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「いらっしゃいませー!」

と満面の笑みで迎えながら、

心の中では「頼むから閉店間際に来ないでくれ、

早く帰れ」と睨みつけている。

 

 

 

こんな自分の性格の悪さまで書かなくていいのに

書いてしまう理由がある。

 

 

 

世間では私のことを

「ハッキリものを言う人」とか

「メンタルが強い人」だと思っている節が

あるかもしれないけれど、

それは大きな誤解だ。

 

 

 

本当の私は、石橋を叩いて、叩き割って、

「やっぱり壊れたから渡るのやめよう」

と帰宅するくらいのビビリだ。

 

 

 

平和主義者だし、争いごとは嫌いだし、

できれば全人類と「あはは、うふふ」

とお花畑でスキップしていたい。

 

 

 

「すごいね!」

「わかる~!」

「そのままでいいよ!」

そう言って、相手を肯定するだけの

全肯定人間でいられたら、どれだけ楽だろうか。

 

 

 

実際、どうでもいい相手にはそうしている。

 

 

 

私が直感的に合わないと判断して

心のシャッターを固く閉ざした相手や、

自分のことばかりで、

時間、エネルギーを奪おうとしてくる人、

これまでの職場で出会った

その場限りのお客さん。

 

 

 

彼らがどんなに間違った道に進もうとしていても、

私の時間を削って話しかけてきても、

私は笑顔で「へえ、楽しそうだね!」「すごいですね!」

と相槌を打つ。

 

 

 

「早く話終わらないかな」

「私の時給発生してないんだけどな」

と心の中はそれでいっぱい。

 

 

冷たいよなーと思う。

でも、これが「大人のお付き合い」というやつ。

 

 

 

波風を立てず、相手の気分を害さず、

その場の空気を綺麗に保つ。

 

 

 

それは優しさに見えるかもしれないけれど、

本当はただの無関心。

 

 

 

相手の人生に責任を持つつもりがないから、

耳触りのいい言葉でコーティングして、

右から左へと流すことができる。

 

 

 

けれど、相手が私のお客さんや、

心から大切に思っている人だと、

話は別になる。

 

 

 

これまでも執筆の仕事をしていてよくあるのが、

自分の成功した部分や、綺麗な結論だけを

見せたくなってしまうこと。

 

 

 

「苦労しましたが、今はこんなに幸せです」

「努力の結果、こんな実績が出ました」

もちろん、それは素晴らしいことだ。

 

 

 

でも、私が本当に惹かれるのは、そこじゃない。

 

 

 

私が書きたいのは、

その輝かしい結果の裏にある、

今のその人からは想像もできないほどの努力や、

情けなくて、誰にも知られたくない恥ずかしい部分、

あんな過去、無かったことにしたくなるほどの

やらかした経験、

表では見せていない、本当の想いの

「背景」の方だ。

 

 

誰かが何かをしてくれた時、

その行動という結果も嬉しいけれど、

もっと嬉しいのはその「背景」を知った時。

 

 

 

「お世話になっているからプレゼントしたかった」

という想い、

「何が欲しいか分からなくて、

店員さんと1時間も相談してたらしいよ」とか、

「忙しい時間の合間を縫ってでも会いたい」

と思ってくれている気持ち。

 

 

 

そのプロセスや、

相手を想ってくれている時間こそが、愛おしい。

 

 

 

人間も同じで。

 

 

 

思うような人間になれなくて

夜中に一人で泣いたこと。

 

 

 

カッコつけて挑戦したのに、

派手に失敗して恥をかいたこと。

 

 

 

嫉妬に狂って、

ありもしない悪口を言いたくなってしまったこと。

 

 

 

本人は、葬り去りたいほど隠したい恥だと思っている

その「背景」にこそ、その人らしさが溢れてくる。

 

 

 

そこにこそ、誰かの心を震わせる

希望になる。

私はそう信じている。

 

 

 

だから私は、お客さんの原稿を書く時、

あえてその触れられたくない部分に光を当てる。

 

 

 

「綺麗にまとめようとしないで。

その時の、感情を教えてほしい」

 

 

 

そう迫る私は、もしかしたら

悪魔に見えるかもしれない。

 

 

 

めちゃくちゃ心を

エグっていることもわかっているから。

 

 

 

それを知りながら聞く私も

苦しくなる。

 

 

 

けど、そのプロセスが

めちゃくちゃ大事だから

私も諦めずに質問をする。

 

 

 

相手の表情が雲っていくと

たまにビビって話を止めてしまうこともあるけど笑

 

 

 

完成した原稿を相手に送る時、

今から何百人の前で演説しますってくらい

ものすごく緊張する。

 

 

 

相手が一番言われたくない、

でも今絶対に書かなきゃいけない

真実が並んでいるからだ。

 

 

これを送ったら、もう二度と

この人とは笑い合えないかもしれない。

 

 

 

こんな風に思っていたなんてひどい!

