人生に向き合う良き映画と、失敗してる映画。 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

暑い~ので、冒険心煽る映画を観たいけれど、今時、気分を上げても遊んで居られない。なので、少し考えてみようと思います。
人生とは?
そこまで深刻では無い、二本の映画です。

「ビッグ・シック、ぼくたちの大いなる目覚め」
 パキスタン生まれの売れないコメディアン、クメイルとカウンセラー志望の女学生エミリーが出会う。一夜限りよね、と言いながらまた会い、また会い。気付けば数ヶ月。しかし、クメイルの些細な嘘を切っ掛けに、ふたりの関係は壊れてしまう。
クメイルはコメディアンの仕事に専念する。
ある日、クメイルのもとにエミリーの学友から連絡が。
彼女が入院した...
先ず、Amazon製作のロゴにちいさく驚き。AmazonもNetFlixみたいに映画を作っているんだ...なんて思いながら始まりました。
この映画のジャンルはラブコメ。話の始まりは出会いから、その縁の答えで物語は終幕します。
ですが、甘いムードは意外と少ないです。どちらかと言うと社会派ムードが漂います。
それも人種問題。敬虔なイスラム教徒の家族に育ったクメイルと、ごく平凡な家庭に育ったエミリー。ふたりが愛を築くのには信仰の上の家族と言う壁があります。しかし、ここで露になるのは宗教の軋轢だけで無く、"民族にある常識"でもあります。
クメイルの親は、クメイルに同じパキスタン人と結婚する選択肢しか与えません。見合い結婚が当たり前、いえ、それこそが結婚だと切々と語ります。
しかし、確実に育っているクメイルのような新世代は、もう宗教や"しきたり"の縛りから逃れたがっています。その理由は、
"好きな人との未来のため"。
こんなテーマだと重苦しく感じそうですが、そんな事は有りません。主人公はコメディアンですから、その深刻な"パキスタンあるある"さえ、非常に冷めた自虐ジョークとしてステージで披露されます。
当然、そんな自虐ジョークは失笑ばかり。クメイルの冴えないコメディアンライフを体現します。しかし、プライベートとなれば彼の人間性は非常に豊か、それはエミリーと向き合った際の会話で感じとる事が出来ます。
最高の男性では無い。王子様のような人生捨てても胸の中に飛び込んでしまいたいようなタイプでは無い。でも、少し冷め気味のクメイルと、ちょっと感性余るエキセントリックとも言えるエミリーを観ていると、意外にもお似合いに見えてくる。
「体だけの関係」「」
ふたりの逢瀬は言葉に反し、にこやかに楽しげに繰り返されます。その間には豊かな台詞がたっぷりで非常に愛らしくふたりの距離が縮まっていくのを味わえます。...まあ、ちょっと強引。もう心惹かれてるの?とは思いますが、惹かれるだけのウィットはたっぷり感じさせられます。
愛は深まり、しかしクメイルの家族との複雑な問題は抱えたまま。残念ながら宗教と民族の壁に踏み入らず挑めなかったクメイルによって、ふたりの未来へと続く筈の想いは、遮られてしまいます。
そして...
事態は一転する。
人は何かを犯したり、何かが起きたり、特別な事態に晒されると、悔やむもの。多くの人が自分が過去にした間違いを蔑み、人生に何が大切だったかを思い知る。
クメイルはエミリーの入院を知り、始めこそ面倒くさそうな態度を取るが、病院に辿り着くと悲観が彼を襲った。
意外にも元気そうなエミリー。しかし、途端、エミリーは昏睡状態に陥ってしまう。
悔やみ。
クメイルはエミリーの傍らから逃れられなく成ってしまう。人としての純然たる想い。知る人への真摯な向き合い。...そしてかつて築いたたくさんの思い出...
沸き上がる思いが、急き立てる。クメイルは何とかしてエミリーに伝えたい事が有る。
目を覚まして。
そう願い始める。
いくらエミリーの両親に嫌われても、良かれと信じたエミリーの治療が上手く行かなくても、クメイルはただ必死で祈り続ける。
映画は優しくクメイルの想いを浮かび上がらせ、それを優しい手で、あくまで"そっと"包んでくれる。
映画はもうひとつ、ある悔やみを描く。それはエミリーの父。彼はそのせいで立場を失い、常に気負いながら生きている。
それを聞いたクメイルは、また自分の人生を見詰め直し始める。
そんなクメイルを見て、またエミリーの父も、そして母も、更にそれ以上の人達も、縺れてしまった家族の縁を、自分なりに理解して良き明日を築こうと挑み始める。
誰もが手遅れから悟り、行動し始める。
クメイルはコメディショウが好転し始めていた。スカウトに目をつけられ、未来は有望だと感じ始めていた。しかし、そんな矢先に舞台で失態をしてしまう。
芸を忘れ真面目に思いを語り出してしまう。それは人から笑いを誘うことなど出来るものでは無かった。
しかし、そんな真摯な思いは、きっと、誰かに届く...

