アーロン博士の書籍の

 

P203

"自分を「人見知り」だと思うのは自己欺瞞である"

 

こちらの章を読んで思うのは

決めつけや思い込みって怖いなーということ。

 

 

「人見知り」についての

心理学的実験について書かれているのですが

とてもわかりやすい!と思いました。

 

「人見知り」とは

単に神経が高ぶりすぎてしまった状態だと

理解することの重要性を教えてくれています。

 

 

実験内容は、

「特に男性に対して極端に人見知り」だという女子学生と

「それほど人見知りでない」女子学生の比較で

若い男性と実験室で話してもらうというもの。

 

男性は女性について何も知らないし

どの女性に対しても同じように接するようにと指示されて。

 

 

ここが大事なのですが!

「人見知り」の女性グループをふたつに分けて

 

ひとつのグループには

心臓がドキドキしたり、

脈が上がったりといった神経の高ぶりは

騒音のせいですよ、と言い聞かせた。

 

 

神経の高ぶりは騒音のためだと言い聞かされた

「人見知り」グループの女性は

 

「人見知りでない」女性と

まったく同じように男性と話をし、

会話をリードした女性もいたという。

 

騒音が神経の高ぶりの理由と聞かされていなかった

「人見知り」の女性たちは男性とあまり話をしなかったそう。

 

 

男性にも

どの女性が人見知りだったか?と聞くと

 

もともと「人見知りでない」女性と、

 

騒音のために神経が高ぶっていると聞かされた

「人見知り」の女性の区別がつかなかったと。

 

 

しかも驚きなのが

 

騒音が「神経の高ぶり」の原因だと

言い聞かされた女性たちは

 

この実験のあと

それほど人見知りではなくなったそうなんです!

 

「神経の高ぶり」の原因は

一緒にいる人のせいではないと思えるようになったからだと!

 

 

神経の高ぶりは騒音のせいだよー!と

原因を認識したことで思い込みがなくなり

 

原因は一緒にいる人じゃなかったんだ!と

「人見知り」というレッテルが剥がれ、

 

実験で男性と話ができたことから

成功体験による記憶の書き換えが行われたのですね!

 

 

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。では

 

「敏感さ」と「人見知り」は混同されることが多い。

あなたは本当は敏感な神経システムを持っているだけなのに「君は人見知りが過ぎる」などと言われる。

「人見知り」は、ある状況に対する反応でしかない。

これはあくまで一時的な精神状態であり、あなたの生まれ持った資質ではないのだ。

「敏感さ」は遺伝するが、「人見知り」は遺伝しない。

わたしはまったく人見知りでないHSPにもたくさん会ったことがある。

 

とのこと。

 

人見知りだと思っているなら

失敗したと感じることがあったとか

「あなたらしくない」と言われたとか

どこかに何か原因があるはずだそうです。

 

 

一度失敗したくらいでは

「慢性的な人見知り」になることはないそうで

 

同じ状況に出くわしたときに

失敗体験を思い出して神経が高ぶってしまい、

同じ失敗を繰り返す。

またの機会に勇気を持って振舞ってみるものの

神経は高ぶりすぎていてうまく行動や発言ができず

周囲に「人見知りな人」と扱われてしまう。

このパターンを繰り返すうちに

そこに人がいるというだけで神経が高ぶってしまい

思うような行動ができなくなる。

 

ということ。

 

 

博士は

 

「人見知り」というHSPに貼られがちなレッテルを

自身がそのまま鵜呑みにすると3つの問題に陥る、とおっしゃっています。

 

・間違った表現を受け入れること

・いわれなき汚名を受け入れること

・自己欺瞞に陥ること

 

 

HSPの「敏感さ」ゆえの行動が

周囲には「人見知り」と映ることもあるかもしれません。

 

でも

 

HSP本人が

「敏感さ」と「人見知り」を混同することは

自分自身でレッテルを貼り

 

そうであると決めつけ

自身で制限をかけてしまうことと変わりありません。

 

 

そして

生まれ持った「敏感さ」と

精神状態の「人見知り」をイコールとしてしまうことで

 

先の実験のように

対応次第で変化を望めるものを

 

生まれつきだからしかたないと

敏感さを言い訳にしてしまったり

変わらないんだ…と落ち込んでしまう原因になるのです。

 

 

人見知りがいけないと言っているのではありません。

 

ですが、

残念なことに「人見知り」という言葉には

ネガティブなニュアンスが含まれていると博士もおっしゃっています。

 

ネガティブなニュアンスの含まれているものと

生まれ持った敏感さを混同され

レッテルを貼られ広がってしまうことは

我々HSPも望むところではないはずです。

 

 

そのためには

HSP自身がこれらを混同することなく理解し

 

自身を決めつけや思い込みで

縛りつけないことじゃないかとわたしは思います。

 

そして

 

混同せずにそれぞれを受け止めることは

生きづらさから抜け出す近道でもあります。

 

 

敏感であることは

不利なものを抱えて生まれてきたことでは

けっしてありません。

 

HSPの概念が

あきらめや言い訳になってしまうものではなく

 

自分らしく生きるきっかけになるものであってほしいと

強く願います。

 

 

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