 味方だと思っていたのに! と拒絶されるかもしれない。

 

 

 

そんな恐怖が、私の心臓を締め上げる。

 

 

 

当たり障りのない、

綺麗な言葉でまとめることだってできる。

 

 

 

「あなたは素敵です」「頑張りましたね」

と書いておけば、相手はすぐに喜んでくれるだろうし、

私も嫌われない。

リスクゼロで、平和な世界だ。

 

 

 

でも、それをしたら、私は私を許せなくなってしまうし、

私がやる必要も無くなってしまう。

 

 

 

相手の人生の背景を知ってしまった以上、

上辺だけの言葉でサラッと流しておくことは、

その人のこれまでの経験や、

積み重ねてきたモノに対して

軽く見ている気がしてしまうから。

 

 

 

「今のあなたは素晴らしい」と言うのは簡単。

 

 

 

でも、「あんなに最低で、

あんなに弱かった過去のあなたも、

最高に美しかったよ」と伝えること。

 

 

 

それができるのは、

深く関わり、その人の影まで

愛そうと決めた私しかいないと思っている。

 

 

なぜ私が、そこまでして

「影」や「背景」にこだわるのか。

 

 

 

それは私自身が、

自分の性格の悪さや、弱い部分、

嫌われてしまうんじゃないかと思っていたことを

晒け出したことで、私が救われた経験があるからだ。

 

 

 

昔の私は、いい人だと思われたくて必死だった。

 

 

 

誰にでも優しく、清廉潔白で、

ポジティブな自分を演じていた。

 

 

 

でも、演じれば演じるほど、

心の中は息苦しくなり、

誰にも本音を言えなくて、

人は周りにたくさんいるはずなのに

孤独だった。

 

 

 

ある日、恐れながら

自分の内側にある

隠しておきたかったことや汚い感情を、

そのまま文章にして出した。

 

 

 

「離婚に至った背景」

「職場の人間関係に対する本音」

「接客中に早く帰れと思っている」

「人の幸せを素直に喜べない時がある」

そんな、最低な本音だ。

人は離れていくと思った。

軽蔑されると思った。

でも、返ってきたのは意外な言葉だった。

 

 

 

「そんな風に思っていいんだ!って安心した」

「綺麗な言葉より、今の言葉の方が人間らしくて

ずっと信用できる」

「視点が面白い」

拍子抜けした。

 

 

 

私が隠したかった最低な部分は、

誰かにとっての安心であり

信頼の証だったのだ。

 

 

結果や結論だけじゃなく、

葛藤している背景を見せることで、

人は初めてその人を人間として興味を持ってくれて

好きになってくれる。

 

 

 

だから私は、しっかり聞いて掘って書きたいのだ。

 

 

 

隠そうとしている、

その不器用なこれまでの足跡。

成功できなかった挫折。

誰かを傷つけてしまった後悔。

 

 

 

辛くもなるだろうし、

嫌な気分になるだろうし、

悲しくもなるだろうし、

私に怒りをぶつけたくなるかもしれない。

 

 

 

でもそれは、私があなたのことを

「どうでもいい」と思っているからじゃない。

むしろ逆で。

 

 

 

あなたのことが大好きで、

あなたの人生の背景まで含めて

丸ごと肯定したくて、

震えながら言葉を紡いでいる。

 

 

 

どうでもいい人には、

私は最高の笑顔で「いいね!」しか言わない。

 

 

 

だから、もし私が真剣な顔で、

ちょっと痛いところを突き始めたら、

私もそれくらい真剣にあなたと同じレベルで

伝えたいと思っているのだと思ってほしい。

 

 

「愛があれば、すべてを美しく書ける」

と思う人もいるかもしれない。

 

 

 

けど私の愛はちょっと違う。

 

 

 

愛があるからこそ、隠しておきたい真実も書く。

 

 

 

