あの淡路阪神大震災や東日本大震災などで多くの日本人がボランティア活動に
    参加され、当時はその活躍振りが、連日報道機関を賑わせたものでした。
    つい先日も淡路阪神大震災から20年を回顧する特番が目白押しでしたね。
    漸く日本社会にもボランティア活動が、認知され始めたのでしょう。
 
    あれはビビアン(家内の祖母の妹)宅を最後に訪問した1990年代前半で。
    ビビアンは、コロラド州のナバホインディアン居留地での教育に生涯を捧げた
    教育者であり、リタイヤー後の悠悠自適の生活環境の中に有っても常日頃から
    地域に係わるボランティア活動に明け暮れる毎日だったのです。
 
    米国には、敬虔な各宗派のキリスト教徒が多く、幼少の頃から教会へ通います。
    神父から様々な教えを受けた結果、率先してハンディキャップ者達へ手を差し伸べ
    暖かい眼差しを向ける習慣が培われるようです。
    自然体で弱者を助ける行動は日常茶飯事で、良き戦前の日本のような
    「滅私奉公」的な精神が、自ずと身に付くのかも知れません。
 
 
イメージ 1
東日本大震災時のボランティア活動・ネットより
 
 
    ビビアンの愛車は、トヨタターセルの、しかも、米国では珍しいマニュアル車でした。
    その愛車を駆っては、かつての教え子達が酒に溺れる自堕落な生活環境から
    何とか脱け出させようと広大な砂漠に点在する家々を一軒一軒訪ねるという
    過酷なボランティア活動を長年続けていたのです。
 
    さすがに80歳を過ぎてからのマニュアル車運転は、意外と体力を消耗するようで
    晩年の数年間は、自宅近くで読書会を主催する事に。
    中でも末期がん患者達の病室で行う読書会に臨席されたご家族からは
    数多の賛辞が寄せられたのは言うまでも有りませんが。
 
    晩婚だった養子のスティーブに漸く待望の初孫が誕生しました。
    しかし、その時ビビアンは、突然の脳梗塞に襲われ病床に在ったのです。
    家族が、初孫を病室へ連れて行き、そっと添い寝をさせると、無意識状態で
    全く動けなかったビビアンが、何と両腕を伸ばして、その初孫を抱く仕草を
    したそうな。嗚呼。
    周囲の誰もがビックリ仰天し、皆がその光景に目頭を熱くしたのです。
 
    ナバホインディアン教育とボランティア活動に一生を捧げたビビアンは
    その数日後、多くの方々に惜しまれつつ静かに息を引き取りました。