今日も朝から娘の声が響く。これで2日目。朝スッキリ起きて「おはよう!」の声が響く事。これは我が家にとっては当たり前ではない。朝から起きられなくて親との闘いを繰り広げていた娘の頑張りによるもの。ありがたいなと思う。ま、自分の足で学校に行ってくれればもっといいのだが、それはまだ甘えのある娘。うん。頑張って継続してそのうち自分の足で行こうね。私はそんな事を思う。


暖かい朝に春の兆しを感じる今日は3月になった。今日という日は私にとってまた思い入れがある一日だ。


自分の記憶と故郷の学校予定が変わりないならば、今日は地元の多くの高校では卒業式が行われるはずだ。


もう、かれこれ28年前の記憶。高校卒業の意味するものも知らずに世間に出た私だったが、振り返ると多くの歳月を関東の地で過ごしてきた事になる。


私の母校を目指した理由。単純な中学生の頭でバカな私が大学進学するのに一番有利な学校を選んだためだった。受験時どの科がいいのかもろくに考えもしないで一任なんてところにマークシートに印をつけた。そこで合格発表で自分の科を知る事になる。機械科だった。


中学しか知らない。それは多くの高校一年生の世界。そこで見えたものは異世界だった。大学進学を目指して朝課外を受けながら過ごした時間も懐かしいものだ。


それが就職にシフトチェンジしたのは2年生の終わりだった。実家にやめてくれと言われたからだった。思い起こせば自分は何者になるんだろう?と不安を持ち校舎から敷地内にある発電所の蒸気を眺める習慣がついていた。敷地内に発電所がある学校なんて多分そうはないんではなかろうか?受験時寒い外で待たされてる時に驚いたものの一つであった。


たまたま座っていた隣の人が私が今働いてるような仕事に就くのを目指してた。目標を失った私は隣の人に影響されて今の会社を目指して就活。入社試験対策課外を受ける。狭き門だったと思う。


地元から離れる事を目指してはいなかった。地元の企業に入りたい。そんな気持ちで取り組んでいたが、結果は関東にある今の会社になった。そして現在に至る。


振り返ると鉄道のレールを転線するかのように自分で前に進んでるのに、レールは違うところに導かれ、その上を走ってきたように思う。卒業の日に地元を離れる事。親と離れ離れになる事のホントの意味も知らなくて、ただただぼんやりしていたと思う。


きっと、今日卒業される方の中にも実感がなく不安な気持ち。どうなるんだろうと漠然とした気持ちを持ってこの日を迎えてる方も多くいらっしゃるのであろう。そんな事を我が経験を振り返って思う。


きっと、大丈夫。何とかなるもんだ。

順風満帆で進む人も挫折に打ちひしがれてるかたも私にみたいにボンヤリさんも、何がやりたいのかわからない方も前見て自分に言い訳しないで頑張ってやってれば、きっと何か違うものが見えてくるよ。そんな事を我が経験から思う。


今季卒業を迎える方。心よりおめでとう!親となった私は我が子と重ね合わせてそんな事を思う。


私の子供達にも出来ない事を諦めずに諦め悪く取り組みなさい。と声をかける。その先にあるものなんて私にもわからないけど、努力するかどうかで見える世界は変化する事だけは知っているから。


さてと、長々と振り返って思う事を書いたけど、間もなく夜勤に行く準備を始めなきゃ。昨日の事も書きたかったけど、それはまた夜勤が終わって時間がある時にしよう。


今日は会社に早く来いと電話で呼び出された。うん。私は電話一本な男だ。生きていくために明るい声で「わかりました。」と答える。休みの私にかけるぐらいだから、困ってるんでしょうさ。お役に立てるなら死に損ないだからやりますよ。


今日も私は生きている。ありがたい事だ。生きてる意味はわからないけど、頑張っていけば何か見えるかな?子供達に父は頑張ってると思ってもらえるように今日も生きよう。


さて、今日もやりますかね。頑張ってみます。