深く関わっていけるからこそできること。

あなたを信頼しているからできること。

 

 

 

私はそう思っている。

 

 

 

まあ、そうは言っても。

キツい、しんどいと言われることもあるし

思われているだろうけど。

 

 

 

それでも私はいつだってストレートで、

ちょっとだけ辛口だ。

 

 

 

本質を見抜き、

そこにグサッと刺してしまうから

怖がられてしまうけど。

 

 

 

それでも私は、こうやってじゃないと

いいものが作れないから、

私も一緒に葛藤している。

それもひっくるめて結局楽しい。

 

 

 

 

 

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今、私は「しげちゃん」こと

井谷重人さんの出版プロデュースに、

没頭しています。

 

井谷重人さんについて

 

 

自分でするを捨て、自分で決める。

という自律を伝えるしげちゃん。

 

 

 

彼は2006年の事故で

首から下の自由を失いました。

以前は「一人でできること」を増やすのが

自立だと信じていましたが、

今は違います。

 

 

 

「たとえ誰かの手を借りても、

自分の意志で選び、

その結果に責任を持つなら、

それは自分の人生だ」と彼は断言します。

 

 

 

現在は国内外で障がい者の自立を支援し、

自分の人生のハンドルを

他人に渡さない大切さを伝えています。

 

 

 

身体は不自由でも、

誰よりも自由な意志で生きる姿は、

本当に素敵だし、多くの人の選択肢、

世界を広げています。

 

 

 

私が今向き合っているのは、

世間一般に流通しているような

「障害を乗り越えた、

立派な社長のサクセスストーリー」

ではありません。

 

 

 

そんなものは、AIに

「それっぽく書いて」と指示すれば

10秒で出力される。

 

 

 

私がやっているのは、

もっと生々しくて、光も闇もあって

私にとって震えるほど美しく

楽しい作業です。

 

 

 

それは、しげちゃんという人間に、

深く深く潜って掘り起こすこと。

 

 

 

対話を重ねる中で、

「社長としての正解」や

「模範的な答え」の

裏側に隠されている、

彼自身も無意識に蓋をしていたような

心の奥底にある真実を、

対話によって見つけ出し、

一つひとつ形にしていく。

 

 

その作業は、苦しかったり、辛かったり、

でも話してもらう中で、自分自身が

愛おしいものにもなっていきます。

 

 

 

対話からエッセンスを抽出し、

私がリールの原稿や本の一部を書き上げ、

しげちゃんに納品する。

 

 

 

すると、しげちゃんは毎回、

感動して言葉を失ってくれます。

 

 

 

そうメッセージをもらうたびに、

私はクリエイターとして

この上ない喜びに包まれるし、

めちゃくちゃホッとしています。

 

 

 

けれど、ここで私が

一番強く感じているのは

「私の文章がすごい」

ということではないんです。

 

 

 

私が形にしている言葉の核は、

しげちゃんがこれまで命を懸けて

生きてきた時間や、

言葉にならない悔しさ、

誰にも言えなかった孤独から生まれています。

 

 

私はただ、彼が差し出してくれた

言葉になるのを待っていた、

まっすぐな気持ちを、

私のフィルターを通して磨き、

届けたい人に伝わる形に

翻訳しているだけなのです。

 

 

 

私は彼という人間を丸ごと受け止めて、

彼が自分でも気づいていないような

細かな本音を丁寧に拾い上げています。

 

 

 

その理解の精度をどこまでも

高めていくことこそが、

私の今の役割だと思っています。

 

 

 

以前、別府までしげちゃんの出張に

「ただついて行った」話をしました。

 

 

 

今の時代、オンラインで

効率よくヒアリングして、

録音データを文字起こしすれば、

本は作れてしまうと思っています。

 

 

 

でも、それではしげちゃんという人間の体温が、

文章に乗らないのです。

 

 

 

私は、彼の車椅子をスタッフが押す時の、

信頼の重みが見たかった。

 

 

彼が焼肉屋で焼肉を食べず、

焼きそばを食べながら、

ふとした瞬間に出てくる言葉や、

スタッフとの会話のやり取りの

雰囲気を知りたかった。

 

 

 

朝6時まで一緒にハイボールを飲み明かし、

理性が溶け出した先でポロッと漏れる本音を、

拾い上げたかった。

 

 

 

そこまでして初めて、

私はしげちゃんの言葉を

叩き出すことができる。

 