悲劇を煽るような辛い映画では有りません。病や壊れ行く縁に涙の数を数えるような映画でも有りません。
だから...彼の大失態に込められた、"嘘の無い思い"は、報われる。
それがふたりの本当の始まり。
人と人との繋がりに、労りを忘れたら終わり。親は子の為に本当に考えているのだろうか?私は"愛する人の為に"話しているだろうか?誠実に在るだろうか?
誰もが考え、今、出来ることだけは、と寛容、もしくは妥協する。そうして悟った者たちは、今、そっと誰かと微笑み合っている。
そんな愛らしい、幾つもの絆の顛末が、私達を待っています。
この映画、役者がみんな良い。
主演のクメイルは本物クメイル・ナジアニが演じます。実話ですから。クメイルの惚けたような態度は狙いでは無く真実なのですね。
エミリーはゾーイ・カザン。「ハリー・ポッター」のダニエル・ラドクリフと共演した「もしも君に恋したら」を知る人なら彼女の愛らしさは分かって貰えるでしょう。変わらず、愛らしい魅力を振り撒いています。
そして、エミリーの母ベスを演じたホリー・ハンターが非常に良かったです。「ザ・ファーム、法律事務所」以降、彼女の人を見る視線が凄く好きです。語り出す言葉が本当に誰かの為に口にしているように感じられて、圧倒させられます。
みんなキャラ立てが良く、愛らしくて、惚れないキャラはそう居ません。"みんなで大団円"となる作品では無いし、置き去りにせざるを得ない問題ばかりだけど、生まれた愛は真実。
今、未来が始まる。そんな笑顔に満ちたラストは非常に暖かく素敵でした。そこで語られるのは少ない言葉。再び始めるために"やり直す台詞"。そのやり直し方も最高です。

私、この映画を観ながら、ケン・ローチ監督の映画「やさしくキスをして」を思い出しました。こちらはインド系イギリス人とカトリック系学校に勤める女教師の、信仰により結ばれない悲劇を描きます。
今作でも、ふたりの想いを遮る信仰の嫌らしさは、観ていて辛かったです。
私のように「やさしくキスをして」が怖かった人には「ビッグ・シック」での笑いが半減してしまうかもしれませんが、障害を乗り越えた真実の物語は、長年私を苦しめ続けた「やさしくキスをして」から救ってくれました。
いや、そんな事を気にさせないほど、ウィットたっぷりで、眉を潜めながらもしっかり笑い、考えさせられ、更に、感動までさせられてしまいました。
気になられた方は「やさしくキスをして」を一緒にどうぞ。半ばで、主人公が信頼する、ある方が裏切るシーンは、ホラーです。人が人を、人とも思わない残酷な顔を晒す瞬間を見られます...
信仰、民族、過去の歴史...そんなもので人はいくらでも人を傷つけられる。傷つける事に躊躇わない理由になる。そんな下らない事は無い。

乗り越え未来を築いた真実のふたりに、心からありがとうを言いたい。
シニカルながら程好く笑い、涙もほろり。とても良い映画でした。


もうひとつはお薦め出来るほどの作品では有りませんが、駄目さの先に私達が何かを悟れるかもしれない、そんな映画です...たぶん。
「堕落のススメ」スペイン映画です。
アナは「人生の満足度は?」と聞かれて答えることが出来なかった。そんなある日、実家に電話をするとアナが出た。
「あなたは私?」
アナは動揺するが、ある思いを抱く。
人生をやり直す...
おそらくもうひとりのアナは、アナ本人が望んで生まれた存在。私の役割を誰かに任せ、私は夢をやり直したい。そう願ってアナはもうひとりのアナを生み出した。
生きる街を変え、アナはダンサーへの道を歩み始める。過去をひとつずつ捨てて行くアナ。ニナと名を変え、髪を解き、ウィッグを被り、更に髪を切り、髪の色を変え、次第にその心まで解き放って行く。
少しだけ、思っていた夢の実現とは違っていたけれど。
そんなある日、アナを知る男性が彼女に振り返る。また、情熱的な男性マルセロがニナを求め、声を掛けてくる...
ここまではなかなか面白かった。
もうひとりの自分、ドッペルゲンガーを見て、愕然としながらも、思い立って置き去りにしてきた人生を取り戻そうとするアナ。
彼女の明日は、あまりに魅力に満ちているように感じさせます。
しかし、だからこそ私達が期待し、観たいと願うのは、彼女が夢を実現して行く姿に他ならない。アナ改めニナが「私はダンサー」と自らを称し、ナイトクラブに職を求めた時から、誰もが彼女の舞台を楽しみにするに違いない。それなのに、理想と違ったのか、過去を吹っ切れないのか分からないけれど、ニナは一向に夢を実現する舞台に立とうとしない。
それなのに、気持ちだけは高ぶっていくニナに、ただもどかしくて堪らなかった。
また、早々に知らないマルセロに体を許してしまうのも、新聞の"行方不明者の欄"を見た直後なので、新たなる怪しい展開を匂わせて身を震わせてしまいました。
ニナが尽く観客の気持ちに応えてくれないので、さすがに中盤以降は気持ちが冷めて行くのを感じさせられます。
更に、夢のような話と思わせて、実は結構なリアル。ニナはあれこれ現実の縛りに悩まされる事になります。それはそれでいいのだけれど、お陰でかどうも映画が全く羽ばたかない。
ドッペルゲンガーから始まり、様々な人生の隠喩を思わせるような要素を散見させ、不思議な白昼夢の迷宮に迷い込んだような感覚は、同じスペイン映画「シエスタ」を思い起こさせて惹き付けるのに、期待している分、"平凡な今"に流されるニナを見ているのが、辛くなります。

