無事に香港出張を終えた私は、早速日本へ戻ると後生大事に持ち帰ったあの青年の
    積年の思いが一杯に詰まった封書に切手を貼って、成田国際郵便局のポストへ
    慎重に投函しました。
      私が空港郵便局に拘ったのは、経験上空港郵便局から出す国内郵便が
      空港以外の何処の郵便局から出すよりも、早く確実に配達されるという事実を
      熟知していたからです。
 
 
    そう、あれは梅雨入りして間もない頃でした。
    突然、何の前触れも無く、いきなり事務所の電話が鳴ったのです。
      「私は香港で貴方に封書を託した彫り師の彫○です」
    と聞いた途端、私は背筋が凍る思いがしました。
    実は、封書の投函後暫くは何かと気掛かりでしたが、日が経つに連れて
    仕事の忙しさにかまけ彫り師の事は、すっかり忘れていたのです。
      「貴方が投函した私の封書が、無事に某親分さんに届いたのです。
      いろいろな紆余曲折はありましたが、今こうして無事に日本へ
      戻って来ました。その間の込み入った事情を電話でお話する訳には
      とても行きませんが、先ずは御礼をと思い電話をさせて頂きました」
    と言うではありませんか。
 
    私は香港で会社名や電話番号など何一つ相手には伝えておりません。
    只、別れ際に私の姓だけを名乗ったのです。
    「一体全体、この青年はどうやって私の勤め先やその電話番号を調べる事が
    出来たのだろう」かと薄気味悪くさえなったのです。
    「蛇の道は蛇」とか申しますが、その筋の人達は何か特別な検索方法でもお持ちで
    私達素人衆の動静を簡単に調べ上げる事が可能なのでしょう、きっと。
    いとも簡単に「私の勤務先とその電話番号を見つけ出した」と感じた私は
    恐怖心すら覚えて、身がすくむ思いでした。
 
      「貴方は、今どうして電話番号が分かったのかとお考えでしょう。
      私は、命の恩人である貴方をそれは必死に探しました。
      全く手立てが無かった訳でも無く、親分さんが八方手を尽くして
      それでも半年近くも掛かってしまいました。
      御礼が大変遅くなり、誠に申し訳有りませんでした」
    とまたまたビックリするような事を言うではありませんか。
    私は本当に恐ろしくなって、直ぐにでも電話を切りたい心境でしたが、
    相手の感謝の気持ちがヒシヒシと伝わって来ましたので、それも出来ず
    会話を続ける事に。
 
 
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麻薬中毒のイメージです。ネットより拝借
 
 
      「私は、実は○○精○病院から電話をしております。
      親分さんの協力を得て、先ずは麻薬中毒の治療をと思い
      自ら希望して鋭意治療中の身ですので、今直ぐ貴方の所へ
      出向く訳には行きませんが、どうか悪しからずご了承下さい」
    と驚愕の事実を述べたのです。
    そして、理路整然とした話し振りから、何とか健常者に戻ろうと必死に
    矯正中であろうあの「香港で出遭った青年からの電話だ」と私は確信し
    「これは間違いや悪戯電話では無く、私を名指して掛けて来たのだ」
    と理解出来たのです。
 
      「治療を終えて病院から退院しましたら、真っ先に貴方の会社を
      訪問する予定です。どうかそれまで今暫くお待ち下さい。
      この度は電話にて帰国のご挨拶をさせて頂きました。
      これにて失礼させて頂きます」
    と言って電話が切れました。
 
    私は、受話器を置くなり暫くは「どうやって私の電話番号が分かったのか」
    という点に酷く拘りました。
    あの青年が「無事に日本へ戻った」という報告に大きな喜びを感じながらも
    ○○精○病院から電話を掛けて来たという現実に少し戸惑い
    「病気が完治した暁には、本当にあの青年が私を訪ねて来るのだろう」
    という一抹の不安も有って、それは本当に複雑な心境でしたので、暫くは碌に
    仕事も手に付きませんでした。
 
 
    あの突然の電話が有ってから20有余年が経過しましたが、その間新たな
    電話は有りませんでした。
    今となっては、麻薬中毒が完治して、新たな人生を歩んでいるものと
    陰ながらお祝いを申し上げたいと思います。