 

 

しげちゃんを知らずに、

知ったような感じで

しげちゃんを伝えることなんて

できないから。

 

 

効率やコスパといった概念からは、

一番遠い場所にあります。

 

 

 

でもここまでしたからこそ

私自身がしげちゃんの原稿を書きながら、

泣いてしまうんです。

 

 

 

私が一番最初に感動し、

一番最初に救われている。

 

 

 

本当に心から楽しくて心が震える仕事が、

私の人生に現れてくれたことが

奇跡のようです。

 

 

 

仕事なのか、遊びなのか分からないくらい

楽しい仕事をしたいと

心から叫んでいた夢は、

今、ここにあります。

 

 

 

しげちゃんが本を通じて伝えようとしている

「自律(自立)」というテーマ。

 

 

 

リハビリをして、

体が動くようになることではありません。

 

 

 

「自分で選択し、

自分の人生を生きること」です。

 

 

全介助の彼が語るその言葉は、

五体満足なのに、

他人の目ばかり気にして、

ランチのメニューすら

「お得な方」で決めてしまう、

6年前私の心に深く突き刺さりました。

 

 

 

今、私が作っている原稿には、

しげちゃんのかっこよさだけでなく、

彼の脆さや弱さ、そして裏テーマである

他界された母親への想いも

全部詰め込んでいます。

 

 

 

しげちゃんと私が、妥協を許さず、

どこまでも深く向き合い、

笑って、泣いて、

ハイボールを飲んで作った言葉。

 

 

 

単なる読み物を超えて、

読む人の人生を揺さぶる作品になると

確信しています。

 

 

 

しげちゃんとのやり取りは、

私に表現することの根源的な喜びを

思い出させてくれました。

 

 

 

私が形にすることで、

相手が自分の価値に気づき、

言葉にならない感動に包まれる。

 

 

 

その循環の中にいられることが、

今の私の誇りで喜びで、

めちゃくちゃ幸せです。

 

 

 

誰かの本質を見抜き、

最高に美しい形で世に放つ。

 

 

 

私はこれからも、この感覚と感受性と

目と指先を使って、心の震えを

言葉に変換し続けていきます。

 

 

 

 

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「出張、いいなー」と軽く言ったら、

翌々週には別府にいた。

 

 

きっかけは、現在出版プロデュースを担当している

「しげちゃん」こと

井谷重人(いたにしげと)さんとのやり取り。

 

 

 

 

 

彼は20代の交通事故で首の骨を折り、

現在は車椅子で全介助の生活を送る

CIL星空の代表です。

 

 

オンラインで効率よく本を作ればいいものを、

感受性が強すぎる私は

「その場の空気を感じたい!」と密かに思っていた。

 

 

「出張が多いんだよね」

と話してくれたしげちゃんに

軽い気持ちで、「いいなー、私も行きたい」

とポロッと話したら

「来るー?」という流れで

全く関係のない彼の別府出張に、

ただ「ついていく」ことにした。

 

 

愛媛の空港に着けば、

蛇口から出るみかんジュースの洗礼を受け、

車に乗ればクラッカーで

サプライズで出迎えてもらい。

星空の会社のみんなの温かさが伝わってきた。

 

 

極め付けは、初日の夜。

焼肉屋で、私がしげちゃんに対して

「見たまんまの事実」を

ズバッと言い過ぎて、周囲のスタッフが

「え、今のはきつくないか?」と震え上がる始末。

 

 

そんなことがありながらも、

その後朝の6時まで

ハイボールを片手に語り合った。

 

 

この出張で、

私はたくさんのことを受け取ってきて

本当に行ってよかった。

時間を気にしなくてもいいところでしか

できない話もできたし

しげちゃんが本当に感じていることも知れて、

創作意欲が燃える一方。

 

 

34歳でようやく自立した(と思っている)私が、

全介助のしげちゃんから教わる「本当の自律」。

 

 

そして、この本の裏テーマである

「母親への想い」に触れたとき、

生理前の情緒不安定も相まって、

私は自分の家で、

しげちゃんの原稿を書きながら

一人で号泣しています。

 

 

「仕事なのか、遊びなのか

分からないくらい楽しい仕事がしたい」

そう願っていた私の夢を、

この「星空」のメンバーたちが、

泥酔と感動のセットで叶えてくれました。

 

 

1時間の長丁場ですが、聴き終えた頃には、

あなたの「自律(自立)」の定義も

ガラガラと崩れ去っているかもしれません。

 

 

今回のラジオの聴きどころ

【突発的すぎる別府行き】

「出張いいなー」という独り言から、

なぜか別府での2泊3日が始まった経緯

 

【松山空港の洗礼】

蛇口からみかんジュース、

そして謎の「撮影指示」を出すスタッフとの攻防

 

【愛のサプライズ】

車のドアを開けたらクラッカー!?

