こんにちは☀
またまた、第4子小2♀
先日、〇〇ちゃんのママよりメールが入りました。
内容は、うちの第4子が〇〇ちゃんの公文の宿題を請け負っているということ😅
もう次から次へとネタが😝
でも、親としてはざわつきますよね?
あなたは、この事例を聞いて、どんな感情が湧いてきましたか?
「うちの子が虐められてる?!」といった怒りや悲しみ?
「うちの子がいらんことして、申し訳ない💦」といった悲しみ?
「そんなん、子どもの問題でしょ!」といった怒り?
「うちの子、そんなに勉強してるんや!」といった喜び?
などなど。。。
人によって違いますよね💗
それは、自分の持ってる価値観から湧いて来るもの。
もし、「宿題をツラい」と捉えているなら「うちの子がさせられて!」といった思考が怒りとともに。。。
もし、「宿題を自分の力を伸ばす機会」と捉えているなら「うちの子がいらんことして!」といった思考が悲しみとともに。。。
もし、「宿題は子どもの問題。どのように宿題をするかは子どもの問題」と捉えていれば「なんで親が出てくるねん?」となるでしょう。
もし、「勉強することが良いことだ!」と捉えていれば、「うちの子 ラッキー💗」くらい。
あなたは、どんな感情を抱きましたか?
物事に対して、湧き出てくる感情を掘り下げると、自分がどのような価値観を大切にしているのかが見えてきます。
これが、相手に自分の気持ちを素直に伝えるときに分かってないとうまく伝えれないんですよね~💗
。。。で、結局、うちの子は〇〇ちゃんがなかなか進んでないのを「やったろうか?」 もしくは「ことちゃん(第4子)やって~」「いいよ~」で、宿題を請け負っていたようでした😅
お母さんからの要望は、宿題を請け負わないように言って欲しいとのこと。
快く引き受けました。
第4子に事実確認をしました。
「ことは〇〇ちゃんの宿題してるん?」
「たまに。。。やって~って言ってくるから」
「それで、やるって決めたんは誰?」
「こと。。。」
「だね~。それで、先生に怒られたんやろ?なんでかは分かる?」
「宿題は自分でするもんやから。」
「そうやんな。宿題した人が賢くなれるもんな。ことはいいけど、〇〇ちゃんは?」
「賢くなれない。」
「そうやね。宿題するチャンスをことが奪ってたんよ。〇〇ちゃんが賢くなるチャンスをことが奪ってたんやで。せやから、先生怒りはったんよ。」
「。。。」
「それって、ほんまに大切な友達にすることなんかな?その友達のためなんかな?どう?」
「違う。もうせえへん。」
「せやな。やってないから、困ってるの助けてあげようって気持ちは大切。でも、ほんまに助けるになるかは考えて行動して。宿題が難しかったら、やり方のヒントをあげるはアリやけど、全部ことがやるんは違うからね。」
「分かった。教えてあげることにする」
そんな 話をしました😁
えっ?!私がこの話を聞いたときに抱いた感情??
もちろん、「うちの子 人のことまでやっちゃうなんてスゲ~~💗」という親バカな喜びでした。