お腹が空いていないのに冷蔵庫を開けるとき、
私が探しているのは、
たいてい食べ物ではありません。
夢中になれるものが見つからないから、
とりあえずゆで卵の在庫を確認しています。
そして残念ながら、冷蔵庫の奥に、
人生を面白くする何かが冷やされていたことは、
まだ一度もありません。
今日の私は、
朝からきちんとご飯を食べていました。
空腹ではありません。
胃からも、特に緊急の連絡は届いていません。
それなのに、少し時間が空くと、
何か食べたくなりました。
甘いものでも食べようかな。
さつまいもなら身体に良さそう。
ゆで卵ならタンパク質だから、
これは間食ではなく栄養補給ということにできる。
人は食べたい理由が見つからないと、
急に栄養学を持ち出します。
けれど、本当は何が食べたいのか、
自分でもよく分かっていませんでした。
お菓子が食べたいわけでもない。
お腹を満たしたいわけでもない。
口寂しいと言えば、
たしかにそうなのかもしれません。
でも、もっと正確に言えば、
私は退屈していました。
何かやらなければならないことが
あるわけでもない。
いや、あるんだけど、
緊急性ではない。
急いで終わらせたい仕事が
あるわけでもない。
観たい映画も、読みたい本も、
今すぐ取りかかりたい文章も浮かばない。
いや、あるんだけど
観ようという気になれないし、
読もうという気になれないし、
書こうという気になれない。
時間はあるのに、
その時間を渡したい相手が
いないような感覚でした。
だから私は、食べることで
時間に小さな予定を入れようと
していたのだと思います。
冷蔵庫を開け、中を眺める。
何を食べるか考える。
冷蔵庫から取り出し、口に入れる。
味を感じる。
食べている数分間だけは、
「何をしたらいいか分からない」
という状態から離れられます。
食べることは、手軽です。
準備もそれほどいらないし、
始めればすぐに刺激が返ってくる。
おいしい、甘い、温かい、冷たい。
少なくとも、退屈よりは
分かりやすい感覚を与えてくれます。
だから私は、
お腹を満たそうとしていたのではなく、
何も起きていない時間を
埋めようとしていたのでしょう。
食べ物が欲しかったというより、
今の状態を変えたかった。
もっと言えば、
私は夢中になりたかったのです。
何かを考えているうちに時間を忘れる。
言葉を探しているうちに、
さっきまでの退屈が消えている。
誰かと話しているうちに、
自分でも知らなかった考えにたどり着く。
私は、そういう時間が欲しいけど
それが見つからない時、
代わりに冷蔵庫を開けてしまっている。
これは、食べることに限った話
ではないと思います。
寂しいから、誰かに連絡する。
不安だから、買い物をする。
自信がないから、
もっと実績を増やそうとする。
自分が何を感じているのか分からないから、
とりあえずスマホを開く。
どれも悪いことではありません。
食べることも、買うことも、
誰かを頼ることも、実績を積むことも、
それ自体には何の問題もない。
ただ、ときどき
本当に欲しいものとは少し違うもので、
自分を満たそうとしてしまう。
そして、それがうまくいかないと、
食べたのに満たされない。
買ったのに気分が晴れない。
人と会ったのに寂しい。
結果を出したのに安心できない。
そんなことが起こります。
欲しかったものと、手に入れたものが、
ほんの少しずれているからです。
けれど、このずれは、
自分を責めても見つかりません。
「また食べようとしている」
「意志が弱い」
「暇なら何かすればいい」
そうやって自分を取り締まると、
行動だけは止められるかもしれません。
でも、自分が本当に欲しかったものまで、
見えなくなります。
だから私は、冷蔵庫を開けた手を
すぐに引っ込めなくてもいいと思っています。
食べたいなら、食べてもいい。
そのうえで、扉を開けたまま一度だけ、
自分に聞いてみる。
私は今、何を食べたいんだろう。
それとも、何かを始めたいんだろう。
誰かと話したいのか。
頭を使いたいのか。
気分を変えたいのか。
安心したいのか。
何もしたくない自分を、許してほしいのか。
すぐに答えが出ないかもしれない。
「分からない」と気づくだけでも、
何も考えずに食べるときとは少し違います。
そして、何かが食べたいのではなく、
退屈から抜け出したいのだと分かったなら、
いきなり人生を変えるようなことを
探さなくてもいいと思うんです。
今日一番引っかかったことを、
一行だけ書いてみたり。
誰かに話したかったことを、声に出してみたり。
読みかけの本を、二ページだけ開いてみたり。
外の空気を吸いながら、
自分は今どんな時間を欲しがっているのか考えてみたり。
夢中になれるものは、
いつも壮大な目標の姿で現れるわけではない。
何気ない違和感に
少し長く立ち止まった先に、
見つかることがあります。
今日の私にとっては、
「なぜ、お腹が空いていないのに食べたくなるのか」
という小さな疑問が、それでした。
こんなことを考えて何になるのだろう、と言われれば、
すぐには何にもならないかもしれません。
