先週の土曜日、いつもの公園にて

花から葉へ襷が渡される季節です


最近撮った桜の写真①


花だけを追いかけるのは、気分じゃない。

流れそのものを慈しみ、愉しんでいたい。


三脚を片手に歩く見知らぬ人もいない。

花の下で、ワイワイ騒ぐ連中もいない。


嵐が去った後のように、いつもの静けさが戻る。

顔見知りの友に、手をあげて挨拶し、すれ違う。


何も止まらない。止まって欲しくても。

無常の無情の中で、今日も歩き続ける。




小学生時代からの親友に宛てた手紙

最後の一枚にこの写真を添えました

最近撮った桜の写真②


まだ桜も咲いていなかったある日

ポストを開けると親友から手紙が


わたしと同じ左利きの彼女の少し細長い字

彼女は高校生と中学生の女の子2人のママ


ママであり働く女性でありわたしの大切な親友

とある資格試験合格を目指して猛勉強中だとか


年度末と月初めの多忙がようやくひと段落し

返事を書こうとしたらもう葉桜が目映い季節


それでも何とか桜が撮れた

資格試験に間に合ったのか




すぐ書けない、すぐ消せない

だからこそ、ゆっくり慎重に


手にとる相手を想い、便箋を選び、ペンを選び

話を選び、言葉を選び、切手を選び、投函する


そんな贅沢な営みを

不便と呼ぶ人もいる


不便で不自由でお金も時間も手間もかかる

開けたのかも読んだのかも見届けられない


それでも敢えて手紙に托す

隅から隅まで祈りを込めて



出合いが運んでくるのは『別れ』だけではない

別れの先にある『思うわよう』まで連れてくる

最近撮った桜の写真③


形には、出合いと別れがある。

別れてしまえば、もう終わり。


だけど残念ながら(?)わたしたちにはこころがある。

形に秘められたこころというものを感じとる力がある。


形のないものには、終わりはない。

薄れることはあっても、消えない。



「思うわよう」は別れの先に続く、永遠の絆。

意識し続ける限り、変わらずそこにある想い。


「出合い」でも「別れ」でもなく「途中」でもなく、

過ぎ去った『幻』に対し、届かぬ手を伸ばすように。


こんな馬鹿げた贅沢な遊び、地球でしかできない。

遠く離れたポルトガルでも「サウタージ」がある。




上の本で教わった神津島の方言「思うわよう」

下の本で教わったポルトガル語「サウタージ」


国や言語が違っても、よく似た想いを持つ

それはわたしたちが同じ人間だという証だ




またまた懲りずに、テンプレートを使ってみました

空の写真だったら、横に切り取っても大丈夫そう♫


「桜の写真」というお題だから、花でなくてもいい

花が咲く時季はほんの一瞬で、散っても生き続ける


花の時季は、人がいっぱいで、騒がしくて、

正直落ち着かないから、今の方がホッとする


波の頂点を渡り歩くような生き方もいいけど、

光ばっかりだと、光もただの空気と同じになる



散った花びらが水面に映る故郷と

もう一度花を咲かせるのも今だけ

どの時季にもその時にしかない愉しみがある

浮かれることだけが幸せとは限らないと思う


「思い通りに行かない」ということは地球ならではの愉しみ

宇宙人のように簡単に魔法が使えてしまったら、存在しない


地球で魔法が使えたら、それはそれで素敵なことだけど

使えなければ使えないなりに、愉しむこともできるはず


魔法が使えようが使えまいが、わたしの幸せには関係がない

生きていることそのものが奇跡であり、わたしが宝物だから




★BGMは

Hollow Coves - These Memories




桜が散ることはとても素敵なこと

あなたの地に桜の季節が来るから


まるい地球の何処かに桜の波が訪れ続け

また来年わたしの地にも波が戻ってくる


とても素敵なこと

地球がまるいこと


わたしの向こうにあなたがいること

あなたに時間をかけて詩を紡ぐこと



 


ではでは

佳い日を