母 〜 備忘録4 〜 | 小さな幸せに気付いて☆

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こんにちは^^




母が亡くなって一年が経ちました


母のこと 忘れないように自分のために備忘録を書き始めたのですが


時間が取れなくてなかなか進みません




とても長いです


続きです



母を車に乗せ


浮腫みが良くなればすぐに退院できる


暫くは入院してゆっくりすればいいと母に言いながら


病院に向かいました


最初はみんなそうなんだよね


と母はボソッと呟いたけど本気で私はそう思っていました



母を緩和ケア病棟に連れて行き


入院の手続きを済ませました



私の娘はゴールデンウィークとリモートで仕事するつもりで帰省中で


何度かお見舞いに行ってくれました


可愛い孫が会いに来てくれて喜んでいました


入院した最初の頃母はとても元気そうで


入院して間もないある朝、病院からの電話にドキドキしながら出ると


母が柏餅を食べたがっているから病院に来る時に買って来てくださいと


看護師さんからの電話に思わず笑ってしまいました


柏餅を持って行くと


母は昨日看護師さんにそんな話をして


私が来たら買って来てというつもりだったと言って


笑いながら喜んで食べてました


緩和ケア病棟だからなのか


好きなものを食べさせてくださいと言われていたので


モナカアイスが食べたいと言われ売店に買いに走ったり


お饅頭やらビスコやおせんべい等を買って持って行ってベッドを起こして食べてもらいながら


色んな話をして穏やかな時を過ごせました




母は看護師さんが ◯◯さ〜ん と病室に来ると


病棟中に聞こえるくらい大きな声で返事をするのだと言ってました


看護師さんが驚くのが楽しい


だって楽しいほうがいいでしょ〜ウインク


と笑っていました



看護師さんもビックリするくらい大きな声で返事をされるので


こちらが元気をもらってますよ〜と言ってくださってました


お母さんらしいなぁ爆笑




お見舞いに行って看護師さんが娘さんが来ましたよ〜と声がけしてくれても


ちょっと目を開けるだけでずっと寝ていたり


時には熱が出たり


チアノーゼで呼び出されたり


色々あったけど



生きることは食べること


と日頃から考えている母は


多少具合が悪くても食べようとしていたみたいです




最初の頃はトイレも自力で行ったり介助してもらいながら行っていたのが紙パンツになって…


私が行くと談話室やベランダに出られるところにベッドで来てそこで話したりしました


退院しようかなぁと言うことがあったけど


退院したいと自分で思っているだけだと思って


それなら歩けるようにならないと…と話して

(義母が入院するとリハビリで歩く練習をして退院していたので)



看護師さんに私がそう言ってもリハビリするわけでもなく


特に説明もなかったので


余計に歩けないようになってしまうと


看護師さんに対してちょっと不信感もありました



呼吸が苦しそうなので母に苦しい?と聞くと苦しくないと言うけど


看護師さんに酸素吸入しなくて大丈夫なのか聞くと


本人が苦しいと言えばするけれど


本人の希望通りになるべくするのだと言われました



せん妄も多少出ましたが


此処(病室)は国技館の相撲の取り組みの看板⁉︎を取り替える部屋で、お金のある人は土俵の取り組みを見られるのだとか言ってました🤭

(母は大相撲が好きでいつもテレビ中継を楽しみにしていたので)


父が入院してせん妄になった時に比べたら可愛いものです




入院してどのくらい経った時だったのか…


看護師さんにこれからのことを聞かれ


一人暮らしの母なので歩けなければ退院できないと思うこと


たぶん母は私に面倒見てほしいだろうし(私のところに行きたいと言っていた)


私も本当は面倒みたいけど、夫の両親と同居しているので家には来てもらえない

実家に私が泊まり込んで面倒みられないこと


退院するなら兄が介護休暇を取って面倒みるしかないことを看護師さんに伝えると


担当医との面談で、兄夫婦にこのまま入院したままで看取り期に入りましょうと言われたと言うことで


入院したまま看護していただきました


毎日会いに行ってましたがそのほかに呼び出されたりもしました





入院して1ヶ月以上経ち


いつものように病院に行くと今朝から食事を取ってないと言われました


でも私が行くとお菓子を一つ食べるのです

(食べることは生きることなので、食べる姿を私に見せたかったのだと思います)


部屋は2人部屋でしたが、食べなくなって3日目に(2日目に食事は止められました)


担当医から電話があり個室に移しますと言われました


酸素も鼻から吸入してました


私も会いに行って看護師さんが母に声をかけると目はあけるけど視線は合いません


私は亡くなる前にどうしても伝えたかったこと…


母の子供で良かった

産んでくれてありがとう

お母さん大好きだよ


母の耳元で言いました


呼吸が荒く会話できないと思っていた母が何か言おうと口を動かします


耳を近づけても聞こえないので


えっ?なぁに?と聞くと


荒い呼吸で


ありがとう


言ってくれました


母と私との最後の言葉になりました




その2日後の6月16日


私が家に帰って兄が母の傍にいる時に


静かに息を引き取りました


入院して1ヶ月半が経っていました



兄から電話がきて、母も兄がいる時なんだなと思いました(父も兄が付き添っている時に亡くなったので)


すぐに病院に駆けつけると穏やかな顔をしてましたが


口がちょっとあいていて入れ歯を外してある口元が気になりました


看護師さんに綺麗にしていただくまで時間があったので母と静かに過ごすことができました


看護師さんか義姉が来た時だったかそっちを見た時に口がちょっとあいてる母が視界に入った時に


笑っているように見えました


ある看護師さんも母を見て笑っているみたいですねと仰ってました



個室は入ると磨りガラスというのかな


人影や電気が付いてるとわかるガラスだけど


何度も出入りしても自動で電気が付いたことはないのに


亡くなったあと何度も電気が付いたり消えたりしました


不思議と怖いとは思わず


あっ❣️お母さんかな


重い身体から自由になれて良かったね


そう思いました



看護師さんに綺麗にしていただき入れ歯を入れてもらい


少し開いた口も閉じてもらい


母が帰りたかった家に帰ってきました



家に帰ると閉じていた口がまた開いているのです



母は笑っていたいのかなと思いました



葬儀屋さんと打ち合わせはたくさんあります


火葬場が混んでいて火葬できるのが4日後…


でもお寺の住職さんの都合で葬儀は6日後に決まりました







最後まで読んでいただきありがとうございます



明日も皆さんにとって佳い1日になりますように☆