ホノルル仲間が集結した誕生日級の歓迎

 

【深夜1時の毒舌事件】

焼肉屋で社長にズバッと言い放った「きつい一言」と、

その後の空気

 

【泥酔のち、真理】

ホテルの部屋で朝6時まで飲み明かして見えた、

しげちゃんが語る「真の自律(自立)」とは

 

【号泣必至の裏テーマ】

著者のしげちゃんよりも先に、

私が泣きながら原稿を書いている理由

 

【効率への反逆】

オンライン時代に、あえて2泊3日の空気感を

インストールするクリエイティブな仕事術

 

 

音声はこちらから聴けます(約60分)

 

 

 

 

 

 

 

 

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マーケティングの教科書に

照らし合わせたら、

私のやり方はきっと

「型破り」に分類されてしまう。 

 


緻密な戦略や動線が

あったわけではない。

 


ただシンプルに

「伝えたい」という衝動だけ。 

 


だけど、そんなふうに

夢中で言葉を

積み重ねてきたこの6年間が、

今の私の土台を作ってくれている。

 

 

「理由」がないと、

動いちゃいけない気がする私たち

私たちは大人になるにつれて、

何をするにも「理由」や「目的」を

求められすぎている気がする。

 


「それやって、お金になるの?」

「その趣味、将来なんの役に立つの?」

「やるからには、

結果を出さないと時間の無駄じゃない?」

 


もちろん、

仕事やビジネスにおいて

「目的」を持つことは大切だ。

 


「これを達成したいから、これをする」

という逆算思考は、

成果を出すための王道だし、

素晴らしいことだ。

 


私も、自分のサービスを届ける時は、

しっかりと目的を持って熱量高く動いている。

けれど、世の中のすべての行動に

「立派な目的」が必要なわけじゃない。

 


本当はただ純粋に、

絵を描きたいだけなのに。

ただ走りたいだけなのに。

ただ文章を書きたいだけなのに。

 




「目的を持て」

「ゴールを設定しろ」

という正論に圧迫されて、

「ただ好きだからやる」

という純粋な気持ちにまで、

無理やり理由をこじつけようとして

苦しくなってしまう。

 


「生産性のないことをしている自分」に

罪悪感を感じて、

結局、一番やりたかったことを

手放してしまう。

 


もし今、

「こんなこと続けてて、

一体何になるんだろう…」

と、自分のやっていることに

自信を持てなくなっているなら。

 


または、立派な目的が

見つからないから動けないと

立ち止まっているなら。

 


安心してほしいです。

 


無理に理由なんてつけなくても、

あなたの「好き」

という気持ちだけで

走り出したって、

何の問題もないのだから。

 

 

戦略も大事だけど、

それだけじゃ続かなかった日々

2019年。

私がブログを書き始めたきっかけは、

最初は明確な目的があった。

 


集客のため。

私を知ってもらうため。

私の考えや人生を知ってもらうため。

 


それはビジネスとして

非常に健全な動機だし、

だからこそ最初は頑張れた。

 


でも、途中で筆が止まることもよくあった。

 


「どう書けば集客できるか」

「どう見られるか」

と考えすぎて、

方向性を見失い、

迷走した時期もよくあったし、

よくある。


 

目的がプレッシャーになり、

書くことが苦しくなる瞬間もあった。

 


それでも私は、

ブログを閉鎖することなく、

発信し続けた。

 




インスタも、ライブ配信も、

noteも、stand.fmも。

 


特に、2024年の

自分の誕生日に始めたメルマガなんて、

ビジネス的な戦略は二の次だった。

 


「このメルマガで

何か価値を提供しなきゃ」

「読んでくれる人を幸せにしなきゃ」

 


そう意気込んで始めたわけじゃない。

 


ただひたすら、

私がその日感じたこと、

モヤモヤしたこと、

社会への小さな反逆心を、

日記のように綴るだけ。

 


読者からすれば

「で、これ読ませてどうしたいの?」

と言いたくなるような内容だったと思う。

これからも相変わらず書くけども。

 


書いていて、自分でも何度も思った。

 


「これ、やってて何になるんだろう?」

明確なゴールがあるわけでもない。

 


ただ、睡眠時間を削って、

パソコンに向かってキーボードを叩いている。

 


そのエネルギーを他のことに使えば、

もっと効率よく生きられるんじゃないか?

