こんにちは
2人目不妊治療のことと、流産手術で味わったココロの傷についてでした
もうあきらめた…手放してみた結果
流産後少し治療を離れました
それから気を取り直して4回目の採卵・移植をしましたが結果は陰性
長女もそろそろ年長さんになる頃のことです
〝あー、もうやめよう〟って思っちゃったんです
2人目治療をしていた私は35歳で、1人目の時より格段に採卵で採れる卵子が減って、なかなか凍結胚ができなかったんです
やっぱり採卵はハードですよね
内膜も1人目の時は10㎜以下になることはなかったのに、7~8㎜が精一杯
色々諦めがついてきた感じでした
それで、もしものために残しておいたベビーベッドやベビーカーなどほとんどの物を処分しました
当初の希望通り、たった一人でも授かったことへ感謝して私の不妊治療は終わりました
なぜか最後にもう一回…
長女が保育園卒園を控え、4月から小学校に入学する
そんな準備をしていた2月、〝本当に最後、もう一回〟と思ってしまいました
心のどこかで諦められない思いがくすぶっていたのです
小学校に入ったら、なかなか遠出の通院ができなくなるから、本当にこれで最後!と病院へ…
採卵周期に入りました
採卵の日、札幌で地震の揺れを感じました。
岩手で大きめの地震だとホールのテレビで報じていました
その二日後、東日本大震災が起こりました
卒園式を終え、なけなしの胚盤胞を1個移植しました
3月下旬、陽性判定
次の週、胎嚢確認
その次の週心拍確認
入学式を終え、お祝い返しに忙しく回ったりしましたが、4月末不妊治療を卒業しました
一度は手放した2人目への希望でした
最後にもう一回と思ったのもタイミングだったのかもしれません
内膜も7mm台は変わりませんでしたが、ちゃんと着床してくれた
1人目の時は移植後、卵を抱く鳥の如く、温かくしてじーーーっとしていました
2人目の時は、パートでも仕事をもっていたし、長女もいたので安静ということは全くできず、普段の生活に+通院、注射と
忙しく動いていて、結果なんて気にしないで生活していたのがかえって良かったのかな?と感じました
こうして次女も無事生まれ、本当に私の不妊治療は終わったのでした
お休みも入りますが、足掛け10年頑張りました!
振り返ってみて思うこと
詳細は省きましたが不妊治療経験と妊娠・出産で、私の助産師としての幅が広がったと思います
たくさんの経験と色んな感情を味わい、当時いつも思っていた事
それは、〝身体の痛みは何とかなる、でも心の痛みはどうにもならない〟と言うこと
当たり前にSEXしてたら妊娠するものだと思っていましたし、〝不妊〟ってどこか他人事でした
当たり前のことが自分には手が届かなくて、頑張っても叶わないかもしれない恐れ…
その恐怖に打ちのめされていた感覚です
些細な身体の症状にも一喜一憂したり、本当に感情の波を〝ジェットコースター〟とはよく言ったものです
〝努力はうそをつかない〟とかそういう問題でもなく、頑張ったことが評価される事でもなく、結果が全て
そして終わりは誰も決めてくれないのです
結果を得られるか、断腸の思いで諦めるか、納得して(100%納得はしないけど)諦めるか自分たちで決めるしかない
夫婦としてその先どうあるのか?
などなど、割り切れない思いやその先の人生、ありとあらゆる感情を浄化させられた人はいるのでしょうか?
とにかく私は夫でも友達でもなく、〝誰か〟に聞いて欲しかった
吐き出したかった
弱い自分も、真っ黒い感情も、全部全部聞いて欲しかった
そんな思いが何年も何年も奥底にあったんですね
そして自分が聞く側の人間になりたいと思ってました
何かできないかな?
それがサロンでした
潰れた心を癒すために選んだのはハーブボールでした
ハーブボールを選んだことはまた今度
心と身体を包み込むハーブボール
そして子宮を手当てできるチネイザン
心とちゃんと向き合えるサロンを作りたいと始めたんです
妊活や不妊治療を最大限頑張っている方が、心と身体が壊れないように…
壊れかけちゃってる方はちょっとお休みできるように…
そんな止まり木みたいな場所・人でありたいです
そうすることで私自身も癒されることになるのです
妊活はマインドの影響が大きいです
真面目で、思いが強い方ほど深みにはまります
妊娠への執着に近いマインドは、かえって妊娠を遠ざけかねません
食べ物・サプリ・生活習慣…頑張らなくていいです
あんまり良くないことは修正させていただきますが
前に進むことも、立ち止まることも、もう進まないことも一緒に伴走します
サロンに来られない方でも無料相談します
公式LINEかDMでご連絡ください
ここまでお読みくださりありがとうございました
何気にまた続きは今度また