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当事者間では、当然家族招待旅行(観光旅行)
という名目での準備作業が進められましたが、
  同僚や。。。航空会社現地事務所の社員に対する
   公式説明としては、業務旅行(現地通信施設の実態調査)
    という無難な形を取る事となりました。

その晩急いで自宅へ帰り、。。。航空会社からの
 「家族招待旅行」の件を家族に話すと、家族一同は
   大変な喜びようでした。
    但し、当時4歳だった次男が果たしてどの程度
     この家族招待旅行の意味を理解していたのかは
      はなはだ疑問ではありますが。

当日、1979年2月3日、
 成田新東京国際空港から
  3泊4日のサイパン旅行へ出発するに当り、
   旧知の。。。航空会社成田空港支配人が、
    直接搭乗機の機内まで見送りに来られて、
     客室乗務員に我々家族に対する特別指示を
      出しておりましたので、それを知った
       われわれ家族一同は大いに恐縮しました。


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                        当時は観光旅行でもビザが必要でした。
                         特別のB1-B2ビザ(業務と観光兼用ビザ)

サイパンまでの僅か数時間のフライト中、
 われわれ家族を担当するスチューワデスさんからの
 (当時はフライトアテンダントの事を、このように呼称しました)
  心のこもった第1級のサービスに感嘆しました。

搭乗したファーストクラスでのサービスは
 実に細やかで、家族一同にとってはそれこそ
  あっという間の、大いに満足の行くフライトでした。

サイパン国際空港へ到着すると、
 パーサーから私達家族全員に、

  「家族全員でこちからの指示があるまで、
 
   どうか機内にて暫く待機して下さい」

という特別な説明がありました。


ようやく全ての乗客が機外に出た頃合をみて、
 
 「どうぞ今から下りて下さい」

と促され、


程なく家族全員で機外へ出ると、
 南国の強烈な太陽光線の下、タラップの下から、
  前方に駐車していたマイクロバスへ向って、
   赤絨毯が一直線に伸びている様子が目に入り、
    我々家族に対する場違いな、最上級の出迎え風景に
     家族一同2度ビックりさせられました。

私の脳裏には、一瞬、
 筆頭補佐官やマカボイ極東支配人らの顔が浮かび、
   我々家族への待遇を現地職員に直接指示されたであろう
    マカボイ氏に対しては感謝してもしきれませんでした。


ターミナルビルへ到着すると、
 。。。航空会社サイパン空港支配人等の
  出迎えを受け、簡単な入国審査を済ませると、
   家族一同でxxxホテルからの迎えのマイクロバスに乗り込んで、
    一路宿泊先である 。。。ホテルへと向かいました。

ホテルまでの短い移動時間中でも、
 同乗した現地事務所のスタッフから、
  車窓の両側に展開する諸施設の観光案内があり、
   我々家族に対する行き届いたせービスに
    感謝・感激の連続でした。