私のプロフィールです。 | 女性のための心身コンディショニングサロン ReCreate(リクリエイト)

女性のための心身コンディショニングサロン ReCreate(リクリエイト)

女性の「あなたらしく人生を楽しむ」を応援します。
西洋医学の知識をベースに東洋医学の視点から施術を行っています。
あなたの心と体と魂の調和をお手伝いします。

初めまして。

私は

高齢者の在宅復帰を支援する
介護老人保健施設で
作業療法士としてリハビリをしています
トモともうします。
(今回はニックネームで…)


人にものごとを
伝えるのは下手なのですが

自分のことについて
すこし、お話しさせてください。


私は

1970年の8月25日に
瀬戸内のおだやかな気候、県民性
そして
松山城や道後温泉のまちである
愛媛県松山市で生まれました。


姉、兄を持つ末っ子だったのですが

自立心旺盛でやんちゃな子どもでした。

 

ちいさい頃

両親は病弱な兄にかかりきりでした。

特に母親は兄しか見えてない人でした。
まぁ、これは今もですが。

 

それでは

長女の姉はもっと寂しい思いをしたのでは

と思われますが

姉は子どもの頃からきれいな人でした。

 

父は姉が連れ去られないか
心配で仕方がなかったんです。

(本気だったようです)

 

ということで
放っておかれることになったのは
病弱な兄より体が大きく
ひとりでも大丈夫そうな私でした。


とはいえ
近所に親戚や幼馴染がいたので
あまり寂しい思いをした記憶はなく


近所に住んでいるの男の子たちと
公園や田んぼを駆けまわり
すり傷のたえない日々を過ごしていました。
 

 

◆万年怒られていた小学時代

 

小学生になってからは
塾やそろばんは続きませんでしたが
入部したバレーボールには夢中になり

ますます活発になっていきました。

 

体を動かすことは大好きでしたが

全く勉強をしない子でした。

 

当然、勉強は落ちこぼれ

やんちゃすぎて

先生にはいつも怒られ

親が学校に呼び出されることもありました。

 

通知表には毎回

「落ち着きがありません」と書かれていました。

 

 

少し状況が変わったのは

小学校6年生のときでした。

 

優しい担任の先生と

厳しいバレーボール部の監督が

とても愛情深く関わってくださったことで

気持ちに変化がでたんだと思います。

 

中学になると英語があるということで

ローマ字を書けるようにして

(書けなかったんです)

 

お箸の持ち方も自力で直しました。

 

相変わらず落ちこぼれでしたが

勉強も少しだけ好きになりました。

 

 

◆やたら褒められた中学時代

 

中学生になっても
バレーボールは元気に続けていましたが
貧血と腰痛になやまされました。
ランニングは地獄でした…

 

この頃は

大好きなバレーボールの成績がよかったため

やたら褒められまくりました。


友達もたくさんいて

毎日が楽しくて仕方がない

毎日笑い転げているような日々を過ごしていました。

 

成績は少しだけ上がりましたが

先生には相変わらず怒られていました。

 

 

こんな
体を動かすのだけが
とりえのような子でしたが
 

残念なことに
私はとても虚弱体質だったんです。

 

身長が高く

見た目は元気そうなのですが

遠足で遠出すれば先生の車で帰り

街に買い物に出かければ

毎回、人ごみに酔ってトイレに

駆け込んで吐いていました。

 


◆人生初の挫折を味わった高校時代


高校生になると

部活中心の生活になりました。

 

ですが

造血剤をのみながら
毎日、病院で痛みどめを注射してから
部活に通うような日々…。

県のバレーボール強豪校だったので
気の強い子たちが多く

その中でもまれて
精神的に強くなる…、どころか
胃炎で嘔吐するような
豆腐メンタルでした。

結局
腰痛とメンタルが悪化して退部。
人生初の大きな挫折をしました…
 

 

部活をやめた残りの高校生活は

とてもむなしくて

よくベッドの中で泣いていました。

 

自分一人だけ世界から

置いてけぼりにされている気がしていました。

 


◆暗黒の短大時代


短大に進学しましたが
いじけて生活していました。


「高校を卒業したら就職する!」と

言い張っており

周囲の勧めでいやいや進学したため

授業はさぼりまくっていました。

 

結果、単位を落として卒業が半年遅れ

卒業式には出られませんでした。

 

 

バレーボール部には誘ってもらって入ったものの

全く努力をしませんでした。

 

試合に出ると

バレーボールの強豪大学に入ってる

高校の同級生を見て勝手に傷ついていました。

 

この時期は

性格がホントにねじれてて

だらしなくダラダラと生活していて

かなり病んでしました…

 


◆体調が悪いのが当たり前だった社会人時代


社会人になると
体調の悪さはますます進みました。

数ヶ月に1回は発熱をともなう胃炎
季節の変わり目にはカゼ(ちくのうと発熱)
そうじをするだけで鼻が止まらないアレルギー
無理をするとすぐ腰痛
生理は重すぎて1日3回痛み止め
立ち上がったら貧血でたちくらみ
手足がカンカンに冷たくなる超冷え性

いつもバッグには
痛み止め、鼻炎薬、胃腸薬、かぜ薬などの

薬が入ったポーチを入れていました。


ですが
不思議なことに
私は、この状態が
当たり前だと思っていました。

それどころか
バレーボール、水泳、スキー
テニス、ゴルフなど
ちょこちょことスポーツをしていたので

むしろ
自分は強いと思っていました。


仕事は

当時流行りはじめた「自立した女性」になるべく
IT系の会社に就職しプログラマになりました。
 

23歳の頃

新しいプロジェクトが立ち上がり

話す言葉以外がほぼ英語という

私にとってはとても過酷な業務でしたが


深夜の2時頃でも楽しく笑ってるような

元気な同僚の中で仕事ができ
充実していました。

が、無理をするたび体調をくずして
会社をお休みしていました。
 


同じ23歳の頃

一念発起してバレーボールを再開。

社会人のチームに参加しました。

 

