令和6年3月8日


乳ガンの手術から1年


令和5年3月8日、右胸全摘


麻酔から醒めて3時間後の20時頃だったかな?しっかりと離床して、看護師さんと病棟を歩いた走る人


特に痛みは感じなかったし、右胸が失くなったという実感もなかった



色々あった1年ショボーン



術前の化学療法で、ボロボロになっても、職場の助けもあり働き続けることができた


ペットボトルも開けられなくて、施設長にあけてもらったことも…笑い泣き



なのに、術後、職場復帰して、放射線治療前の事務員の心無い罵声


みっともない格好で

人前に出られないでしょ指差し



私の中の、

頑張る力、生きる力

が燃え尽きた日



その後もいろいろとあり、「みっともない格好」は療養者にはある程度言えること、だから言われて当然はてなマーク認めなさい、と法人の顧問弁護士と法人理事長の見解



わざわざ自宅まで押しかけてきて伝えたかった一言(モラハラ発言がモラハラと認められなくても人前に出るな!といわれた精神的・心理的ダメージで休職中)


もう涙しか出なかったえーん


やっぱり、病気にならないとこの苦しみはわからないんだなぁ




未だに、外出する時はつばの広い帽子を被って、車の運転のときだけつば(ブリム)を上げて、顔が見えないようにしている



顔を上げて外出は未だに怖い


病院は好奇の目で見る人はそんなにいないと思う、でも、帽子は必需品になっている


カウンセリング中も…

リハビリ中も…

受診中も…



胸の虚無感、ストーンと落ちる感じが、なかなか消えない、そしてその後の、動悸、頻脈



苦手な人の声を聞いただけで、頻脈になって、どう呼吸してよいかわからなくなる





ガンになって、療養してる人で、理解のある職場で働いている人が多い時代



昭和より酷い男尊女卑の法人理事、ヒエラルキーの頂点に立つ一般事務と主任ケアマネ




早く縁を切らなくてはと思いつつ、なかなか踏み切れない自分




術後の化学療法も止めて、タモキシフェンも飲んだり飲まなかったり、リュープリン予防接種はソロソロかな。




ステージⅢb


再発率は…、でも術後1年未満に標準治療が終わればの確率、私は拒否してしまった



1年前の今日に戻れるなら戻って、このモヤモヤを消したい