覚悟したのにですよ!!
総合病院での検査の結果は
(十二指腸までの内視鏡検査です)
何もなく、綺麗
異常なし![]()
なのに、結局本人は
食べ物が喉を通らず
どんどん痩せ細っていき
体力もなくなり
主治医には老衰です
(いや、診断名変わってんじゃん!)
とだけ言われ
その内視鏡の検査以来
他の検査も治療もせず
最期は水分が摂れなくなり
6月22日…
母と長男、次男と私の4人で
夕食を食べている時に
私がそろそろ帰ろうとしたタイミングで
父は静かに息を引き取りました![]()
最期のときまで
病人扱いされたくなかった父
主治医や訪問看護師が往診にきても
どこも悪くないから帰ってくれと言い
トイレも本当に動けなくなる寸前まで自力で行き
亡くなるギリギリまで
頑張って生きてくれた父
介護している時も
お母さん、ありがとう…
そして私には、楽しかったね…
と、涙ながらに何度も言葉にしてくれていました
私は父にとって
初めての子供だったので
父なりの思い入れが
それなりに強かったように思います
ここには書けないような
色々と不思議なこともありました
弟も言っていましたが
正直、主治医に対してモヤモヤする部分も
なきにしもあらずで…
振り返れば
もっと父に何かしてあげれたんじゃないか、とか
検査して治療していればもう少し延命できたんじゃないか、とか
たくさん思うふしはあるものの
一番、潔かったのは
死を目前にして最後までブレることのなかった
父ではなかったのかな…
とも、思います![]()
娘の育児記録をつけるつもりで始めたブログなので
ここで父の最期を書き留めるのもどうか
迷いましたが…
8月の後半に無事
納骨が済んだので
気持ちの整理をつけたくて
(というより、私の記憶力が年齢とともに低下してるのもあり)
ざっくりと5月、6月のことを記事にしました📝
人間の一生なんて儚いものですよね…
私は今回こうして
一番身近な人の死にぎわを目にして
思ったことは
自分の残された人生
薄っぺらく生きるのではなく
濃い人生を送りたい
儚い人生でもいいから
濃い人生であって欲しい
です🍀
まだまだ私の頭の中では
たくさんの気持ちが巡りに巡っています
それでも日常は何事もなくただすぎてゆく
そんな日常に
いまは亡き父の姿が
ふと思い浮かぶことがあります
亡くなった人の姿、形はもうどこにもないけど
想いだけは永遠に残ることを
父の死を経験して身をもって感じました![]()
長くなりましたが
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました![]()
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