春だから。花に食に、映画に浮かれて | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

春は瞬く間に移り変わる季節です。
ね~。春物って着る時期が殆ど無い。お洒落なんて言葉を知らない私は、機能的に程々に。

私の周辺では”つつじ”も終わり。あっと言う間でした。
週末から関東各地でつつじ祭りが執り行われようとしていますが、つつじが終わってしまっているところも多い事でしょう。
私は芝桜につつじと、あちらこちらを廻っておりました。祖母の介護も続けているので、あまり時間も無いのですが、隙を見ては飛び出していました。
先日は1日まるまる任せられるので、20km程の道程を母と自転車で出掛けました。花見は勿論、筍を入手する旅でした。
旅は順調、ほどほどの筍を手に入れて、大満足。写真くらいのものを4本、欲張りました(*^^*ゞ
でも欲張りすぎて処理に苦戦。筍ってアクのせいで吹き出物が出来やすくなるそうで...今、にきびに親子共々、悩まされています(。-∀-)アララ...

浮き浮き気分で帰宅していた時のことです。
私達は交差点に面した食堂の駐車場を横切ろうとしました。私は一歩先に横断歩道まで辿り着き、母を待ちました。車も多く、賑やかな交差点です。
ふと、何に気を取られたのか余所見をした母。...母の自転車は車止めに乗り上げ、そのまま体は宙を舞い、アスファルトに叩き付けられてしまいました。母の体は1メートル以上跳ね飛び、更に自転車が母を押し潰すように倒れました。
私は心で悲鳴を上げました。口からは「だから、無茶はしないでって言ったじゃない」と零れます。私は慌てて母の元へ駆け寄り、自転車を退かし、助け上げました。
母はよれよれと支えられて立ち上がり「大丈夫?頭を打ってない?」との呼びかけに「体を打ったみたい、でも大丈夫。頭は打ってないよ。腕と脚だけかな」と答えます。
母は思ったより大丈夫そうでしたが、やっぱり若くない。心配で成りません。以前、全身が痣だらけに成った事故のことや、腕が乙の字に折れたことを思い出してしまいます。母はまるで「痛くない」と維持を張る子供のように見えました。私は何度も「大丈夫?」と聞きましたが「問題無いわよ」と繰り返します。
帰宅を急いだ方が良いのか、ゆっくり様子を見ながらの方が良いのか分かりません。でも、やはりここは帰宅を急ごう...。でも。
私は母を食事に誘いました。私が自炊が好きなので、ついあまりしなかった事でした。
「ラーメンでも食べていく?」
久しぶりの大好きなラーメンに、母の緊張した表情が緩むのが分かりました。瞬く間に消える不安の種。
“その程度のこと”
それが今の私達にはとても意味深いものに感じられました。私は最悪の事をたくさん考えてしまいました。でも、どれも外れ。まだまだ私達には明日が有るみたい。
...やっぱり思う。何でもしてみるべき。無駄なようでも時にいい。
この日のラーメンの味は普段より何倍も美味しく感じました。

この日、ちょっと驚いたのは母の表情でした。
あれだけ弾け跳んで自転車に押し潰されて、それでも母は微笑を絶やさなかったんです。
私、以前書いたし、母にも何度も言い続けて来た私の信条。「最期の時は笑顔で」
大袈裟な。でも、なかなか難しい事だと思う。
ありがたかった。痛かったろうに、でも母は笑顔で居てくれた。
事故って当事者は勿論、目撃者も加害者にもとても衝撃的な事だと思うんです。心臓が止まるかと思うほど衝撃と絶望を感じるもの。私はその気持ちを誰かに味わせたくない。
母にやられました。すごい。

今現在の母はほぼ大丈夫です。まだ節々は痛いみたい。疲れ易いようにも見えます。でも今の私より元気かも。

そう。今の私はちょっと弱ってます。実は先々週から女性ホルモンを活性化させるホウ素を週一に減らしていました。もしホウ素が入手出来なくなったら私は大丈夫か試すためです。
しばらくは「問題無いかな」と思っていたのですが、一週を過ぎた頃から”のぼせ”が起き易くなり、二週目に入る矢先に、とうとう喘ぐほどに体調が落ち込んでしまいました。
慌ててホウ素を摂り入れたところ、体は少し落ち着いたようですが、まだよくは分かりません。

つつじの丘。
うちのお庭。薔薇です。私、夕陽に照らされて真っ赤...


