私はそこにいる平凡なトランスジェンダーである。
水商売やショービジネスで活動するわけでは無く、ただ存在する俗に言うオカマである。
性を武器にしない。ただ性を隠さない。感情に正直に在り、その全てを受け入れようと思ってる。
この世の全てを経験し、躊躇うものはこの目で見据えよう。人を恐れず、人を信じ、求め、求められる事を望み、時に傷付き、挫けて、嘆いて、眠って、忘れて、今日も元気。
風を感じ、空を仰ぎ、感覚を受け入れよう。それで充分。
私はあなたの隣りに住んでいる、夢見るトランスジェンダー。
先日、あるMtFトランスジェンダーの方と少しだけお話をしました。
彼女はGidレズビアンで綺麗な女性だけが恋愛対象で...トランスジェンダーとして在る事をまるでファッションのように語ります。
人生論も高らかに口にし、いじめや性同一性障害診断、性別適合手術をも戦歴のように誇らしげでした。
私は感情移入出来たし、特にどうこう思いはしなかったのですが、どうも微笑ましくは聞いていられませんでした。
私って多くのトランスジェンダーの方々と「私たち、似ているね」と思える事が少ないです。親いものを感じる子は居るのよ。でも、寄り添おうとすると不思議と私がズレ始める。
人はそれぞれ違うものだから、それこそ個性と思いたいけれど、気付くと私だけひとりになってしまっている気がするの。
目指す"像"が違うのかな?
多くの子がオードリー・ヘップバーンやスーパーモデルを崇めて近付こうと努める。生き抜くためか、それこそがスタイルなのか、風俗に躊躇い無く自分をさらけ出す方も。
確かに後者は私の一部、いえ、前者も一部。でも、ちょっと違う。
誰にも名前も知られる事無くヌードモデルをしているような子達。社会の中でいかにもなトランスジェンダーで、周囲の人たちに笑われながらも気にしないで堂々と道を闊歩する子...その辺りに私が居る。
先日「ダラス・バイヤーズクラブ」と言う映画を観ました。
ダラスで薬会社主体の実験的HIV医療に抗って未承認治療薬を売った実在の男の話です。
この作品の中にひとりのトランスジェンダーが登場します。ドラッグ中毒でHIV、ぼろぼろに成りながらも無軌道に、でも必死に生にすがる彼女。
その姿に私は今までで一番、自分を見たような気がしました。
何が”私”なのかは分からないけれど、ジャレット・レト扮するレイヨンに私は私を見ました。
映画はゲイ差別も厳しい時代の話。この時代にトランスジェンダーは街を歩くのも大変だった事でしょう。
私なんて先日、以前、前開きのトップスに見せブラとばかりの格好をアップした事が有りましたが、同じ格好で出かけようとして、ふと、玄関から出られなくなってしまいました。
周囲の目が怖くなってしまったのだと思います。震えたりした訳ではないのだけれど、やっぱりさ、ブラを見せて歩く元男だもの...私を受け入れてくれているたくさんの人達も引いてしまうかも…そう思ってしまったみたい。情けない。
でも、出掛けたよ。私は髪をいつもより念入りに梳かし、二度もトイレに行ったけれど、堂々とヒールの有る靴を履いて、全世界に身を晒したの。大袈裟です。:p
みんなはすごいよね。自分への自信に満ちてる。
私はみんなのようには出来ないな...
