今日も一日が終わりホッとする。よく頑張ったとは思うけど、まぁ、そこそこの積み残しはあるわけで。また頑張って出勤時に片付けよう。本来ならば明日が夜勤なのだが、妻の定期通院で付き添うためにお休みをもらった。金曜日に夜勤をやる予定になっている。

昨日の続きを書こうと思うのだけど、昨日の文章の終わりに考えてたのは就職してからを書こうと思って昨日のところで止めておいたのだが、もう一つお金にまつわる幼少期があったので、それを書いてから就職してからのことを書こうと思う。

それは祖父母と実家の関係についてだ。
我が家は父が3男。母が3女の組み合わせになる。よってどちらにも兄か姉がいるという事になる。我が実家は父の地元でもある熊本県で暮らしていた。熊本県は県庁所在地でもある熊本市を核にする都市。周辺自治体も巻き込んで熊本都市圏を成すところでもある。その熊本市との境界にある県営アパートが我が実家。そして父の実家はアパートだった。

かつてはかなりの土地があったらしいとの話は祖母から聞いているが、祖母はなんと言いますか、豪快な人で家庭的な人ではなかった。父の幼少期に離婚していて内縁の旦那がいる祖母宅であった。

それが悪いわけではないが、宵越しの金は持たないってのを自で行く祖母はその日暮らしの様相が強く。金がなければ年金を形に借金をする人でもあった。それは私が小さい頃からそうで、私自身もそういう生活をしてる事を理解していた。

そんな父の実家が故に父は祖母に金を無尽されることが度々あった。電話一本で金を要求される事も多かった。それは小学生の私ですらわかる事であった。

我が家も余裕なんてない。荒れ果てた生活。それは我が実家にも押し寄せる。母はその頃酒に溺れていた。アル中ではないけれど、めっぽう酒に強かった。酒屋さんが毎週1ケースのビールを持ってきては空き瓶を回収していく家。それが我が家だった。

それだけで足りずに自販機にお酒を買いに行く。当時はお酒の自販機も多かった。22時で販売規制が入っていたのも記憶にあるが、酒がないと規制を守らないお店の自販機まで私がお使いに行く。それもまた私の日常だった。

お金は大切。子供心に感じたエピソードにもなる。そんな酒で浪費してる我が家に祖母の金の催促。電話で喧嘩しては祖母との交流が絶たれる。それも私の置かれてる日常だった。

祖母は豪快な人ではあるけど、私にはすごーく優しい祖母だった。従兄弟は7人。その中でも特に可愛がられる存在ってのが一番上の孫と私だった。理由は簡単。一番上の孫は長男の家の孫である事だった。

じゃあ、私が何故可愛がられてたのか?それも理由が簡単。7人の中で唯一の男の子であったから。要はこの孫の中で祖母の苗字を最後まで名乗るのは私である事だ。別に跡を取るような財産一つないのに。それでも祖母は昔の人なので、跡取りって意味合いがあったのだろうと推測する。

祖母との交流が喧嘩によって断絶する。そして祖母は金の無心を父以外の兄弟にもしていく。それでも間に合わない。破産するとなると兄弟が集まりお金を捻出する。そしてまた交流が再開する。そんな流れが昔から我が家にはあった。

お金って怖いもの。それが私の実感したところで、身の丈に合わない生活は人間関係を壊す事も祖母を見て学んだ部分も大きい。

父はそんな財産もない何もないところから、母と結婚して県営アパートで我慢しながら暮らしていた。酒に溺れる母と飲めない父。我慢が爆発して豪快な喧嘩になるのも今になるとそういう事なんだろうなーとわかる部分も出てきた。そんな父は自分の家を手に入れた時どんな事を思ったんだろう?とちょっとだけ思う時がある。

幼少期から地元で暮らしてた時に私のお金の価値観ってものは作られた気がする。それでも高卒で社会に出た私はあまりにも無知なものだったけど。

これで地元時代のお金にまつわる部分はざっくりと書けたと思う。さぁ、次回は就職したおバカな高卒社員のお話書けるかな?