天候も落ち着き始め、空気も温かくなりました。
そんなある日。深夜。痴呆の祖母が失踪しまして、夜中に探し回って大変でした。その日に限ってなかなか寒い夜だったので着こんで右往左往。なんとか無事でした。
当然、本人は、瞬く間に覚えていません。
せめて夏場にしておくれ。
もう毎日、お疲れ。色々、したいことがたくさん有るのに、出来ない事が増えそうです。
でも映画なら。

興味深い映画を観たので、ちょっとだけ。
2004年頃「ナイトウォッチ」と言う映画が公開されました。監督はティムール・ベクマンベトフ、主演はコンスタンチン・ハベンスキー。...聞かない名前でしょう。この作品はロシアの映画です。
内容は、かつて光の勢力と闇の勢力が争っていた時代があった。長い休戦状態が続き、現代に至ります。しかし、今、その平和は着実に崩されようとしていた。
大まかに言うとそんな感じ。とても大味ながら挑戦意欲に満ちていて、世界に衝撃を与えた作品です。3部作で作られる筈が、続編の「デイウォッチ」以降の情報は聞きません。((ヾ( ´゚д゚`)ノザンネン~
ロシア映画は後に幾つか観る機会が有りましたが、どうも観客を乗せるリズムに欠いていると思いました。決して駄目じゃないけれど、何故か盛り上がらない。多分、ハリウッド映画に慣れた私達のリズムと、ロシア映画のリズムが違うのでしょう。
充分、楽しめた「ナイトウォッチ」でさえ、そう感じていました。
最近ではトランスフォーマーっぽい「オーガスト・ウォーズ」や007っぽい「アルマゲドン・コード」と言う作品を観ました。どちらもなかなか観られるのですが、エンターテインメントの陰にどうも臭う「我が祖国」と言った絶対的感覚が心地好い視聴を妨げます。
やっぱりロシア映画は取っ付きが悪い...と思っていたのですが、先日観た映画「ラン・スルー・ザ・ナイト」はちょっと違いました。
主演はアンナ・チポフスカヤ。
カメラマンの女性は画家の恋人と良い関係を築いています。ある日、彼が殺されてしまう。しかしその直前、彼女は彼の家の前で犯人らしき人物を目撃していました。
警察の事情聴取を待つ中、彼女は警官達の中に目撃した男が居る事に動揺し、その場から逃走します。
執拗な追跡が続き、更に公開捜査により更に追い詰められて行く。
何故、彼女は狙われているのか?そして彼が殺された訳は?彼女は彼の残した絵から真実への扉を見出して行く…

陰謀張り詰めた感じに聞こえるかもしれませんが、実はそこそこシンプル。ありがちな話です。
この作品は、絵画に纏わる犯罪によって平凡な主人公が突然、安全な生活を奪われてしまう。そんな実直なサスペンスであり、なかなかスリリングでミステリアスな作品なのです。
見慣れた"ある記号"を使ったアイデア等も面白く、徐々に謎が明かされ、同時に周囲の人物を疑ってしまう、絶妙の展開は、充分な魅力を孕んでいます。翻弄さえされるでしょう。
しかし、その"翻弄"は魅力でありながら、爽快とは言えないのが残念でした。
たかが絵画の話に国の組織が動くものだから、国家陰謀説?贋作話程度?更なる犯罪組織の暗躍でも有るの?と、深読みし過ぎて混乱してしまうかもしれません。
ロシアの警察事情も分かり辛く、あげく風貌がね...味方なのに悪党面だったりして、いつまでも敵味方分からない変な緊張感を抱かさせられます。
ただハリウッドとちょっと違う展開と感覚は味わい深くもあり、もしかしたら癖になるかもしれません。