私は平凡でおブスなオカマ。でも、あの全力で磨いたろう麗しき肢体を見せ付ける名も無きヌードモデルや、血と涙のドレスを纏ったようなレイヨンの颯爽とした姿のように、残りの人生を生き抜いてやりたい。
レイヨンは愚かで馬鹿な女。友が自分を大切にしろと促し続けたのに、自らを追い詰めた。逃げた。
レイヨンは退廃と絶望、諦める悔しさを知っていた。私もそれを知っている。だから、この世の全てから目を反らさない。
「ダラス・バイヤーズクラブ」は決して面白くない。でも私の心を虜にした。
私もレイヨンのように最期にはこう言ってやろう「死にたくない」と。でも私は苦痛に喘いでいても、その表情は笑顔であろう。
だって私は素晴らしい"今"も知っているのだから。
トランスジェンダーの人生よ、こんなに素晴らしいものはない。それが私の人生。
もうきっと私には来世は無い。だってもうこの世に執着する理由は無いから。こんな素晴らしい時間を味わえたのだから。
出掛けた帰り、信号を待っていると、トラックの運転手が軽くクラクションを鳴らしました。
道端には私と2人のちょっとヤンキー系の綺麗な女の子。2人はちょっと笑いながら「私?」と顔を見合わせる。そして私を見遣る。
するとトラックの運転手は身振り手振りで「そっちじゃない、君達だよ」と2人にアピールしました。
信号は変わり、トラックは2割り増しで吹かして揚々と去りました。
残された私はちょっと立場が有りません。私は精一杯笑みを浮かべました。
きっとあまりに哀れだった事でしょう。
しかしその2人はこう呟きました。
「失礼な奴ね」
私は心でそっと「ありがとう」

私はこんなんぢゃ♪
ここ数日、ちょっと肩を痛めてしまいました。痛みなのか痺れなのかちょっと厄介で、それは首や腕にまで及び、PCやTVさえも観られなくなるほどの時も。
そんな時はダイレーションなんてとんでもない。体もダイレーターも支えていられません。
母は「おばあさんになったのね」と冗談めかしますが、腕は上がるし、自転車にも乗れる。うん十肩では無いみたい。
ただ肩が突っ張って首が痛くて、目が疲れやすい。天候不順による風邪も手伝って、頭も痛くなってしまい、もう踏んだり蹴ったり。
ただ、そんな時でも食欲だけは落ちず、食べ過ぎてしまい体重が復活。ひいい…
でも、意識と言うものはすごい。食は増えたくらいなのに、ただひとつまみ控えよう...そう思って実行するだけ。それで体重を維持させました。
焦がれ人視聴ダイエット大作戦も継続実行中。体重の減りは弱くなって来ていますが、まあ、ほどよく健康です。
私、普段、健康過ぎる為に以前から不調に弱く、ちょっとした体の傾きで、ばたりと倒れがちです。
そんでもってある日は何故か体が重い。”のぼせ”もある。
「またいつもの」と言いたいのですが、この日の重さはいつもの比じゃない。何かが違う。
で、ふと。
私が女性ホルモンを服用し始めて、初めて筋力の低下を感じたのは、排尿の時でした。尿の出が鈍り、残尿感が有りました。
次第に筋力が戻ったのか、そんな感覚も無くなっていたのですが、この”のぼせ”の始まりから途端に、排尿の勢いが滞りました。
あわわ...
しかし、それも2日。のぼせと共にさりぬ。(* ̄∇ ̄*)オホホ
そんな時、ふと自分の足を見て...あれ?太いパイプが2本生えていたと思っていた脚が、ちょっとだけ違って見えます。
腰から下だけを見れば、如何にも男性プロレスラーだったのに、今は...
女性?
ごつい膝が太くて土管にしか見えなかった脚が、不思議と細く見えます。
太ももが太い部分と細い部分にメリハリが付いたから?
太ももの内側が当たるようになったかな?股ずれおこしそう...
ふくらはぎにも肉が付いた?
腰肉がしっかり綺麗にふっくらして、太いながらもメリハリの付いた脚は、なかなかの女脚。3割ひいきめ。(^∀^;)...ま、それくらいですが...満足ぢゃ。

コルセットもたまにだけど使っています。
普段に使うと寝転べないのよね~...
腰ライン良いでしょ❤
それでも女性との違いを実感する日々。
体の細さ、顔立ちの柔らかさ、体付きの滑らかさ、声の美しさ...そしてくしゃみ。
悔しいほど"くしゃみ"が近付かない。
先日、お店で、私が「はっくしょい!」とくしゃみをしてしまうと、釣られるように女性が「くちゅッ」とくしゃみを...
あれ、絶対に出来ません(*T^T).+:。
女への道はまだまだです。
週末は父の日ですね...
私、先週末に、終わらせてしまいました。
TVで「父の日がある」と聞いて思い込み、母まで勘違い。つい、呆けを晒してしまいました。
あああ...
