造形教育や図工の楽しさが教育を変えるという話題でブログを綴り始めましたが、コロナにかかってしまい、しばらく中断してしまいました。

熱はそれほど上がらず、2日くらいで治まりましたが、とにかくのどが痛くて、特に夜寝ているときに刺さるようなのどの痛みで目が冷めてしまい、1週間近く悩まされました。

ようやく体調も戻ってきたので、また自分が思うことを綴っていこうかと思います。

 

前回、図工は正解のない教科だから、そのよさを他の教科にも広げていくことが大事だと書きましたが、「正解がない」というのは、言い換えれば「正解が無限にある」とも考えられると思います。

図工の元になる造形活動は、自分の思いや考えを自分で表したものがすべてその人の表現であり、そこには間違いとかおかしいということはありません。人を傷つけたり、不快にさせたりしない限り、すべて認められるものです。

ですから、「正解は人それぞれ、無限にある」と言えるのです。

ところが、その正解は決して誰かに教えてもらうものではありません。自分で考えて自分で動き出さないとその正解にはたどり着きません。この、「自分で考えて自分で動き出さないと、正解にたどり着かない」という学びの姿勢が、教育にとって大事なのではないでしょうか。

その学びの姿勢を、言葉ではなく造形活動という体験を通して育てられるのが図画工作だと思います。

これは、図工では当たり前のことなのですが、実は他の教科でも一番大事にしなければならない学ぶ姿勢なのではないでしょうか?

 

それがほとんどできていない現状にあるのは、前回も述べたように、ただ単に正解ばかりを追い求める学びがはびこっているからだと思います。

この現状を具体的に述べていくと、膨大な量の記述になってしまいますから、これを読んだそれぞれの方が思い浮かべたり考えてみたりしてください。