話すのを止めた男性やナイトクラブのダンサーたちなど、みなキャラ立ちが良いのに、上手く物語に有効に扱えていないのも残念でした。
些細なシーンに長い時間を割き、なかなか展開が進まないのも残念。
更に、ようやく訪れた"期待"であり"念願"のダンスシーンは、素人が前衛的センスを狙い過ぎて大失敗したような出来で、またもや残念でした。
本作は日本では性的なイメージで売られた映画のようですが、そんなシーンはさほど無く、ただ、細身のニナの裸身はとても綺麗です。色気は少なめ。ですが赤い髪が白い肌に映えて刺激的でした。

ナイトクラブでの人生、マルセロとの関係、自信を持ち始めたニナ...
次第に新たな人生を楽しみ始めるニナは生き生きとして輝いて行く。しかしそれもまたリアルが彼女を追い詰めます。
スペイン人はフランコ政権時の"疑心"から逃れられないのかもしれない。「良かれ」と言い訳する"ある人物"の疑いに、ニナの人生ごと映画の描く"夢"は砕かれてしまいます。
心に想いを抱えた者の"変わりたい"足掻きと焦燥は、アナを通じて堕落?(解放?)へと誘われる。あなたも変われるのよ。願い、望んでいた、あの、あなたに。
さあ、おいで。ここは妖しくも魅惑の館、ナイトクラブ...
そんな話なら楽しかったのに。
最後はドッペルゲンガーとすれ違う。どっちの方が幸せ?
「私」

...そうは成らなかった。
現実に向き合う覚悟が出来たとばかりに自信げなニナ。アナを前にして、にやりと笑う。
私はアナに戻る。
そう描いているようだけど、実際は行き場所を失っただけ。都合だけのラストに映画の意義ごと吹っ飛びました。
前半は非常に素晴らしい。しかし、何も出来ず、ただ阻害され、再起のチャンスは徹底的に遮られてしまう。そんな展開は、"人生を変えようと挑んではいけない"、そう言われているようで、非常に空しい気持ちだけが残る映画でした。
...だからこそ、私達こそはたった一度の人生よ、夢を諦めず生きよう...無責任かな?
でも短い時間でしたが、自信を抱いたニナは魅力的でした。


☆8月5日は親友アンナの誕生日ぃ!
なのですが、ちょっと私、怒らせてしまったのか、彼女からの返事が無く、おろおろしています。
贈ったイラストは観てくれたようなのですが...ジョークに含まれるタブーについて、ちょっと私は一線を越えてしまったのではないか?と悩んでいます。私にとってアンナとエイドリアン、そしてゾーイとアナは私の宝であり、救いなのだと強く実感させられてしまいました。
こんな気持ちは絶対に表には出さず、ちょっと変わった東の魔女おばさんを全うすべく、密やかに生きようと頑張ってる。
...フランスと日本。そんな違いがやはり怖い。
本物はメッセージ付き。
ユニバーサルクラシックモンスター家族です。
狼娘、フランケンシュタインの怪物、ミイラ娘、そして吸血鬼。

アナは生まれた時、未熟で大変だったから、ジョークは通じなかったかも。
...それにアンナの表現、まずかったかなあ...吸血鬼にしてもちょっとデフォルメ過ぎた?...結構、似てたりして... :p
待つのに堪えられず、アンナが眠っている時間にそっと「ごめんね」ってコメントを残しておきました...
...で。オチです。ただ忙しかっただけみたい。
翌日、長い言葉を贈ってくれました。アンナ、私の事を"人生における特別な友達"だと...
私...感動して涙ぼろぼろです。
悩むっていいね。晴れた時、100倍心揺り動かされます。ナルシシズムだけど、真っ正直に向き合って、愛を配って、もっとすごいものを100倍貰った。
こんなに素敵な事はそう無いよ...あああ...
夏になって3キロ痩せました。痩せ始めた時は体力が持つかな?と思いましたが、近頃は体が軽くなりました。快調です。
でも暑さは容赦なく、ぐったり。
...でも幸せです。