それでも、やめられなかった。

 


理屈抜きに、書くのが好きだから。

 


自分の思いを言語化して、

ピタッとハマる言葉が

見つかった時の快感。

 


誰かに届いても届かなくても、

私の中から言葉が産み落とされたという

事実だけで、私は楽しかった。

 


今でも、自分が書いた文章を

何度も読み返して、

ニヤけたり、涙を流したりしている。

 


それくらい、

自分が書いた文章が好きだ。

 


上手いだなんて思っていない。

好きなだけ。

 


意味がないかもしれないと思いながらも、

どうしてもやめられない。

 


それは戦略を超えた、

私の純粋な遊びであり、喜び。

 

 

「好き」で走り続けた先に、

予期せぬ「信頼」が待っていた

そうやって、目的よりも衝動を優先して、

ひたすら書き続けて数年。

 


今、私は「出版プロデュース」

という仕事をしている。

 


著者の思いを言語化し、

本という形にする仕事。

 


不思議なことに、この仕事は

私が履歴書を持って営業に行って

手に入れたものではない。

 


私が、あの、

何の意味があるの?と思いながら

積み上げてきた、膨大な文章の山。

 


それを見てくれたのも一つの理由で、

「お願いしたい」

と、声をかけてくれたのだ。

 


これまでにも、

ブログのおかげで私を知って、

仕事を依頼してくださった方は

他にもいた。

 



目的を持たずに積み重ねた「好き」も、

いつの間にか「信頼」に変わっていた。

 





もちろん、目的を持って

戦略的に発信することも素晴らしい。

それはプロの仕事だ。

 


でも一方で、私が何の計算もなく、

ただ「書きたい! 伝えたい!」

という純粋な気持ちで

書き続けてきた文章には、

また別の種類の熱が宿っていたのだと思う。

 


「この人は、本当に言葉が好きなんだな」

「この人は、嘘をつかない人だな」

その理屈を超えた熱量が

伝わってくれたんだと思う。

 


目的を持ってやるのもいいけど、

目的が見つからないなら、

「好き」だけで走り出したっていいと思う。

 


私は最近ランニングを始めた。

と言っても、

アスリートのような走りではない。

 


亀が散歩しているくらいの、

超スローペース。

 


これも、ダイエットのためとか

立派な目的を掲げてしまうと、

体重が減らなかった時に

やる意味ないじゃん。

と挫折してしまうかもしれない。

 


だから、私はあえて

しっかりした目的を持たずに走り始めた。

 


「走りたいから、走る」

「あわよくば、フルマラソン走りたい」

「地方の大会に出つつ、旅行したい」

「仲間と走れたら楽しそう」

 


それだけでいい。

そうやって、ただ楽しく走り続けていたら、

数ヶ月後に何かが起きるかもしれない。

 


体力がついて

仕事のパフォーマンスが

上がるかもしれないし、

道端で運命の出会いがあるかもしれない。

 


でも、仮に何も起きなかったとしても、

「走っている時間が楽しかった」

「自分のために時間を使えた」

それだけで、私の人生の幸福度は

爆上がりしているのだから。

それだけで、100点満点だ。

 


「これをやる意味は?」

そう考えすぎて動けなくなるくらいなら、

いっそ意味なんて考えなくていい。

 


目的を持って行動できる時は、

そうすればいい。

 


でも、純粋な「やりたい」

という気持ちが湧いてきた時は、

無理にそこに目的という

タグを付けなくていい。

 


「ただ好きだから」

そのシンプルな情熱は、

どんなに練られた戦略よりも、

遠くまであなたを連れて行ってくれる。

 


誰かを好きになった時、

理由なんてないのと同じように。

 


「なんか好き」って最強だと思う。

 


私が書いた意味のない文章が、

今の私を支える最強の武器になったように。

 


だから、「なんとなくやりたい」を、

殺さないでほしい。


 

その純粋なエネルギーこそが、

いつか必ず、予想もしなかった

面白い場所に連れて行ってくれるはずだから。

 



 

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​こんにちは。
やすよ(冨田恭代)です!
 

