朝が今日もやってきた。ありがたい事に私は今日も生きている。朝から子供達の声が聞こえてくる。これが聞けるのもあと何年あるのだろうか?そんな事をふと思う。

私は18歳で実家を離れた。就職のために上京したからだけど、娘の年齢の時にこんな未来は想像も出来なかった。娘は中学生。その頃私はいじめのど真ん中に居て毎日が暗くて長いトンネルのど真ん中だった。頭にハゲ作ってた。坊主頭の中学生には目立つものだった。

中学3年で転校して、そのいじめからは解放された。親や親戚からは逃げてもまた追いかけてくる。何回転校しようとも逃れられないよと言われてはいたけど、まぁ、それは半分当たってた。無視される事はあった。ってか、転校したらほとんど誰かと会話した記憶はない。だが、面白いもので、高校受験とかでクラスの大半が居なくなる時は話しかけてくる。そこにめちゃくちゃ違和感を覚えた。人は自分の都合がいいように接してくる生き物なんだと。

高校は学力がない私なので、選ぶ事はほとんど出来なかったが、大学行きたかった私は付属高校に入学する事が出来た。当然進学目指してやっていく訳だけど、そこでは友達も出来た。クラスには小学校からの同級生もいたが、私に構う事がなかったので穏やかに過ごせた。

進学を希望して入った高校ではあったけど、高校2年生ぐらいで親に進学を諦めて欲しいと言われて就職に切り替えてぼんやり校舎を見るのが日課になった。「自分どうなるんだろう?あと少しで社会に放り出される。」不安はつきまとう。でも、それはきっと私だけではなくて、みんな一度はそんな時期を過ごすのだろう。

「逃げても逃げきれない。一度は逃げた人生だ。もう逃げない。」それが今まで継続してきた事になる。会社を辞めずにここまで生きてきた。20代の頃は転職は必ずみんながするものだと思っていた。自分の親の生き方が転職の繰り返しだったからだ。

長く働いてきたなーといつも思う。我が子には楽しい学校生活をと願い。自分の進む道は自分で切り拓けと願う。その支援は私の仕事だ。

休みの日に思う事。それは自分の進む道。認知症を患った母や我が子を想う。何が自分に出来るんだ?と。母にはあまり近寄りたくないのはある。母の価値観に自分がやられてしまうから。こうしなきゃいけない。貴方はダメなヤツだ。言われなくてもわかってる。俺はクズだから。

劣等感はいつもある。情けないな。ちっぽけな私。会社でもろくな事言われてはいない。人を信じない。多分それは自己防衛なんでしょう。

それでも私は生きている。交通事故で死ねなかったから。まだ生きろと言われてるんだろうな。そんな事を寝たきりのベッドの上で思った。

看護師さんにお世話になってここまできた。リハビリもきつかったし、立てない歩けないからのスタート。今も痛みや痺れはあるけれど、生きてる限り何かのカタチで世の中に恩返しを。それが私を助けてくれた医療従事者への恩返しと思ってる。

そして、我が子の進学費用と母の今後のことを考える。自分のワガママにお金は使えないなーと休みの朝は考える。

現実はいつも厳しいが、楽しい事を夢見て今日という一日を過ごそう。まずは今日もやれる事をやろう。

さーて。やりますか。明日からまたお仕事ですしね。やるしかないでしょ?頑張ってみます。