「今やらないと一生できない!」と

追い詰められていた気がします。

 

もちろん

超へたくそからの再スタートです。

 

バレーボールをしたいという気持ちは

人一倍強かったので

気合が入りまくっていました。

 

朝起きて筋トレ

仕事のあとにランニング

食事改善

体の勉強

など

時間を作っては色んなことをしていました。

 

しかし

体力がついてきた頃に気が付いたのが

「ボールが思うところにいかない」

ということ。

 

そう

今でいう「イップス」になってしまったんです。

 

ちょっと気持ちが強すぎたんですかね。

 

ボールがコートに入らないどころか

ゴミすらゴミ箱に入らない…

 

周りからは

笑われ、やじられ、時には怒鳴られました。

そして、さらに動かなくなるという悪循環…

 

何度も泣きましたが

いつか治る、と信じて続けました。

 

 

さらに同じ頃

突然、手の震えが止まらない

手や脇、全身に大量の汗といった

状態に襲われ

人から距離を置くようになりました。

 

食事ではお箸のふるえがバレないように必死

結婚式など人前で名前を書くときは決死の覚悟で書き

もちろん人と手をつなぐことなんてできません。

なにも楽しめない…

 

このままでは生きるのがツライ…と

悩んだ末に

心療内科の戸をたたき

先生にお願いをして

安定剤を飲み始めましたが

状態は変わりませんでした。

が、薬には依存するようになりました。

 

 

色々と

メンタルが圧迫されていたのかもしれません。

 

 

とはいえ

豪快なバレーボール仲間

陽気な同僚など

飲み仲間が多かったので

毎月楽しく飲んでいました…

 

 

バレーボールは

プレーでは活躍できませんでしたが

28歳のときに

四国ブロックの代表として国体に出場し

ベンチを温めることができました。

(これは周りの方々への感謝しかありません)



◆34歳でリハビリテーション専門学校に入学


30歳を目前にしたころ
友達の紹介で知り合った理学療法士の方の
スポーツトレーナー講座に

参加させて頂きました。

すると


「私のような腰痛などで困っている人のケアがしたい!」
 

という気持ちが
どんどん大きくなってきました。

↑このときは
自分の体が弱いとは気づいていません。


そして

34歳でリハビリテーションの専門学校に入学し

16歳年下の同級生たちに混ざり

 

人間の体について学んだり

体育祭で倖田來未の曲にあわせ踊ったり

文化祭でホストの扮装をしたりして

とても楽しい3年間を過ごしました。

 

が、やはり学校はよく休んでいました。

 

 

◆豆腐メンタルからの脱却


そして転職。


その前に
専門学校の病院での実習中に
腰に激痛…
ヘルニアとすべり症でした。

国家試験の直前に
腰椎を固定する手術をして
資格はとれましたが

術後の経過がおもわしくなく
体が思うように動かなくなりました。
再検査をしましたが

原因不明としか言われず途方にくれました。

 

 

憧れていた
大きなリハビリテーション病院に就職できましたが
患者さんのその後の人生をきめる

回復期というプレッシャーに耐えきれず退職。

数ヶ月の休暇をとったあと
今の老人保健施設に拾っていただきました。

この時点で

私の豆腐メンタルはボロボロ。
 

希望もすべて失っていました…

それから
5年ほどたち

体が安定してきたことを機に
各地で開催される
体をととのえるための色んなセミナーに
積極的に参加しました。


そのなかで
セラピストの先生にととのえていただいたり
セルフケアをするにつれ

自分の状態が
とても軽くなっていることに気づきました。

 

人のために始めたことでしたが
自分の体調を
改善してくれていました。


胃炎はなくなり
カゼもひかなくなり
アレルギー性鼻炎もきえ
無理しても腰痛がでない
生理で薬を飲むことはなくなり
がんこな貧血と冷え性は今もありますが…
 

20代の頃から飲んでいた

安定剤ともさよなら。

 

 

そして
転職して10年たって

体調がよくなったことで
ようやく

軽く走れるようになりました。


 

そうすると
豆腐メンタルに
ちょっと柔軟性ができました。

 

 

今も緊張した時の手汗、脇汗はありますが

震えはないです(多分)

 


大げさかもしれませんが
今は天国です。

今でも
もともと体が強い人にくらべたら
ぜんぜん弱いと思いますが
それでも天国です。


そして
もっと強くなるために
体のケアと
勉強を続けています。



周りをみると

以前の私のように
痛みや不調をかかえながら
どうしていいのかわからない

弱いから
歳だから
女性だから


あきらめている人を多くみます。


とても
もったいないと思います。

みなさん、よくなります。
人はよくなる力を持っています。


よくなって
もっとやりたいことをして
もっと楽しく生きませんか?



そんなことを
お伝えしたくて
お手伝いをしたくて

整体をしたいと思い
今にいたっています。


まだまだ
方向性が定まっていないのですが

誰かの背中を押したい
という想いは変わりません。


なので
これからもたくさんの
「もっとよくなりたい人」のために
ケアをつづけていきたいと思っています。


このような私ですが

こんな私だからできる整体を

追及していきたいなぁ

と思っています。

 

 

今後とも
よろしくお願いいたします。

 

 

長い長い文章を読んでいただき

本当にありがとうございましたキラキラ