でもね、私が最も心惹かれたのは、主人公役のアンナの美しさ。よく見るロシア人の美しさとは少し違う、可愛らしさも伴った正統派美人です。
常にその美貌が輝いていて目立つものだから、映画の都合で逃走中なのにフードを取るシーンが多く「顔隠して~!」とやきもきさせられます。
過去を読み解こうとするシーンが多く、幸せな時の回想シーンは彼女の表情や所作に魅了される事でしょう。
そして何よりベッドシーン。露出こそ少なめですが、撮り方が巧みで麗しく、とても美しい。動きを利用した見せ方はまるで...そう、バレエのようでした。
本当に美しかった。快楽や欲を越え、誰もがあんな性交渉に焦がれてしまうかも?:p

ここで私の得意な?セクシー映画の話をしたいのですが、それは後日にして、もうひとつロシア映画を。「DRAGON」です。こちらは私が心動かされるほどの素敵な映画でした。
古き生贄の習慣を持つ世界。その事実は時代と共に儀式の上でしかなくなっていた。
しかし王女ミラの結婚の儀式の日。突然に現れた竜にミラはさらわれてしまいます。彼女は絶望に暮れるが、竜の島で思わぬ真実を知る事に成ります。それは呪われた竜の秘密。そして竜の心をも知る事に...
これはロマンス映画。「美女と野獣」のような映画です。
当然、ハリウッド映画の影響を強く受けているようですが、ロシア特有の美的感覚が作品を麗しく彩ります。映像の美しさは勿論、結婚式の衣装や装飾、白い肌に塗られる赤い染料(木の実の汁?)、雪に撒かれる木の実の朱色、無骨な竜の島...そしてふたりの世界。
優しさや労りが心を癒し心繋がって行くかたち。それが本当に美しく、愛らしい。
また内容以上に美男美少女が目を惹きます。
まだ幼く、身勝手で自分本位なミラが次第に愛らしく、まさにレディに変わって行く姿は、とても素敵です。人と触れ合い、労わる事で、人は覆いを纏う。それが「女」「男」なのかもしれない。
未然な無垢は、純然たるかたちへ。
まぁ、私みたいな者も居りますが、やはり「男と女」はまごう事無く美しい。
時に固執した呪いのようなものが人を違う形にしてしまうことが有り、それこそが「龍」で有り「野蛮」なのかもしれない。多くの者が持つ「見栄」や「執着」はそれに近い。かつて頼り甲斐の有る雄姿を見せていた婚約者イーゴリが卑しく見えるようになってしまうのは、その風貌からだけではない。彼には余計なものが胸に有り、足りないものが有るのです。
なら"龍"には何が有ったのか?

「オペラ座の怪人」や「ノートルダムの鐘突き男」「フランケンシュタインの怪物」...今作は忌まわしきドラゴン。どれも初めはコミュニケーションさえ難儀。
しかし知るにつれ、どんな人間、"存在"にだって愛する価値はある。そう実感させられる。
そして何より愛は人の心を救う。親からの愛はいつか失う。だから私達は別の愛を探す。人は愛が無くては生きていけない。しかし時にはそれこそが己を化け物にしてしまう。
このドラゴンは最後まで化け物であり続ける。それこそが歩んできた"人生"の成れの果てであるかのように。彼は人生に失敗した。しかし...

あなたはどんな人生を歩んで来ましたか?どのようなあなたを形作っていますか?
美しい?逞しい?醜い?羽根が生えて牙があって炎を吐く?

