磨上げ…茎尻(なかごじり)から切り詰めて、全体の長さを短くすること。
https://www.touken-world.jp/tips/57643/
さて、この磨上げだが織田信長が沢山の太刀や刀を擦り上げたそうだ。
https://www.meihaku.jp/sword-basic/utigatana/
単に自分が使いやすい長さに改造しただけ、とも言えるが
刀や太刀を磨上げるというのは、ある種の破壊でもあるので正宗を擦り上げることについて細川藤孝(幽斎)に相談した事がある。
https://meitou.info/index.php/%E6%8C%AF%E5%88%86%E9%AB%AA
それでは何故これだけの数の刀や太刀を磨上げたのか?
自分が腰に佩いたり差したりできる数には限りがあるにも関わらず、敵から奪ったりした刀や太刀を磨上げるというのは
ある種の支配性を示していたのではないか。
僕自身、道場の関係者から刀を譲り受けた事があるが
拵えを変える事には何ら抵抗はなく、古い拵えもそのまま残している。
でもこの刀を磨上げるだとか、重ねを落として改造するだとか
そういう事を想像すると何だか申し訳無いような気持ちになった。
どことなく、譲って頂いた人の顔が思い浮かぶのだ。
でももし、これが嫌いな人や敵から奪った刀だったら?
嫌でも相手の顔が思い浮かぶ訳だが、
そんな刀を自分好みに改造することで完全に支配できたような、
完全に自分のモノに出来たような気がして
気分が良くなるのではないだろうか??
戦国時代の下克上
これを成し遂げるためにはそれぐらい強い支配欲や
自分のやりたい事を突き通す強い意志が必要だったのかもしれない。
そのバロメーターがどれだけの数の刀を摩上げたのか、ではないだろうか。
戦国時代の人間と現代人の感覚とが全く同じとは思わないが、
もしかしたらこういう考えがあって沢山の刀を織田信長は摩上げたのかもしれない。