facebookにて、

この本には凄いことが書かれている…

 

あこぎにやれば、

セミナーで一人十数万円は取れる、

 

と書いたところ、

なかなかの数のかたから反響がありました。

 

ワクワクする知識は人に伝えたい性分ですので、

言葉足らずながらもシェアしたいと思います。

 

ずばり、タイトルは「神々の沈黙」

 

 

なんか宗教本やスピリチュアル系っぽいですが、違うんです。

サイエンスであり、哲学書なのです。

 

中身が分かると、「神々の沈黙」という意味もビビッと来ますよ。

 

テーマはざっくりいうと「意識」です。

 

私達には意識があります。

しかし、意識って何でしょうか?

 

「へ?」ってなっても安心してくださいね。

哲学者や科学者でさえ完全には理解していません。

 

 

でも、重要なのは、

私たちは「意識」がなくても色んなことができるということ。

 

人によっては「眠っている以外、意識はあるよ!」と言いたいかもしれません。

でも、ほんとうですか?

 

たとえば、ピアノを弾いているとき、

どの指でどの鍵盤をたたいているか、

視線はきちんと楽譜を読んでいるか、

「意識」しはじめたら、逆に混乱してしまうのでは?

 

そう、私たちの生活において

案外、意識がなくても生きていけるのです。

 

 

で、著者は独創的で、鳥肌が立つ仮説を立てたのです。

それは…

 

「太古の昔、人間に意識はなかった。」(どん!)

 

と。つまり、車の自動運転みたいに動いていたってことです。

 

私たちはケーキを見たとき、

「食べたい!」「いや食べたら太る」と深く迷うとき、

この瞬間、たしかに意識はありますよね。

 

意識がない人間は迷うことはなさそうですが、違うんです。

「いや食べたら太るぞ!」と、の声がささやいていたのです。

 

 

そう、神が!

 

著者は遥か昔の物語を読み解くと、

使われている言葉に「意識」を匂わすものがまったくないと気づきます。

 

そして、登場人物は何かと神の指示を聞いてばかりだと。

 

そういえば、金八先生の再放送で、

「心の中で、やっちゃだめだ!って声が聞こえるだろ?それが神様だ」って

言っていたのを覚えているんですが、これはかなり図星だってことです。

 

そして、「意識」が発達するにつれて、

神の言葉が聞こえづらくなった。

 

「祈り」という行為が流行しはじめるのも、この時期と一致する。

あんな仰々しいことをしなければ声が聞こえなくなってしまったんですね。

 

 

いや、しかし、これ見方を変えれば、

私たちも神の声が聞こえているということです。

 

私たちが、何か思いついたり、何かをやめさせようとしたり、

それは古代の人々があがめた神様の名残ってことです。

 

いよいよ、タイトルの意味が分かってきたのではないでしょうか?

私たちは高度な意識を持ったことにより、

神の声が聞こえなくなったのです。そう、「神々は沈黙」したのでした。