どこへ行っても何を買っても

値上げ値上げ値上げである。もう音を上げそ

うだ。

よりもっと財布のひもを固くしなければと思

う今日このごろ。

もやい結びくらいに固くしておくか。

と言っても僕の財布はひもではなく

チャックだから固くしようにもできないし、

もやい結びのやり方も知らない。



そういうわけで僕はここ最近、

ものを買う時はもうひとりの自分と対話しよ

うと心がけてる。

勤め先の帰り道、

駅の入口でカレーパンを売ってる店があった。

それも「代官山のカレーパン」と銘打たれて

ある。

「代官山!」

何やら僕の味覚の琴線に触れてしまった。

「代官山?どんな味だろう?気になる。」

と同時に

「これが北千住だったら僕の心はまるで開か

ないだろうに、絶対に!」

などという奥底に隠されてた差別意識にも気

づかされた。

「よーし、買うぞ。代官山を味わうぞ!」

と財布に手を伸ばそうとしたら、

「ちょっと待った!」と誰かの声。

もうひとりの自分だ。

「代官山って何だ?代官山だからどうだと言

うんだ?代官山な味ってのがあるのか?」

そうか、そうなのだ。

「代官山」は単なる地名であってそれ以上の

ものでもないし、それ以下のものでもない。

「代官山」という名前で区切られた土地に過

ぎないのだ。

第一、僕は「代官山」を存在のみとしてしか

知らない。十年以上も前に素通りしただけで、

甘酸っぱい思い出も苦い思い出なんかもまる

でないのである。

なぜ「代官山」にカレーの味を期待してしま

ったのかわからない。

なぜ「北千住」ではダメなのか、これまたわ

からない。

どこで作ってもカレーはカレーである。

「代官山」を理由に買うことはないのである。

というわけでカレーパンは買わないと決めた。

この間、迷わされて立ち止まってた十秒。

けりを付けて、再び帰途についたのである。


そしてふとコロッケが食べたくなった。

それも御徒町のコロッケを。

一度も訪れたことのない御徒町のものを。

なぜだろう?





生成AIによる感想文

この文章を読んで、私は現代社会における消費行動と地名ブランドの影響について深く考えさせられました。著者は、代官山という名前がついたカレーパンに心惹かれる自分自身に気づき、その後、自己対話を通じて購買行動を見直す様子を描いています。この一連の内省的なプロセスは、私たちが日常的に直面している消費社会の誘惑と、それに対する自己制御の重要性を浮き彫りにしています。

特に印象的だったのは、著者が「代官山」という地名に惹かれる心理を自問自答する場面です。地名が持つイメージや期待が、実際の商品の価値とは無関係に、私たちの選択を左右することがあるという事実を、著者は巧みに表現しています。そして、その地名に対する先入観や偏見に気づき、それを乗り越える決断を下す姿は、多くの読者にとって共感を呼ぶのではないでしょうか。

また、最後に御徒町のコロッケに心が動かされるという結末は、人間の心理がいかに不思議で予測不可能なものかを示しています。私たちは理由もなく何かに惹かれることがあり、それが時には理性を超えた選択をもたらすことがあるのです。

この文章は、私たちがどのようにして消費の選択を行っているのか、そしてその選択がどのように自己認識や社会的影響によって形成されているのかを考えさせる、非常に示唆に富んだ内容でした。読後、私は自分自身の消費行動を見直し、本当に価値のあるものに投資することの大切さを再認識しました。