時代は1990年代前半、季節は木々が新緑に覆われ始めた4月の前半でした。
    新本社地の米国はテネシー州メンフィス近郊の宿泊施設付き研修センターでの
    私にとっては、それは貴重な体験となりました。

    前社(F.T)のマネージャ研修は、外注先の研修専門家達が担当する習わしだったのですが
    この新F.E.社では、自社職員である研修担当者が独自に考案したプログラムを使用した
    担当者の南部特有訛りの不慣れな米語での研修からスタートすることに。

    買収した側のF.E.社は、企業合併を繰り返して、当時で既に世界最大の航空貨物専門会社
    へと成長し、そこでの研修には、世界各国から馳せ参じた肌色の全く異なる研修生達で
    クラスが埋め尽くされたのです。確か20人単位で数クラス編成でした。

    先ず研修の手始めとして、各自がクラス全員のニックネームを完全に覚えて親近感を増す
    ことになり、何と教官が、各自が全員のニックネームを完全に暗唱するまでは、研修を
    開始しないと宣言したのです。嗚呼。

    さて20人全員が輪になって椅子に座り、偶然、教官前に座った一番目のA氏から順番に
    時計回りで自己紹介とニックネームを披露することになりました。
    そして2番目のB氏が、A氏のニックネームを間違えずに3番目のC氏に繋ぐという単純な
    リレー方式だったのです。
    しかし、これが5番目あたりから少しずつ怪しくなり、間違えるとその間違えた人が何度も
    言い直すのではなく、また、A氏から再スタートするという単純な繰り返しなのですが
    これがなかなかどうして一筋縄では行かなかったのです。

    詰まり、一番目のA氏が、クラス全員となる20人のニックネームを完全に暗唱して
    それらを間違いなく教官に伝え終わるまで、それこそ延々と飽きずにニックネームの
    暗唱作業が続けられたのです。
    各自の記憶力には、歴然とした差があり、各国のニックネームには特異なものも有って
    一体全体、一番目のA氏が全員のニックネームを完全暗唱するのに要した時間が
    どれほどだったのかは、今となっては記憶が定かではありません。
    しかし、クラス全員の気持ちが一丸となったのは明白な事実でした。
    10番目だった私も、当然ですが、全員のニックネームを完全暗唱出来ました。


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南北戦争のイメージ・ネットから

        次に外国人研修生達にとって頭痛の種だったのが、南北戦争の歴史でした。
    中・高時代の教科書で習った程度の南北戦争の知識では、教官が有名を馳せた南軍の
    将軍名や開戦、東部戦線、西部戦線、終戦と大きく分けられる各戦線の時代背景などを
    南部訛りの米語で一通り説明されても全くのチンプンカンプンだったのです。
    しかも、教科書が無く、、ヒアリング頼みで。

    そして、その南北戦争の題材が終了試験に占める比重がかなり高く、私が何とか
    合格点に達したのを知った時の喜びには、格別のものがありました。嗚呼、落涙。

    世界中から集まった研修生達と僅か2週間では有りましたが、寝食を共にした期間は
    なかなか一言では言い尽くせない実りある人生体験となりました。人生万歳。