このネット社会で、凡ミスをしてしまうとは。
父とのコミュニケーションは停滞しているので、そっと父の元へ贈り物を置いておいた私。
いつもなら返事も無く、どう成ったかも分からない父の日の贈り物でしたが、今年は珍しく母に伝言が。「ありがとうと言っておいてくれ」との事。
私、ちょっと浮き浮き浮かれてしまいました。
私は家族には「不完全な最も完璧」を心に決めています。何かが足りなかったとしても、その中で最大限の完璧を目指すこと。どれだけ父に厄介者扱いされていても、愛は配りたいのです。
結果、まあまあですね。:p
えへへ...
先日は初めて父の前で髪を下ろしました。
いつもは父の前では髪を束ねてアップにしていて、リラックスしていても父が来ると、慌てて髪を束ね上げたものでした。
ですが、初めて下ろしました。
その日は体にぴったりの服を着ていたので、体のラインも胸の膨らみもしっかり。父はきっと気に成ったことでしょうけれど、特に何も言われませんでした。
聞かれた方が楽なのか、何も言われない方が楽なのか。
ただ、そういえば最近、嫌みな態度は減りました。
良い兆候?( ̄∇ ̄*)ゞ
それから、ようやく祖母が退院しました。しばらくは今まで以上に付き添わなければいけませんが、ようやくひと落ち着き。
疲れてはいないけれど、ふと、みんなの笑顔が明るく見えます。
不幸や不運は人を近づける。いいえ、幸運を知る為の肥料。実は既に有るたくさんの幸せを思い出す贈りもの。
そう思い出せました。

合間、ラベンダー畑に行きましたが、どんより天気。蜂さんはせっせと蜜集め♪
やっぱり絡まれました。
日本テレビ系LGBT特集の第一弾「あしたのパスタはアルデンテ」を観ました。
正直。面白く有りませんでした。退屈。
ゲイで有る事を告白しようか悩んでいる弟。しかしその前に兄がゲイ告白。弟は言えず、父は憤慨、家族は迷走。そこに家業のパスタ工場を継ぐ話と、心の傷のある女性との友情話、祖母の過去...を絡めたシニカルコメディ。
なのですが、調理が最悪で、どれもグタグタ。要素の関わりも中途半端で弱く、成長や心変わり、意外性、秘密の暴露や共有...そんな期待はほぼ全滅。
あくまでイタリア映画らしいとは言えますが、私は...ごめんなさい、イタリア映画の名作を殆ど知らない。
あまりにシニカル設定なのにその描き方が格好付けで温過ぎる。私は嫌いでした。
ゲイの描き方も決して褒められない。悪くは無いけれど。それ以上は何にも無し。
はあ...厳しいわ。
そして第二弾は「ぼくのバラ色の人生」。
イラン映画だったかな?と思っていたら勘違いだったみたい。別な映画と混同していたようです。
1997年ベルギー、フランス、イギリスの合作ですね。観た事だけは覚えているのですが、殆ど記憶にありませんでした。
トランスジェンダーの映画なのに…
で、観ました。確かに観ていました。
自分の性の在り方に悩む男の子。彼の素直な行動は周囲から見れば異質で忌まわしいもの。家族のために私のために悩む中、男の子は夢想の中に居場所を見つける。
改めて観て、どうも…これ、誰に向かって作っているのでしょう…
LGBTとは関係無い人が、別な意図で作った作品だと感じてしまいました。興味深いし、悪くは無いんだけれど…中途半端。
子供っぽ過ぎて私の心に触れてこない。
私は大人に成ってしまったのかな…
今回のLGBT特集は「どうしてこれを選んだの?」と頭を抱えます。
掴みでこれ?
私なら、もっと良い作品を選べるよ。でも、残す2本はなかなかです。
お楽しみに。
私は、ただ生きている。
朝起きて、食事をし、一日を味わうように時を過ごす。
日の光と共に生を刻み、帳に追い立てられて体を休める。
目を瞑り、静かに思う。
舌の上で美食を転がすように、記憶をじっくり味わい倒す。
私の今日はどんな今日だったのかと。明日はどんな明日になるだろうかと。
温かい綿の御腕に抱かれて、静かに心の縒り紐をそっとほどく。
柔らかく、さざなみのような安らぎが、私を押し流す。
さあ、そろそろおしまい。
耳に囁く母の言葉。おやすみなさい。
