女性化への変化が無いので、ちょっと過去話 | まりのブログ

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性同一性障害者の私が、思いのままに生きるために頑張って生きてます。
性別適合手術をしてから2年になりました。
私はトランスジェンダーとして誇りを持って生きてます

私が自分の性に疑問を持ったのは、多分、幼稚園の頃が初めてだろう。全てのものに格好いいより可愛いが欲しかった。まあ、親は良かれと青色系統のものを揃えてくれるのだけど、私はあまり嬉しくなかった。
泣き虫でひ弱。微笑ましい女の子とのエピソードなど全く無く、頼り無い男の子。
そうして育ち、仮面ライダーやガンダムを一通り謳歌してそれなりの男の子に育った。
何故か上級生のいじめの対象になりやすかったのは、彼等の本能的不快感かもしれません。

振り返ると、やはり気配は顕著で、おしゃれな靴を欲しがったり(当時、靴ひもの細い靴は男性ではハイセンスだった、と思う。おしゃれブーツを買ったりもしてたね)髪を伸ばしたがったりしてた。ゲームで性別が選べるとほぼ女性にしてたし。

転機は高校生。それまで、全く女子との交際さえ無かった私は、相変わらず"恋"など無縁なままなのですが、女の子友達のバレエの発表会に出掛けた日でした。千葉のJR船橋駅のトイレで年配の男性に声を掛けられ、そのまま個室へ。
人生初のオーラル経験をされました。
特に良くも無く嫌悪もありませんでしたが、驚く事にその日の帰りには電車内で男性に痴漢をされました。立っていたのですが、横にいた人が私の股間に手を伸ばしてきて、あてがうようにぺたぺたと触れていました。結局、それだけだったのですが、私の心には、全く不快感の無い経験として今日まで記憶しています。
それからは同性愛だと思われる友達に好意を持たれ、性交渉などは全くありませんでしたが、手を握ったり一緒の布団で眠ったりしました。今、思えば、学園上位のイケメンだったので、何かが有ってしまえば良かったのにと後悔しています。:p
そんなやわいエピソードは有りながら、女性との交際は無かった。
専門学校では美術系の男性から肌が綺麗だと会う度に言われ、そこそこ嬉しく思い、バイト先では店長に尻を撫でられ、翌日に店長の奥さんに嫌がらせを受けて強制退職させられた。
でも、まだ目覚めを認識してなかった。多分。
でも、いつからだったろう。新宿三丁目に行き始めたのは。
店に入るでもなく、3人と触れあったけれど、それ以上はドラマも無かった。
私は同性愛なのか?それは今でも分からない。
一度だけ、男性と体を合わせたことがある。でも、私のあれは、勃起と萎えを繰り返し、全く行為に及べなかった。
そんななのだ。
男性器が好きかと言われれば、嫌いではない。自分のは"有る"ことが嫌なだけ。性的な行為が嫌なわけでもない。たまに毎日のように自慰行為を続けてみるが、普通に感じてる。ただまあ、女性の体には焦がれが強く、レズの美しさは(日本のどろくさいのより、海外のあっけらかんとしたものが好み)私の性的興奮をさほど煽りません。私には世界遺産の番組と変わりません。

私にはそこそこ女性の友達がいる。しかし、女性との性的な経験は一度も無い。
私は買い物やおしゃれの話が大好きだ。
私は、男でいて、男である事を望まれる人生より、女として美しくありたいと願う。自分を否定はしないから、整形手術はしないし、声も今のままでいい。可愛い格好はしたいけれど、スカートに拘りもしない。

私は変だろうか?何なのだろうか?
未だに全く分からない。ただ、女性ホルモンを摂取している今、初めて幸せに近いものを感じている。
失望の極みだった薄くなり始めた髪と粗い肌質、そして、もし、胸元が変化したら、私は胸を張って明日を歩いていける。
いつか、性転換はしたい。膣に焦がれはさほど無いけど、愛されたい願望は強くある。それは、性的な行為が一番実感しやすいとは思うから。

もし、女性から愛される事があったら人生違ったろうか?と時々思う。
違ったろうね