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              皆様のご迷惑となりますので、
              家内了解の下、顔を隠しました。
  

   ふと家内があれほど興奮していた
   あの三浦友和さんはと あたりを見渡すと、
   ブランコ近くの草原に一人で寝転がって
   映画台本を読んでおりました。

   真っ黒に日焼けした顔が逞しく、
   当時37歳の私よりは、遥かに若い青年で、
   白シャツに赤ズボンの服装が、一段と華やいで見えました。

   私は、
   
   「ああー なるほど、あのハンサムボーイ(古い言葉ですが)

   が三浦友和さんですか」 とひとりごちしました。



   ただじっと眺めていた私に、家内がスット近寄って来て、

   『既に二人の子持ちの自分からは言い難いので、

   お父さん、三浦友和さんに尋ねてくれませんか』

   と少し顔を赤らめながら言うのです。

   「何を聞くのだ」

   『ブランコの傍らで私とのツーショットを

    撮ってもいいかと と』

   
   私は、少し妬けましたが、
   自分が憧れていた異性の俳優さんと
   一緒の写真を撮る機会は滅多にあることではないと考え、
   三浦友和なる人物にゆっくりと近づくと、

   「家内が昔から三浦さんの大フアンです。

   お取り込み中のところ、誠に恐縮ですが、

   あのブランコの傍らで、

   家内とのツーショットを撮っては頂けないでしょうか」

   と恐る恐る申し出て見ました。

   すると三浦さんは、

     『ハイ、結構ですよ』

   と日焼けした笑顔で、快く了承されました。

   私は、急いで家内を手招きすると、半分は複雑な気持ちで、

   カメラのシャッターボタンを押しました。

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            本邦初公開(?)
            撮影日:  1979年2月4日
            撮影場所: サイパン島           



    さらに私は、

   「家内のたっての希望ですが、三浦さん単独のお写真も

    撮ってよろしいでしょうか。 後ほど、ご自宅まで郵送させて頂きますが」

    と言葉を続けると、

      『どうぞ、撮って構いません。 しかし、郵送の件は、お忘れ下さい』

    との返事でしたので、遠慮会釈無く、私は写真を撮らせて頂きました。


  

   この時の映画撮影は確か 「黄金のパートナー」 とか言う題名で、
   宝探しの物語であり、この年のゴールデンウイークには封切りされた
   と思います。(残念ですが私は見に行く時間が有りませんでした)

   私達はつつがなく3泊4日の楽しかったサイパン家族招待旅行を終え、
   無事に日本へと帰国しました。

   あの二人の息子達もそれぞれが家庭を持ち、独立して家を出て行った現在、
   家内は時折何かの機会に、この時のスナップ写真を眺めては、遥か昔に
   出会った憧れの映画俳優(古い表現で申し訳ありませんが)とのツーショット
   に見入り、若かったあの頃にタイムスリップしているようです。