冷蔵庫は相変わらず冷蔵庫ですし、
ゆで卵が急に人生の答えを
話し始めることもありません。
けれど私は、こういうところから
人のことを知っていくのが好きです。
大きな夢を聞くことよりも、
その人が何気なく繰り返していること。
立派な目標よりも、なぜか手放せない習慣。
「幸せになりたい」というきれいな言葉よりも、
その人にとって、どんな瞬間を幸せと呼ぶのか。
私は、目の前の人から
仕事の目標や将来の望みを聞くことがあります。
多くの人は、きちんと答えてくれます。
もっと売上を上げたい。多くの人に届けたい。
誰かの役に立ちたい。自由に働けるようになりたい。
どれも嘘ではありません。
その人は本当に、そう思っているのだと思います。
でも私は、その言葉の奥に、
まだ別の何かがあるように感じるんです。
売上が欲しいのではなく、
もう誰かに生活を握られたくないのかもしれない。
多くの人に届けたいのではなく、
たった一人に「分かってもらえた」
と思いたいのかもしれない。
自由に働きたいのではなく、
自分で決めたことを
自分で変えられる人生が欲しいのかもしれない。
本人が話している言葉を
否定したいわけではありません。
むしろ、その言葉が
どこから生まれたのかを知りたいのです。
その目標は、本当にその人の望みなのか。
誰かに立派だと思われるために
選んだものなのか。
叶えた先で、どんな感情を味わいたいのか。
本当は何を守りたかったのか。
私は、表面に出てきた言葉を、
きれいに並べるだけの仕事には
あまり興味がありません。
言葉になったものよりも、
その言葉になる前に、
その人の中で何が動いていたのか。
そこに興味があります。
仕事の話を聞いているようで、
私はその人の生き方を聞いています。
恋愛の話を聞いているときも、
人間関係の話を聞いているときも、
見ているものは同じです。
その人は、何を大切にしてきたのか。
何を失うことが怖かったのか。
どんなときに自分らしくいられたのか。
本当は、どんな人生を選びたかったのか。
仕事、恋愛、生活、人間関係。
分かりやすく伝えるために
名前を分けているだけで、
その人の中では全部つながっています。
仕事では他人の期待に応え続け、
恋愛だけでは自由に生きるということは、
簡単ではありません。
人間関係で
自分の気持ちを飲み込み続けている人が、
発信のときだけ本音を語るのも難しい。
どこかで自分を後回しにしていれば、
その癖は形を変えて、別の場所にも現れます。
反対に、自分が何を感じ、何を望み、
何を大切にしたいのかを知ることができれば、
それは仕事だけでなく、恋愛にも、
暮らしにも、人との関わりにも表れます。
だから私は、日常の小さな行動を、
ただの癖として片づけたくありません。
お腹が空いていないのに
冷蔵庫を開けたことも、
約束が近づくと窮屈になることも、
誰かの何気ない一言がずっと心に残ることも。
そこには、その人が言葉にできていない
願いが隠れていることがあります。
もちろん、すべての行動に
壮大な意味があるわけではありません。
本当にただプリンが食べたい日もあります。
それは、ぜひ食べたほうがいい。
けれど、何度満たしても
同じ場所に戻ってしまうときは、
目の前にあるものとは
別の何かを求めているのかもしれません。
私は、その「別の何か」を、
本人より先に決めたくありません。
あなたが欲しいのは安心です。
あなたが求めているのは承認です。
そんなふうに、分かった顔で答えを渡したくない。
その人自身が、
「私が欲しかったのは、これだったのかもしれない」
と、自分の言葉で見つけるところまで一緒にいたい。
なぜなら、自分で見つけた答えだけが、
その人の人生を動かせると思っているからです。
私は、誰かの正解を
作りたいわけではありません。
その人が、
自分の中に眠っていたものに気づき、
自分で選び直せるようになるための対話をしたい。
冷蔵庫を開けた手の奥に、
夢中になりたいという願いがあったように。
立派な目標の奥にも、
誰にも見せてこなかった
小さな願いがあるかもしれない。
私は、そういう願いを見つけることを
大切にしています。
それが仕事だからではありません。
私は、人と関わるときも、
自分の人生を考えるときも、
同じようにありたいからです。
目に見える行動だけで、その人を決めつけない。
口にした言葉だけで、分かったつもりにならない。
すぐに正しい答えへ連れていくより、
その人の中から出てくる答えを待つ。
人は、自分でも気づいていないほど深いところで、
ちゃんと何かを願っています。
私は、その願いが
言葉になる瞬間に立ち会いたい。
たとえ始まりが、
冷蔵庫の前だったとしても。
■メルマガ「箸が転んでも」■
SNSの華やかな表面だけでは伝えきれない
「言葉の裏側」や、
私が日々クライアントの本質に潜り、
磨き上げている思考のプロセスや、
ちゃんとしていない私を曝け出している姿を
メルマガで赤裸々に綴っています。
https://fuka.email/page/12055.aspx

