上京してからの日々は仕事にまず慣れない。何していいのかわからない。先輩に動けと言われるが、どう動いていいのかもわからない。そんな日々でした。


工業高校を出ても勉強が役に立ってお仕事出来るものではない。そもそも大学行くために付属高校に行ったのだから、就職に切り替えるまで工業系に興味すらなかった。手先も不器用で機械いじりにも興味がない若者。馬鹿者が私でした。


それでも、親にこれだけの準備をさせてお金を使わせた訳だから、帰るところなんてない。親に心配をかけさせないためにもここで生活を成り立たせないと信頼なんて勝ち取れない。それには生活費抑えてお金を稼いで貯める事。それがここで働く全てでした。


独身寮に帰ってきても、誰かと会う訳でもない。すごく孤独でした。実家に電話しても忙しいとすぐ切られる。話したい時に話す友達がいない事。学生時代の躓きで友達を作る事が出来なかった自分。そうなるとお酒に頼るようになります。


気がつくと缶ビールの空き缶が列をなしているなんて事もありました。ポテトチップとお酒が主食なんて健康的ではないですよね。そんな成人の頃の私は少しだけ貯金が出来てました。そして、実家が手放す予定の車を引き受ける事にしました。


母が乗ってた普通車がマニュアルだったのでオートマの軽自動車にしたいけど、ローンがあり難しいと連絡を受けました。私はその自動車ローンを支払って自分で乗ることにしました。


成人の日は実家に帰省しました。会社の配慮で成人式に出られるように休みをくれたのです。その前後はめっちゃ仕事入ってたけど、若いので耐えられた。今に思うと若さだなーと思います。


無趣味な私が車を手に入れた事で車の維持費がかかるようになります。それでも貯金はしていかなきゃ。貯めたお金は故郷に戻す事。それが私の働く意味でした。少しずつ貯まる通帳の残高を眺める20歳。趣味は貯金か?って話ですよね。


そんな私の行動を熟知してる母。いつも私が電話をするのですが、たまに母からかかってきます。その時はいつも金絡み。ここまで読むとなんかわかりません?祖母と同じ行動なんですよね。金額の違いはありますけど。


かかってくる内容は妹の働き先で通販のノルマがあるから買ってくれって依頼でした。レトルトカレーや布団とか色んなものを買いました。ちなみに父が買ってくれた布団も妹の通販で買った布団も今でも現役で使ってます。(要は貧乏性です。)


少しお金が貯まると実家に家電を送ってました。掃除機にテレビ。ステレオに炊飯器等。少しでも実家の役に立ちたい気持ちのつもりでした。


しかし、それは親孝行にはなっていなかった現実を後で知ることになります。