<前稿より続く>
少し日を置いて、再びマニラへ出張した折に
前回約束した通り、携帯型無線機の最高許認可権者である
X氏を夕食会へ招待しました。
レストランは、本人の希望を取り入れてスペインレストランへ。
前回約束した通り、携帯型無線機の最高許認可権者である
X氏を夕食会へ招待しました。
レストランは、本人の希望を取り入れてスペインレストランへ。
スペイン料理を十分に堪能、ご満悦のそのX氏は
「トミー 大変なご馳走になりました。
例の件は、上手く取り計らうよ。
近い内に連絡する」
とのたまうのでしたが。
「トミー 大変なご馳走になりました。
例の件は、上手く取り計らうよ。
近い内に連絡する」
とのたまうのでしたが。
イメージ・スペインレストラン
マニラ滞在の最終日にX氏から連絡が入り
急ぎ氏の事務所を訪ねると
あの最高許認可権者は
「トミー ようやくここまでこぎつけたよ」
と例の申請書の山を指差すと
X氏が緊急と称する「レッドバンド」の束の上の方から
我が社の申請書を抜き取ると
「この山のトップに無いと
直ぐには認可が下りない訳で」
とうそぶいたのです。ああぁ。
急ぎ氏の事務所を訪ねると
あの最高許認可権者は
「トミー ようやくここまでこぎつけたよ」
と例の申請書の山を指差すと
X氏が緊急と称する「レッドバンド」の束の上の方から
我が社の申請書を抜き取ると
「この山のトップに無いと
直ぐには認可が下りない訳で」
とうそぶいたのです。ああぁ。
そうです、夕食会前の状態は、確かイエローバンドの
真ん中辺りにあったのです。
それが、夕食会後にレッドバンドの上の方へと移動しました。
しかし、トップの位置ではありません。
「そうか、このX氏は更なる要求を出しているのだなぁ」
と私は悟りましたが
<おっとどっこい、その手には2度と乗らないよ>
と自分に言い聞かせながら、私は何の未練も無く
その事務所を後にしたのです。
真ん中辺りにあったのです。
それが、夕食会後にレッドバンドの上の方へと移動しました。
しかし、トップの位置ではありません。
「そうか、このX氏は更なる要求を出しているのだなぁ」
と私は悟りましたが
<おっとどっこい、その手には2度と乗らないよ>
と自分に言い聞かせながら、私は何の未練も無く
その事務所を後にしたのです。
イメージです
仕方が有りません。私は、ここで<伝家の宝刀>を
抜く覚悟を決めたのです。
当時の我が社のフィリピン支社長は
弁護士出身のフィリピン人でしたが
フィリピン大学法学部時代に
あのマルコス大統領とは同窓生だったそうで
同じ法曹の道を歩んだ親友同士だったのです。
抜く覚悟を決めたのです。
当時の我が社のフィリピン支社長は
弁護士出身のフィリピン人でしたが
フィリピン大学法学部時代に
あのマルコス大統領とは同窓生だったそうで
同じ法曹の道を歩んだ親友同士だったのです。
良く支社長は、私に
「トミー 役所関係で何か困ったことがあったら
遠慮なく私に相談しなさい。
決して悪いようにはしないから」
と何度も念押しをされておりましたし、その都度
<大統領とは友人関係だから>
とそれとなく匂わすのでした。
「トミー 役所関係で何か困ったことがあったら
遠慮なく私に相談しなさい。
決して悪いようにはしないから」
と何度も念押しをされておりましたし、その都度
<大統領とは友人関係だから>
とそれとなく匂わすのでした。
私は、思い切って遅々として進まない
<ウオーキートーキー入替プラン>の経緯を
このフィリピン人支社長に相談したのです。
すると
「トミー 分かった。善処する」
との嬉しい返事が返って来たのです。
<ウオーキートーキー入替プラン>の経緯を
このフィリピン人支社長に相談したのです。
すると
「トミー 分かった。善処する」
との嬉しい返事が返って来たのです。
日本へ戻ると、直ぐに支社長秘書から電話があり
「例の件は、首尾よく認可されました。
直ぐ入替プランを進めて下さい」
という吉報でした。
「例の件は、首尾よく認可されました。
直ぐ入替プランを進めて下さい」
という吉報でした。
そうです、あのX氏との2度目、或いは3度目以上の
夕食会をする必要が無くなったのです。
支社長 → 大統領 → 補佐官 → X氏 のルートで指示が出されて
懸案が決着した事は容易に想像されました。
支社長と大統領との友人関係のお陰で
無事に経年劣化したマニラの携帯型無線機を
待望のモトローラ社製の最新型に変更出来たのです。
夕食会をする必要が無くなったのです。
支社長 → 大統領 → 補佐官 → X氏 のルートで指示が出されて
懸案が決着した事は容易に想像されました。
支社長と大統領との友人関係のお陰で
無事に経年劣化したマニラの携帯型無線機を
待望のモトローラ社製の最新型に変更出来たのです。
亡マルコス大統領
<後日談>
1986年に失脚したマルコス大統領は
失意の内に、滞在先であった米国のホノルルで
1989年9月28日に生涯を終えたのでした。
1986年に失脚したマルコス大統領は
失意の内に、滞在先であった米国のホノルルで
1989年9月28日に生涯を終えたのでした。