Kenjiさんに教えてもらった言葉です。
先日の集客講座でも話してくれました。
私には、夢というものがありませんでした。
ないわけではないのですが、それは叶わない理想郷のようなもの。
蜃気楼のようなもの。
過去の経験から、私は「自分には何もできない」という考えがいつも頭にありました。
だから「~~になりたい。」というものを抱いたことがなかったし、そのために努力をしたこともありませんでした。
努力もしないのだから、叶うわけもなく、
できない→努力しない→結果出ない→やっぱりできない
私は、延々このループをぐるぐる回って生きていました。
Kenjiさんと出会ってから、
「どんなふうに生きたいのですか?」
「何をやっていくのですか?」
何度も聞かれました。
集客講座や、グループコンサルを受けに来てくださった方にも、よく聞いています。
私は、いつもその答えを明確に出すことができませんでした。
特にやりたいことがあるわけでもなく、最初に書いたように、すでに諦めているので、浮かんでも来ない。
なんとか、それ(夢や目標)を作らなくては、と、「作らねばならない」に捉えてしまったので、変な方へずれていきました。
人に聞かれて納得できるような「答え」を探すようになってしまったのです。
一般的には、夢や目標を決めたり、語ったりする時って、ワクワクしたり、動かずにいられなくてウズウズしたりして、楽しいものだと思うのです。
けれど、私にはそれがありませんでした。
「何をやっていくの?」
それを聞かれるたび、胸が苦しくなる感じがありました。
夢や目標がない自分を情けないダメな人間だと決めつけていたからです。
そんな時に、初めてKenjiさんからこの言葉を聞いたのです。
「置かれた場所で咲きなさい」
Kenjiさんが伝えたかった意味と違う捉え方をしたかもしれないのですが、
私は「それでいいんだ。それならやってみることができる。」と嬉しくなったのです。
今ある環境の中で、自分のできるすべてを一生懸命やればいい。
夢を持たないでいいということではなくて、夢はあったほうがいいけれど、
もし、今、「やりたいことが見つからない。」と悩んでいる人がいたら、
今の自分の目の前にある仕事を全力でやって、想像しうる最高の状況を作れるように貢献していけばいい。
目の前にいる人を大切にして、その方が最高に幸せな状態になれるように最大限与えていけばいい。
そうすれば、自然とやりたいことが出てくるかもしれません。
今いる場所を最高の居場所にするのも、不遇の場所にするのも、自分次第。
同じ時間を使うなら、同じ命を使うなら、そうして生きていきたいと思うのです。
ちなみに、この言葉がタイトルの本があります。
著者は、渡辺和子さん。
気になる方は、ぜひ読んでみてくださいね。
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