今回からスマートフォンを意識した書き方をするよ。
アーティ・ショウ楽団の「ビギン・ザ・ビギン」
コール・ポーターはいい曲を書くなぁ~

夏はジャズを聴く気になれないんだよ。クーラー冷え冷えの部屋ならいいのだが、節電に協力するならそうもいかない。んで、多少暑くてもいい気分になれるのがメロディーの美しいスイング・ジャズなんだよね。ピクニックにでも出かける気分で「ビギン・ザ・ビギン」を聴いています。

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The Best of Artie Shaw Artie Shaw and His Orchestra(RCA Victor)
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Artie Shaw: Begin The Beguine Final

最近は漠然と「ジャズ聴きの終焉」を考えている。と言うか、コミュニケーションに無理が出て来ているから、これは区切った方がいいかも知れないと思っているのだ。一度、ジャズクラシックの境界線を引いた方が新しいことが理解しやすいし、無理がないだろう。
ジャズ聴きには好みの守備範囲というのがある。それが多少違っていても50%以上好きなエリアが合うなら、話も盛り上がるはずだ。当然そこにはジャズだけではない音楽、映画や文学、芸術全般の基礎知識も含まれる。
しかし、それが共通の認識として理解できないのなら、もうコミュニケーションのしようがないと思うのだ。それは、ジャズが聴く側に求めるモノがある音楽だからだと思う。


最近は「ジャズもスポーツ観戦もアニメもフィギュアも同等の趣味にしか過ぎない。ジャズを聴くことがインテリジェンスのあると行為だと信じている屈折したジャズ聴きたちが多過ぎる」などと語ることで、今の時代にすり寄ろうとしているジャズ聴きオヤジの意見が、時々見受けられる。まぁ、こういう発言も自己顕示欲の現れに過ぎないが・・・こういう分かったようなことを言うジャズ聴きはキライだなぁ、屈折してこそジャズ聴きというものだ(笑)。
しかも、今日までジャズマーケットを守ってきたのは「ジャズを聴くことは知的な趣味だと信じてきたジャズ聴きたち」の可愛いプライドに他ならないのだ(笑)。


それの何が悪いというのだ!

結局、その気持ちを満足させることができないアルバムや雑誌や書籍が売れなかっただけなのだ。ジャズ聴き気質をちゃんと理解しないで「面倒臭いオヤジたち」というだけでは、コミュニケーションは成立しない。面倒臭いオヤジたち側にジャズマーケットの中心があるのだから~40代以下の世代にジャズマーケットはない。それこそが現実なのだ。
って言うか、20代~30代でジャズを聴く必然性がないだろう(異性にモテないから止めた方がいい)。もうジャズは応えてくれない音楽だからね。ジャズ聴きオヤジたちは、いっぱいジャズから貰ったから感謝で今でも聴いているだけさ(笑)。


次回はジャズ聴きオヤジたちを分析するよ!