これはPCオーディオじゃないのでは?
新主流派オーディオマニアかもね

Mac用のCDリッピングソフトは『X Lossless Decoder』で決定。再生用の音楽プレーヤーソフトは、『Audirvana Plus』『Fidelia』の2点で試聴検討中。ほぼ『Audirvana Plus』でいいと思うのだが、『Fidelia』にも捨てがたい味わいがあるのだ。悩むところもまた楽しい。
リッピングソフトがすごく重要なのは言うまでもないが、お気に入りの音楽プレーヤーソフトが見つからないと「PCオーディオは楽しい!」とは思わないだろう。そこに運命的な出会いがあるのだ(笑)。


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Audirvana Plushttp://audirvana.com/

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Fidelia http://audiofile-engineering.com/fidelia/

「よしPCオーディオを研究してみよう!」と始めたことだが、やり始めて最初の問題は、CDプレーヤー再生ではオーディオマニアは成立していなかったのではないかという疑問(反省?)。
アナログ盤がメインのオーディオマニアには芸があるが、CD音楽プレーヤー再生では全く芸がないという事実だ(まぁ、自分のことでもある訳で)。高級CDプレーヤーのデータ処理能力に頼るだけのオーディオマニアだったということだけだ。まず駆動系の機械にディスクを入れリアルタイムに再生しようということ自体に無理があった。どれだけエラーのないデジタルデータを高速処理して音に変換できるかという・・・ディスクはデータでしかなかったのだ。
当然、興味はアンプやスピーカーに向く訳で、CD再生部分は高級プレーヤー及びメーカーを信じるしかなかったのだ。あぁ、今でも続いているけどね・・・何ともマヌケな話である。

最近、音の出口が自分好みのJBL D-130じゃないオレの耳はかなりシビアだ。そして、「へぇ~、CDにはここまでの密度の高い音楽データが入っていたんだ!」とビックリしているところだ。
きっと自慢のオーディオシステムでCDプレーヤーを繋いで音楽を聴いているマニアには一生分からないことだと思う。CDディスクが悪い訳ではない。リアルタイムで100%データ処理ができるCDプレーヤーを作ることが出来なかった技術の問題なのだ。
そのエラー前提のデータを高級オーディオで再生しても問題は何も解決していないのに一喜一憂していたということだろう。
アナログレコード盤のオーディオマニアには何の疑問もない。あれは器量が必要な行為だからね。でもCD音源の場合はどうだろう?まぁ高いCDプレーヤーの再生能力を信じるしかない、金額による安心感だよね・・・「申し訳ないそのCDちゃんと鳴っていませんよ」。


CD音源はアナログ盤に近い音がするのだ
データーを取り出してちゃんとやればね

つい先日まで気楽にいい音でジャズを聴く「お気楽!PCオーディオ」を提唱していたが、状況がそれを許さなくなっている。どうもiPodこそ最高の音楽再生機だと唱えるiPodオーディオマニア(一般的なiPodユーザーの使い方ではない)、ネットワークこそオーディオの未来だと唱えるネットワークオーディオマニアが出現している。これらの総称がPCオーディオなのかも知れない。
アンプやスピーカーは、自分の好みの音を手に入れるエフェクターにしか過ぎない。問題は入口の音源でエラーのない音楽データーを100%再生できているかということだけなのだ。まず音楽CDプレーヤーでは不可能だということがはっきりしていること。今、理解して押さえておくことはそれだけなのだ。そこから考えればいいはず、最高の再生装置を探すのはそれからだ!!


この感覚が理解できないのはWindowsマシンだからかも?(笑)。Macで試して体験していることを、実感として書いているだけなのでWinの場合も同じなのかは全然分かりません。また、本気でやるとかなりCPUの処理能力が必要なので、「何か作業をやりながらジャズ聴けばいいじゃ!」なんてお気楽なものじゃないよ。完全にMac1台音楽専用機として使うことになります。覚悟は必要だね。

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In Harmony Weldon Irvine(1974/Strata-East)
*名門Strata-Eastに残された唯一のウェルドン・アーヴィン作品『イン・ハーモニー』。ご機嫌なソウルジャズ。サウンド的には多少古く感じますが骨太で黒っぽい1枚。 世界初CD化、10月24日発売。
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Weldon Irvine - Turkish Bath (In Harmony)
Weldon Irvine - What Are You Doing for the Rest of your Life

度が過ぎたアルバムレビューが多くなってきた
書き過ぎは品がないぞ!止めの節度を知るべし!

最近、ネット上には親切丁寧にアルバムレビューを書いている評論家やライター、ブロガーが多い。特に新譜を扱っている場合に感じるのだが、記事を読んだ後100%そのアルバムを買って聴いてみようと思わなくなることだ(笑)。親切つーか余計なお世話というか・・・ディテールまでがはっきりし過ぎてしまっている。他のアルバムとの関連性も極めて丁寧に扱われている。それは悪いことではないのだが・・・ジャズに熱心な聴き込んだジャズ聴きには余計なお世話なのだ。寸止めの美学つーのはないのかね?(笑)。どうも厳しい制限がないネットの自由設定の悪い影響が出ていると思う。

まぁ、ホームページやブログの目的にもよるのだが、「自分の聴いたアルバムの記録として自分のために書いている」のなら文句はない。他人の日記を盗み読みしているオレが言うことではないから(笑)。しかし、誰かにそのアルバムを聴いて欲しい、同じ音楽体験をして欲しいと願って書いたのなら、「やり過ぎは余計なお世話だよ!」と教えてあげたい。音楽の体験の楽しみの半分以上はもうそこに書かれてしまっているからだ。そういうことを感じられるように日々イメージトレーニングしていくのが音楽を聴く楽しみではないだろうか?
ネット上でサンプル音源の聴けるアルバムも多くなってきたので、そのレビューが誉めている内容だとしても多くを語り過ぎるのは野暮だと思う。喜びの半分以上は、すでにそこでレクチャーされてしまっているのだから聴く気が萎えてしまうのだろう。
書かない止めることもまたレビューの大切な行為だと思うのだがどうだろうか?プロもアマチュアも、まったくもってそんな意識もないことは困ったことだ。美しいアルバムレビューの書き方というものを、誰か教えてあげて欲しいものだ。
海外ドラマのストーリー展開を先に知らされてしまうくらいの、後味の悪いアルバムレビューが多過ぎるぜ(笑)。