今日は天気が良くて気持ちがいいです。
朝からいつも通り子供達を学校まで送る事から始まった。いやー気持ちよく朝起きてくれて助かった。ぐずられる事が多い朝に気持ちよく「おはよう!」の声がするのはホッとします。

生きてるだけで色々な事がある。それは身に染みて感じてます。そして今日という日に感謝する。あぁ、私は今日も生きている。じじ臭いけど、そんな事を今日も思います。

そして、今日は忘れてはいけない一日でもあります。それは我が息子の誕生日。これは忘れたくない事だ。

家内の妊娠中毒症が進んでいたので、健診日の翌日に出産する事が決まった。それが今日になる。今頃の時間に家内のお母さんに来ていただいて娘を預けて病院へ向かった時間が今の時間です。

市内には産婦人科が一件しかなく、大半の子供達がそこか、また近隣の市で誕生している。うちは市内の産婦人科で出産する事になった。当時の事を思い出すと、里帰り出産も検討したが、家内の実家の方にも産婦人科がなくて、隣の市まで行く事になる。それは遠いし、車の運転免許持つ人が家内しかいない事を考えると実家への里帰り出産は現実的ではなかった。

そんなこんなもあり、ここで私が見ていく選択をする。そんな決意をして臨んだ日。病院へ到着後に病室へ通される。家内は出産準備のために処置室へ。残された私は部屋に一人きり。やる事もない。ベッドで横になってテレビを見ていたら、突然部屋が空いて呼ばれた。見られたくない姿だった。きっと男性は呑気でいいよなーって見えた事でしょうね。今でも苦笑いな出来事です。

分娩室へ案内されて立ち会う。リーブ法ってお産方法らしいが全く知らない。言われるがまま助産師の指示の元に会陰押し上げってやつをやる。家内曰く下手だったらしい。前に助産師がやっていたので比較対象があるだけにこちらも苦笑い。

やる事のない旦那は汗もかいてない妻の額をハンドタオルで拭いてみたり、手を握ってみたり。そう、お産の現場に旦那はやる事がなくただオロオロとするのでした。

家内の変化があった。破水したと本人は言う。床を見たら一面に血が流れてた。ナースコールを押して助産師を呼ぶ私。家内に出血の事実を悟られたらいけないと思って助産師に本人が破水したと言ってます。と事実を伝える。助産師さんはさすがプロ!片付けながら出血の量を測定する。

娘の時も立ち会っているけど、助産師さんはホントすごいなと思った。お産のイメージって医師が主導なのか?と思っていたが、助産師さんがほとんど仕切る。医師が出てくるのは産まれる直前ぐらいだった。

産まれた時に本来なら大きな声で泣くものと思っていたが、息子は泣かなかった。羊水飲み過ぎたらしい。助産師の頑張りで泣き始めた息子を見てホッとしたものだ。ありがとう息子。そして、お疲れ様嫁さん。

様々な人によって産まれた命は11歳を今日迎える事が出来た。朝から息子に「お誕生日おめでとう。私の息子になってくれてありがとう。今日は誕生日だね。誕生日は産んでくれたお母さんに感謝する日でもあるんだよ。」と声をかけた。

息子はすぐに妻の元へ行く。「お母さん僕を産んでくれてありがとう。」と話す。見ててウルウルした。歳をとるとどうも涙腺が緩いらしい。

今日と言う一日に沢山の悲しみがある。地球のどこかで涙してる人がいる。そして今日という日に新しい命を授かり笑顔な人がいる。悲しみも喜びもしっかり胸に刻んで生きて行こう。そう思って朝の風景を見ていました。

そして今日は私の大学病院受診日です。もうそろそろ治療を終えてしまいたい。そうなるといいな。

娘の誕生日に事故にあった。そして息子の誕生日に治療を終える決意をする。果たして医師は何と言うのだろう。

事故の相手側にも心理的負担をかけていると思っている。なかなか私の治療が長引いてる事を気にかけてくれている。その気持ちにも応えたい。治りはしてないけど、私のせいで誰かが苦しむのも本意ではないからだ。

誰だってミスはする。事故のリスクは誰にでも持ち合わせてるものだ。恨み言はなるべく言いたくない。言って身体が良くなるのなら言うけど、そんなはずはない。

私は沢山の方に支えられて今があると思う。それは見える存在だけではなくてブログ通してコメント下さったりいいねをつけてくださる方もそうだし、私の治療に手を貸してくださった医療従事者の方も含んで感謝します。そりゃね。入院中には文句もあったけど、病院ってところはこんなところと知れただけで勉強にはなった。二度と入院したくない。それだけわかっただけで良しとするし、健康である事はそれだけで素敵なんだとも思う。

思い入れがありすぎて今日という一日は忙しく感情が動きそうだ。よし、今日もやりますかね。やらなきゃいけない。頑張ってみよう。