2011年3月11日、と言えば東日本大震災。
私ね、大きな地震って結構経験してて、中学生の時に2年連続で震度6以上の地震。
釧路沖地震と北海道東方沖地震。
釧路沖地震が起きた時は家族でテレビを見てて
何の番組だったか覚えてないけど、その番組のコーナーで質問していた事は
「地球最後の日あなたは何が食べたいか?」
私が「お寿司」って答えた後に地震が来て、
内臓と身体が別々に動いているかのような変な感覚を初めて体験したのを覚えてる。
家族全員がパパにしがみついて、地震の揺れとともに、みんなの体は床から離れて、
そんな中でもパパは冷静で、
「家は鉄筋コンクリートだから潰れない。大丈夫。」って言った言葉が心強かった。
不安な時、大切な人が側にいる、それだけで大丈夫って思えるんだって事を学んだ日。
東日本大震災は震源から離れてる東京にいたけど、それらの地震と同じくらい人ごとじゃなくて、だから、記憶も清明。
当時私は、東大病院の第一集中治療室の看護師さん。
夜勤に向かう途中の、東大のキャンパスへ向かう路地で、大きな揺れを感じて。
半分歩道に乗り上げた佐川急便のトラックは、傾いたまま倒れるんじゃないかって思ったくらいに揺れて、
電信柱や、空中駐車場も車を乗せたまま、ブランコのように揺れて、とにかく怖くて1番近くにいた人にしがみついたのぉ。
その人は、前日、日本に着いたばかりのシンガポールからの東大の留学生。
人生初の地震だったそう。
初めてのことだらけで、きっと、私なんかより怖かったはずなのに、頼もしくて、私を職場まで送ってくれた優しい学生さん。
誰も側にいない時の不安を和らげてくれた人。
あの時はありがとうって今でも思ってます。
当たり前だけどね、夜勤は通常通りに開始され、患者さんを大移動。
集中治療室の中で、比較的状態の安定している患者さんを、一般病棟に移して、
福島からの患者さんをヘリで受け入れるために準備。
その、受け入れた患者さんの1人が、テレビで津波の映像を見ながらいったセリフが、未だに忘れられなくて。
「今、流されたの、、、私の家」
この言葉を聞いた瞬間ね、更に私の胸が、突き刺さるように痛かったから忘れられないんだよね。
続けて口にした言葉は
「東京に来て元気になっても帰る家がない」
どんな言葉をかけたか、正直記憶がないんだけど、
未だに、どんな言葉掛けが適切だったのかよく考える。
答えなんてないのはわかっているけど、看護師としてプロである以上、心のケアを怠ってはいけない。
患者様との場面で想像できる範囲のシチュエーションは、正解不正解はないながらも、何度も自分なりにベストな対応は何かの答えを出してきた。
家が流れるは、想定外。
未だに何も答えが出ないまま7年の月日。
3月11日は、私にとって、そんな看護師としての自分と向き合う日でもあるの。
震災直後、同じ映像が何度も流れるニュースで、私は家でも、その患者様の家が流れる様子を見て泣いたんだよね。
そして、その患者様と同じような経験をした人が、たくさんいる。
その人達が、この7年どんな想いで過ごして来たか、私は100パーセント理解する事は難しいけど
心の傷が少しでも癒されているこを願うばかりです。
最後の写真は東大病院にいた頃の私♡(๑>◡<๑)♡笑
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