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                    〈ベルサイユ宮殿)


                    その気になればいつでも言って下さい
                   私の方でパリ本部へ推薦状を書きますので


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                    (パリ シャルル ド ゴール空港)


  1988年当初、当時私が勤務しておりました

  米系貨物航空会社と別の大手貨物航空会社間で

  企業合併するとの噂話が、まことしやかに

  一人歩きを始め、我が社の社員一同が

  大いに気をもむ事態となりました。

  その合併話とは、当時6,500人規模の我が社が、

  80,000人規模の大企業に吸収合併されるという、

  つまり飲み込まれてしまうと言う事でした。


  家内とは噂話が出始めた早い段階から

  いろいろと意見を交わしておりました。

  特に当時中学2年生と高校2年生だった
 
  育ち盛りの二人の息子達には

  そろそろお金が掛かる時期でもありましたので、

  家内は大いに気を揉んでおりました。



  私も幾つかの伝手を頼りに転職の機会を

  窺っておりましたところ、

  かねてより懇意にしていた

  SITA香港事務所のM氏より
    
    「確かパリ本部に空席があるので

     応募して見ませんか」

  という話が以前出ていた事を

  思い出しました。


  早速コンタクトしてみると、案の定、

    「その気になればいつでも言って下さい。

     未だ空席のままですので、

     いつでも本部へ推薦状を書きます」

  とそれは熱心に転職を勧めてくれました。


  当時の私は、御多分に漏れず、合併後の行く末に

  一抹の不安を抱いていた時期でもありましたので、

  私は、噂話が本当になる前に、SITAのパリ本部で

  一度面接試験を受けてみる決心をしました。


  私は、常日頃から超多忙な為、

  なかなか有給休暇を完全消化出来ずにおりましたが、

  思い切ってロスの上司へ休暇申請を出すと

  意外にもアッサリと許可が出て、1988年の夏に

  休暇でパリへ出かけました。


  
                 フランス人のM氏から提供された諸条件を

                 納得した私は、M氏からの推薦状を手に

                 勇躍SITAのパリ本部へ最終面接の為に

                 出かけることにしました。



  東京からロンドンまではポーラールートの直行便で飛んで、

ロンドンのヒースロウ国際空港で乗り継いで

  最終目的地のパリへと向かいました。

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                    (遥かな凱旋門を背にして)