2009年5月10日に、無事、




ラブラブTommy&Riinaラブラブ




OPENいたしました音譜




ここでのご報告、遅くなりましたあせる


1日にお店の鍵をいただいてからOPENまで、毎日家族で朝から夜遅くまでお店と家と、買出しの往復でした。




パパも、そして我が愛娘RIINAも、まだまだ2歳前であるにも関わらず、世間では「魔の二歳」などと言われている難しい年頃といわれる時期であるにも関わらず・・・




まだ何もない薄暗い店内で、パパもママも準備でなかなか構えないで、絵本もお気に入りのDVDも、おもちゃも寝転がれるスペースもない場所で、ちょこんと椅子に座って、何時間も待っている(時々パパもママも心配で目をやると、ニコッニコニコとしている)娘を見ていると、けな気であり、すごく申し訳なく思っているのに物分りがよい態度で接してくれる姿に、ちょっと涙が出るほど嬉しくて。




RIINAはお腹の中にいたときからそうでした。




大好きだった、父親のような存在だった祖父の余命宣告がされたころ、婦人科疾患で妊娠は難しいといわれていたのに奇跡的に自然妊娠。


妊婦である私を含めて、実家の病院で、パパも含めた家族全員で24時間看護をしている中、お腹を張ることもなく、辛くなりそうだったらお腹に「ママの大好きなおじいちゃんが大変なの。お利口さんにしていてね。」と伝えると、胎動までも静かになって・・・。


生まれてすぐに、母の病院へ往復2時間近くの距離を初めての子だからとヒヤヒヤしながら毎日のように車で連れ出し、しかも台風が多かった時期に雨にぬれても風邪ひとつひかずに、母の病室でも騒ぐことなく、大人しく母に抱っこされていたRIINA。


母の葬儀の際も、会場で静かに起きていて、初孫ということで、一番前に席まで用意されお花まであげて(お花をあげて最後のお別れのときだけ、一瞬泣きました。みんな、お別れしたんだね。って言っていました。


生まれたときから親孝行で、泣くことよりも笑顔が多くて手がかからなかった。


子供らしく何かをいたずらしたり、嫌だって泣き喚くことも一切なかったし、私が泣いているときには心配そうな笑顔で頭を撫で撫でしてくれる、やさしい子。




生活リズムが遅くなり、無理な生活をさせてしまっているRIINAのためにも、頑張って素敵なお店にしたいと思っています。




母が生きていたころ、自分がまだ親にもなっていない頃は、周りや家族が私にしてくれることを当たり前のように思っていました。親が助言してくれることをうっとうしくさえ思っていた時もありました。




でも、前日にお祝いに駆けつけてくれた友人たち、ずっと育児やお店の準備を助けてくれるパパ、実家からわざわざ手伝いに来てくれた妹、娘を私が帰宅するまで自分の自宅に預かりましょうか?と提案してくれた園長先生などなど。




感謝の気持ちというものを、身にしみて感じている毎日です。




みなさん ありがとうございます。


そして、これからも宜しくお願いします。。。