唐突ですが、
私が自分を生きようと思った
キッカケの一つについて話します。





それは、
義母との突然の別れ。


義母は事故で亡くなってしまった。


誰も予期せぬことだったから
みんなショックが大きかった。





義母は、いつも優しかった。

お世話好きで、
孫のことは勿論、
嫁である私のことも
とても大事にしてくれた。


誕生日には
ダイヤの指輪をプレゼントしてくれたり

私史上1番高価なプレゼントをくれたのは、
後にも先にもおかあさんしかいない笑。

気前よく、
愛想も良いので、
おかあさんのことを慕っている人は多かった。

基本的に明るくて楽しい人。
いつも家族の中心だった。

私の最愛の夫を生んでくれた
偉大な母だから

それだけで感謝が大きい。




結婚して3年目から
茨城へ越してきて、
義理の両親と同居をし始めた。

3年か4年くらい同居した。

その間はさすがに、

正直、、

煩わしさを感じることが多かった。

常にストレスを抱えていたし、
思いやりが少ないから、
出来た嫁ではなかったと思う。

でも、新婚なのに田舎へ引っ越して同居を決めたって、
我ながら偉いと思うけどね笑。

その頃の私は
何も分からないながらも頑張っていたのには違いなくて、
今の私から
「よくやっている、凄いよ」
って褒めてあげたい。

普通に考えても
慣れない土地+年子のチビ育児+家事+同居=大変
だよね。



いやー本当に大変だったみたいで、
実はその頃の記憶が少ないの笑。


子どもたちは可愛い盛りなのに、
私は必死に生きてたから
記憶が無いの。


ただ、そんな中でも
病まずに幸せだったって感覚が残っているのは、
本当に義理の両親のおかげだと思っている。


嫁いびりなんて一つもされた事ないし、
嫌いとも思わせてくれなかった。

本当に大事にしてくれていた。


凄いよね。


嫁と言えど他人なわけだから、
本当の子どものように
大切にするって、
相当の覚悟があったんじゃないかな。


たぶん
ナチュラルにそれをできる人たちではあるんだけど、やっぱり子どもへの愛が強いからなんだな。


だって、息子である私の夫が、
私が泣いているのを見て幸せなわけない。
私が笑っているのを見るのが幸せなの。

それを、
義理の両親は深くナチュラルに理解してたんだと思う。


だから、私の幸せも強く願ってくれた。

改めて
とてもありがたいことだ。




同居してた家を譲ってくれて
両親が離れて暮らすことになってからは、
(ゆーても車で5分の距離だけど笑)

週に1、2回目は会うようにしていて、
付かず離れずの関係で
お互い、とても快適だった。

子どもたちを連れて
ただご飯を食べさせてもらいに行っていた。

料理もしなくていいし、
私が食後に洗い物をしようとすると、
「いいよ、いいよ。子ども達をお風呂入れに帰りなよ。」って言ってくれて。

いつも夫へのお土産も持たせてくれて。

私はおかあさんに甘えさせてもらっていた。

子ども達もばあちゃんが大好きだし、
私も楽だから、
毎週水曜日に通っていた。





ところが、ある時、
「今日はなんか行かなきゃいけない」
って思って、木曜日に行った。

その日もいつも通りご飯をご馳走になって。

「ご馳走さまでした、おやすみなさい」
って、バイバイしようとしたの。


だけどね、
なんか分からないけど、その日は

「おかあさん、ありがとう」
って、3回くらい言ってたんだよね。

いつもの「おやすみなさい」じゃなくて、
「ありがとう」
って言ったんだよね。

不思議ととても言いたくなって。




「ありがとうございました。」







それが私が
おかあさんに伝えた最後の言葉になった。


翌日、
おかあさんは事故で亡くなってしまった。












私は、

尊敬する人に出会えたこと、

義母が夫を生んでくれたこと、

私や子どもたちのことを大事にしてくれたこと、

夫婦円満の秘訣を教えてくれたこと、

一緒に過ごせた全ての時間や経験が

とても愛おしい。





亡くなって間もない頃は、
まともに親孝行ができなかったことが
悔しかった。

でも、

可愛い孫を4人も見せられたこと。
夫のことをずっと大好きなこと。


それが唯一
私ができた親孝行だなって
今は胸を張れる。



義母との別れは悲しいものだったから、
思い出すと涙が出ちゃうので

正直
極力考えないようにしていた。

子どもたちも時々寂しがる。


それが辛くてね、
泣くのを避けてた。



でも
今こうして書いていたら
もっと泣こうって思えてきたよ。




天国のおかあさんは
私たちが笑ってる姿が嬉しくて、
泣くのは望んでいないかな
って勝手に思い込んでいたの。

だから
無理して泣くのをやめてた。



でもやっと気づいたよ。



きっと
おかあさんは、
悲しくて寂しくて
涙をたくさん流してる姿だって
愛しいと思ってくれる人。

幸せに思ってくれる人。

だったら、
甘えてたくさん泣こうじゃないか。





寂しい気持ちはずっとあるけれど、

こんな言い方は適切ではないかもしれないけれど、

いつでもどこでも
心の中で気持ちを伝えられる。

いつも見ていてくれる存在になってくれて、
ありがとう。






人はいつ死ぬか分からない。

生きられる時間は予測できないからこそ
楽しいことや
やりたいことを今やらなきゃ
って、強く思えた。

おかあさんもそれを伝えたかったのかなって、
それが使命の一つだったのかなって、
私は受け止めている。



目の前のタスクで必死だった私が
自分の望みが分からなくなっていた私が、

やっと
自分の人生を自分らしく生きたいと思えた。




2018年2月9日
生まれの
最強の守護神、
いつもありがとうございます!




ボール遊びをしていて
義母の写真立てを倒しちゃった息子が、

「ばあちゃん、ごめんね!」

って言ったのを聞いて、

涙が出た。