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今となっては、
本当に!?と疑われてしまうほどですが、
私は幼い頃からずっとアトピーで
ステロイドの薬を手放せない生活でした。

 

 

 

自分の汗で痒くなり、
着ている服の摩擦でも肌は荒れる。
髪の毛も肌に触れるだけで痒い。

そんな、ひどい痒みと共に生きてきました。

 

 

 

眠っていても無意識に全身掻きむしっていて
朝起きたら、布団のシーツはいつも血まみれ。

敏感肌用の優しい化粧水ですら、
つけるとすぐに肌が荒れてしまって。

 

 


余計なものが一切入っていない
手作りの化粧水さえ、
私には刺激強すぎてかぶれてしまう。

私にとって「保湿」とは、
薬を塗ること以外にあり得ませんでした。

 

 

 

症状がひどい時に塗る、強いステロイドは
常に使わないとどうしようもないほど
常に肌は真っ赤で、ボロボロでした。

 

 

 

私はそれを「治療」だと思って、
仕方ないと思っていました。

でも、それは間違いでした。

 

 


22歳の時、私は知ってしまったのです。

15年以上使い続けてきた薬が、
病気を治していたのではなく、
ただ「症状を抑え込んでいただけ」
だったということを。

ものすごい不安に襲われたあの感覚を
今でも覚えています。

 

 

 

これまで、誤魔化し続けていた
ということだったのか。

治る可能性はほぼないということ?

一生私はこの体とこの痒みと
生きていかなければならないということ?

メイクや化粧品は
私には一生楽しむことができないということ?

一生私はキレイになれないんだ…。

悲しすぎて、苦しすぎて
あの時の感情を今
どう言葉にしていいのか、わかりません。

 

 

 

家族の中で私だけが肌が弱くて、
肌がボロボロでした。

なんで私だけ!?
何か私悪いことした!?

怒りをぶつけようにも、
それを向ける矛先が無い。
すごく苦しかったし、孤独でした。

 

 

 

でも、悩んでいても
何も変わらない。

どうしたら「普通」になれるんだろう。と
当時のiモードで
めちゃくちゃ調べまくる毎日でした。

 

 

 

「もう、薬で誤魔化すのは嫌だ」
「薬のない人生を生きたい」
「本当の、何もない自分で生きたい」

そう思った私は、
脱ステロイド治療
(漢方とプラセンタへの切り替え)
を決意しました。

 

 

 

この決断には、ものすごく覚悟が必要なことは
血眼で調べまくっていたから
わかっているつもりではいました。

 

 

 

そしていつも通っていた皮膚科とは違う
漢方と美容専門の病院へ
行くことにしたのです。

 

 

その病院の先生は、
めちゃくちゃ肌がキレイな先生でした。

透き通るような白い肌で、
そんなキレイな人に、
ボロボロの肌を見られることが
ものすごく恥ずかしかったです。

 

 

 

その先生は、私にこう言いました。
「これから辛い日々が始まるけれど、
覚悟はできていますか?」

 

 

 

覚悟。

 

 

 

もう今の私には、ここしかなかった。
今までの苦しみもあり、
これが一生続くくらいなら
がんばるしかない、
やるしかないと思ったのです。

 

 

 

ただ、その「覚悟」の言葉の重みを、
私は身をもって知ることになります。

 

 

 

治療を始めてから待っていたのは、
想像を絶する「地獄」でした。

 

 

 

薬という「蓋」を外した途端、
15年以上抑え込まれていた毒素が、
一気に噴き出してきたのです。

 

 

 

顔はパンパンに腫れ上がり、
皮膚は今までの比じゃないほどに
ボロボロと剥がれ落ち、
常に体液が流れ出てくる。

 

 

 

ガーゼのハンカチを常にポケットに入れていて、
その液を押さえるように拭き取ることを
四六時中していました。

ハンカチも一枚じゃ足りないから
常に替えを持ち歩いてて。

 

 

 

全身が火傷をしたような状態で、
痒みと痛みで夜も眠れませんでした。

 

 

 

痒みというのは、拷問です。

頭が狂いそうになるんですよね。

それを止めるために、
痛みの方がまだマシだと、
血が出るまで掻きむしってしまう。

 

 

 