"龍"は変えようとする。
ただ心静かに、相手の言葉に耳を貸し、下らない事を積み重ねる。差し伸べる手に、「ありがとう」のひと言にも煌めきを宿す。
笑顔が増え、いつのまにか忌まわしき力は影を潜め、ふたりの世界は幸せに満ちる。その日々こそ、なんて素敵なことか...
人生はいつでも変えられる。

序盤、呪いの歌が奏でられる。終盤、その歌は愛の歌に変わる。その時、きっとあなたの時は止まります。
...私はぼろぼろ泣いてしまいました。゚(゚´Д`゚)゚。
人生の中で愛より大切なものはたくさん有る。でも、身を投げ打っても飛び込みたい愛は確実に有る。

こうして海外でも公開される映画が増えたためか、ロシアも国に依存しない映画製作が行われるようになったのかもしれません。良い映画が作られています。
かつてアンドレイ・タルコフスキー監督が共産党主義に反発し、SFや印象絵画のような手法で映画を撮り、国家による弾圧や規制の中で国民の悲鳴を全世界に伝えようとしました。映画も自由には作れなかったのです。
そんな過去は過去のままで有って欲しいと心から願います。


最後に。私の最も期待していた映画「午後8時の訪問者」を観ました。こちらはフランス映画です。
私の世界一大好きな女優アデル・エネルが主演です。
監督は名匠ダルデンヌ兄弟。
ダルデンヌの作品はいつも淡々としていてじっくりじわりと味わせて来る。情感が有りながらシニカルでもある、そんなタッチ。
今作も例に違わずでした。
女医ダヴァンは町医者の代行をしている。明後日からより遣り甲斐の有る医局への転身も決まっている。
そんな夜八時のこと。
来院ベルがなる。ダヴァンは診察時間を過ぎているからと無視。その翌日、そのベルを鳴らした女性が命を落とした事を知らされる...

この作品は特別な事が起きません。何処の町にも一度は起こり、瞬く間に記憶の隅に消えてしまう程度のこと。
誰もが関わろうとせず、知ることさえないかもしれない小さな事件。
でもダヴァンは知ってしまった。女性がダヴァンに助けを求め、無視したことで命を落としたと言う事実を。
誰もが「あなたのせいじゃない」と言う。しかしダヴァンは悔やむ。
普通は言い訳をしてでも人は動かない。
でも些細な理由を見付けてしまった。亡き彼女を何処かで待つ人がいるかもしれない...
執着してしまった彼女の行動力は並大抵じゃない。
完璧なキャリアまで捨てて彼女は抱える罪深さに向き合う。涙を流し悔やみ傷付き、また涙を流しながら。
彼女は酷いめに逢うことに成ります。何度も挫けそうになりますが、ただただ、諦めません。
"誰か"のために。
ただそれだけの必死な願いは関わる人達の心をゆっくり紐解いて行きます。それは確信の告白まで導くことに。
人は悩みながら生きています。善は無く悪も無く。
ただ労り、時に叱責し、また労る。
そうして人はまた悩み、たくさんの想いの中から選び、受け取り、繋がっていく。
正しい事なら尚更に。

この映画の殆どの登場人物は優しい。人並みに優しい。
そんな小さな優しさがダヴァンによって集められて、ひとりの少女の"名前"に辿り着く。
労りを諦めないこと。それはきっと誰かに届き、最後にはあなたを癒す。そんな姿を見せられます。
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれない。偽善だ、詭弁だと思うかもしれない。でも誰もが観終えて、この作品に思う筈。
良かった...

アデル・エネル。私の焦がれのひと。
涙の演技は彼女に敵う人を知りません。常に人を見て心で何かを語ってる。唾をのみ想いを巡らせ、こぼす言葉...足りない言葉...でも想いは届く。
私には届いちゃった...アデルに関しては「愛しすぎた男」には敵わないけれど「午後8時の訪問者」は作品として素敵な読後感を味わえる逸品です。
アデル、やっぱりあなたはすごかった。最高です。

...私、綺麗な女の子が出ていると、惹かれやすいみたい。まあ...当然だよね。憧れ続けて幾年月なんだもの。