なにか大事なものを忘れている気がしてたんだけど、それが何か分からないでいたの。
それが何だったのかを思い出した話。



昨日子どもたちと
カードゲーム「ナンジャモンジャ」をやって遊んだ。

32歳私
11歳長女
5歳次女
2歳三女
4人で始めた。
(9歳長男は観戦。)


結果から言うと、
最後までできなかった。
みんなが嫌な気分になって途中でゲームオーバーだった。


なんでそうなったか。


発端は、長女が怒り出したこと。
そして次女が泣き噦っていじけたこと。

一気に楽しい雰囲気が冷めて
怒りのエネルギーが流れた。

こうなったら無理やり続けても楽しくない。
だからやめた。




なんで彼女が怒ったのかというと、
次女のカードの引き方が長女的にルール違反だった。


山から引いたカードは
せーのっ
でみんなが見えるように
一気に開けるのが正解で、
引いた人は先に見てはいけないの。

だけど、次女は引いたカードを先に見ちゃったの。

これがね、長女は許せなかったみたい。


彼女はね、まじめなの。
遊びでもルールを重んじる人。

ルールにこだわるのは
きっと、ゲームに勝つと楽しいって思ってる。
ズルして勝つのは良くないって思ってるし、
負けたら楽しくないとも思ってる。


だから、ルールを破る人はイヤなんだと思う。

それって、普通なこと。
ゲームをしたことある人なら
それは当たり前のことだと思う。

だけど、
11歳長女の当たり前が
5歳次女には通用しなかったんだよね。

ましてや、2歳三女まで参戦してるんだから
普通のルールではゲームどころか遊びは成り立たない。


それを分かったうえでゲームを始めれば、
ちょっとの間違いも譲れたかもしれない。
私が勝手に、チビに合わせてあげること、それができて当然だとも思っていた。



そして最初からそれぞれの目的がズレてたら
楽しいをみんなで共有できないよな、
とも思った。


長女と次女は勝負を楽しみたかったんだろう。
私とチビは単純に楽しみたかっただけ。
勝っても負けても楽しければ良かった。

遊びは楽しいからするもの。

でもその楽しく感じるポイントがそれぞれ違うんだね。

それを認識して、
みんなの心地イイ着地点を見つけられたら良かった。

心地イイ着地点を見つけるには、
それぞれがどうしたいのかを伝えること、
知ろうとすること。

そして、それをお互いに尊重しあえる
思いやりが必要だね。


私が、怒り出した長女にムカッとしたのは、
この思いやりに欠けてると感じたからだ。

思いやりのなさが、イヤだったんだ。

チビ達に合わせてあげることが当然できると思っていたし、
怒ったら楽しくなるなるよ
って何回も注意してきた。

それがまたおんなじことしててショックだった。


そして、それに気付いた時に、
私はハッとした。



自分が心地良いように過ごしたいって思いが先行すると、
他者のことはどうでもよくなる。
思いやりがない状態。

他者の気持ち良いを無視してまで自分を優先したところで、
結局は不快が残ってしまうんだよね。

何回も我を通そうとして失敗したよ。
落ち込んだよ。
反省したよ。



だからね、

共存する家族や友達がいるなら、
やっぱり思いやりを持つことは本当に大事。

自分の望みを伝えて知ってもらい、
叶えたいんだ、って訴えるだけじゃダメなの。

人の望みを聞く耳も持たなきゃならない。


望みを叶えるのはあくまで自分だけど、
他者への思いやりがなきゃ
ただの独り善がり。
気持ち悪い。


自分だけでなく
他者へも思いやりをもって接さないと
自分の思いやりに気付いてもらうこともナイよね。


私がお茶を飲もうとお湯を沸かす時、
同じ空間に他に人がいるなら
その人の分も余計に足して多めに沸かすの。

思いやりって、こんな単純なこと。


相手が喜びそうなことを考えるんじゃなく、
相手のことを大切に思うこと
ただそれだけだと思うんだ。




ここで気をつけたいことは、

思いやりを履き違えると
おもいやみになるってこと。

重い闇。
嫌味だよ、嫌味。


あなたにとって良いと思ってやってますよ感。
あなたのことを考えて、こうしてみました感。

これは受け取る側にとっては重い。


必要か必要じゃないか、
嬉しいか嬉しくないか、
良いか悪いか
考えたり感じるのは、相手がすること。

だから私が先走って考えて答えを出すのは
思いやりじゃない。

私がこうしたいからこうしたよ♡
とはまた違う。

確かにエネルギーの感じ方が違う。


嫌味だな、余計なお世話だな
って感じる時は、

きっと相手が私の良かれを勝手に考えて決めてるからなんだ。
良いかどうかは私が決めるのに。


何かしてもらった時に、
余計なお世話だなって思っちゃうのは、
受け手の問題かなって思っていた。

私の器が狭いからいけないんだって思っていた。

でも違うのかも。
嫌味のエネルギーを生んだやつが悪い。



私もつい、余計なお世話や嫌味をやっている。

相手のことを思うだけが思いやりだと気付いたら、

余計なこと考えず
余計なエネルギー乗せずに

ただ大切に想おう。


私が長年気持ち悪かったのは
思いやりの履き違えだった。


本当に大事にしたかったのは、
想いやりだった。



余計なお世話、
嫌味を受け続けて

思いやり=重い闇
のイメージになっていて、

人に優しくできなくなっていた。



想いやりは愛情。
履き違えるなよ。

想いやる大切な気持ち。
これが私の大きな忘れ物。


思い出させてくれて、ありがとう。



夫が入れてくれた蜂蜜ジンジャーレモン。
私のことを想ってくれたことが嬉しい。