3月もいつの間にか後半になっていました。




息子は幼稚園を卒園し、ひと段落ついたのでブログの続きを書こうと思います。

の続きです。



妊娠28週0日、娘の心拍が止まっていると診断された日のことからになります。

ここからのことを過去に書いた記録もあるにはあるのですが、読み返す気力もなく、今覚えていることは断片的ですが・・・



・心拍が止まっていると言われた日の前日(2015年7月21日)夜9時ごろ最後の胎動があった。その時は夫と、娘の名前を考えていた時だった。


・次の日(7月22日)の朝、私が朝食を食べるといつもは胎動を感じるのに全く動かないことに違和感を覚え、病院を受診した。夫は職場から病院に駆けつけてくれた。


・エコーの画面を見た瞬間「心臓が動いてない」とわかって頭が真っ白になった。ベッドのある別室に移動し、声を上げて泣いた。


・「ここ数日、大勢産まれて空いてる部屋がないから入院は明日からになります。」看護師に言われ、一旦家に帰った。


・その日の夜は、夫と娘と3人で最後に自宅で一緒に寝た。全く眠れなかったけれど。


・次の日(7月23日)、入院。ラミナリアを入れるのがめちゃくちゃ痛かった。

夜はやっぱり全く眠れない。熱が37度5分。眠剤が欲しいと看護師に言ったが「この病院には置いてない」と言われる。


・入院2日目(7月24日)朝から陣痛促進剤を投与。この日は産まれず、夜、促進剤の点滴を外す。その後、陣痛が強くなり、夜9時ごろ破水。

どんどん陣痛が強くなっていき、いきみ逃しの呼吸をしながら少しウトウトする。熱は相変わらず37度5分。


・入院3日目(7月25日)、朝8時過ぎに分娩室へ移動。促進剤の量を増やしたとたん、いきみを我慢しきれず急に娘の頭が出てくる。ナースコールして、分娩開始。数回いきんだら娘は出てきたが、足が引っかかって取り出してにくかったらしい。


・主治医が出てきた赤ちゃんを見て「ああ、これはいかん」と第一声。臍の緒が首にぐるぐる巻きだったそうだ。赤ちゃんの写真を看護師が撮る。

夫は、臍の緒ぐるぐる巻きの娘を見て泣き崩れた。その夫の背中をさする義母。ムスコン。

義母は、私には「うちの子たちも2人とも臍の緒が首に巻いてた」って言ったんだけど2人とも無事に生まれてるでしょうが!というトンチンカンな声かけしかしなかった。


・娘を出産した直後から、心臓が重い感じと喉が詰まったような感じがした。あとで精神科を受診し、適応障害の症状だったと分かる。

 

・出産後も全く眠れず、次の日(7月26日)の朝を迎える。娘と対面。娘は金属製のトレーに乗せられ、白い布をかけられていた。

とても可愛い女の子だった。切れ長な目、指の細い手が私に似ていた。鼻が高くて綺麗な顔をしていた。「真生(まお)ちゃん、幸せだったよ。ありがとう。」と声をかけた。


・娘には実母が買ってきてくれた単肌着を着せて(巻きつけて?)棺に入れてもらった。


・7月27日、義両親と実両親と私たち夫婦で娘の葬儀をした。棺にお花をたくさん入れて、娘の小さな手に触れた。冷たかった。

私はその日も37度5分の熱が続いており、火葬には行けなかった。

家で休んでいたら、骨壷になった娘を連れて夫が帰ってきた。「真生ちゃん、帰ってきたん?」と骨壷を抱きしめた。


・入院中の病院では、娘が生きていた頃に聞いていた「胎教のクラシック」がBGMでかかっていて、そして、無事に生まれた赤ちゃんの泣き声も聞こえてきた。とても苦しかった。

ドラマ「コウノドリ 」みたいに寄り添ってくれる看護師さんは一人もいなかった。病院の対応は冷たかったと思う。



娘の葬儀・火葬を終えてからも不眠が続き、パニック発作が起こるようになった。

それから、私は、昔1度だけ受診したことがあった実家近くの精神科へ行くことになった。