某桜田組 | 清和源氏の某家の知らない秘密

清和源氏の某家の知らない秘密

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我が家の歴史である歴史館が探している桜田組というおそらく町火消がいたらしいが一つも資料がないらしい。

そして、その資料を探しているらしい。

結論から言えばその一番上は我が家である。

なぜそれが言えるのかと言えば盛岡歴史館に寄贈する前に読んだ古文書に桜田組四番と書かれており、証拠に画像をとってあるからである。

それで、一番上の役のようなものもしていたみたいである。

我が家の古文書には、大体御書院番等重役をしてきたことや殿様のそばにいたこと銅山奉行をしていたこと等多数の記載が見られており、我が家の言い伝えでは徳川家とは遠戚または、一番近くにいてたこととか母は年賀状で長〇家と年賀状を愛知県に送っていたこととかが伝わっている。

他には、我が家にはずっと名前にある文字がついており昔殿様にもらったという言い伝えのようなものがあり、代々その名前がついている。

父親は違う名前がつけられており祖母がいうにはなぜ違うのかと昔学者の方が聞いてきたと言われてる。