痒みを麻痺させたくて、
ただれた皮膚に
熱湯をかけたこともありました。

 

 

 

生活も一変しました。

働いた給料のほとんどは、
治療費に消えていきました。

 

 

 

週に2回注射を打ちに行き、
毎週変わる漢方の苦い薬を飲み続ける日々。

 

 

 

食事制限も厳しく、
上白糖は禁止、揚げ物も禁止。

 

 

 

「これをやれば治る」という
保証なんてどこにもないけれど、
とにかく先生の言うことを信じて、
すがるしかありませんでした。

 

 

 

そんな極限状態の中で、
私をさらに追い詰める出来事が起きました。

 

 

 

一番支えてほしいと思っていた当時の彼から、
突然こう言われたのです。

「私たちの関係について、考えさせてほしい」

 

 

 

おいおいおい。
伝えるタイミング大間違いだろ。

漢方医を一緒に探してくれたのは彼でした。

 

 

 

これからが一番辛い時だって
わかっていたはず。

それなのに、考えさせてほしい?
私は愕然としました。

でも同時に、冷たい怒りと諦めのような感情が
湧き上がってきました。

 

 

 

「こんな時に支えてもらえないのに、
一緒にいる必要あるのかな…」

彼には彼なりの何かがあったのかもしれない。
けど当時の私にはもう、
彼の気持ちを受け止める余裕なんて
1ミリも残っていませんでした。

 

 

 

私の身体はどんどん悪化していく。

明けない夜はないと言うけれど、
本当に?
もしこれが一生続いたら?

一筋の光だけを頼りに走り始めてしまって、
もう後戻りもできない。

私は、たった一人で、
暗闇の中に放り出された感覚でした。

 

 

 

日に日に悪化していく肌。

「人間じゃない。私は妖怪だ」

もう自分の顔の原型はありませんでした。

毎朝、変わり果てた自分の顔を見ては
泣き崩れました。

 

 

 

それでも仕事に行かなければならない。

当時ケータイショップで接客をしていました。

こんな状態での接客業は、
本当にしんどかったです。

 

 

 

マスクをしていても、
風邪なんかじゃないとわかってしまう。

お客さんからの
「大変だね」という心配の言葉さえ、
「かわいそうだね」と言われているようで、
惨めで、苦しかったです。

 

 

 

それでも、私には唯一、
救いがありました。

当時大好きだったサーフィンです。

 

 

 

本当なら、ただれた肌に紫外線なんて
絶対にダメだと言われていました。

でも、先生はこう言ってくれたのです。

「食事も制限して、あれもこれもダメだと、
息が詰まるでしょうから。
サーフィンだけは楽しんでおいで」

その言葉に甘えて、
私はボロボロの顔で海に入り続けました。

 

 

海水が染みるし、
日差しが悪化させたかもしれない。

でも、海に浮かんでいる時だけは、
「こんな肌」である自分を忘れられました。

海と戯れている時だけは、不安も恐怖も消えて、
心が解放されました。

 

 

 

何が効いたのかは、わかりません。

漢方なのか、注射なのか、食事制限なのか。
それとも、海水が良かったのか、
海が私の心を癒してくれたおかげなのか。

地獄のような日々が半年ほどで
だんだん赤みが引いていることに
気づきました。

 

 

 

そして半年が過ぎ7ヶ月が過ぎ
私の肌は、まるで生まれ変わったかのように、
ツルツルの状態になっていました。

 

 

 

「本当によく頑張りましたね。
本当にあの状況をよく耐えました!」

先生の言葉に、涙が止まりませんでした。

 

 

 

今思えばきっと先生も
不安だったのかもしれないなと
思います。

あんな酷い状態になっていく私を見て、
それでも、不安な顔を全くすることなく
大丈夫、大丈夫って
言い続けてくれたのは先生でした。

 

 

 

そして、あの時の私を
本当に褒めてあげたいし、
本当にありがとうと言いたいです。

覚悟して、毒を出し切ったこと。
よく決断できたこと。

本当によく頑張ったなと
過去の自分が誇らしく思います。

 

 

 

今では、「昔、アトピーだったんだよ」
と言っても信じてもらえないほど、
肌は綺麗になりました。

 

 

 

そして何より、嬉しかったこと。
それは、ドラッグストアで売っている
「普通の化粧水」が使えるようになったことです。

 

 

私にとって、市販の化粧品が使えるなんて
夢でしかないと思っていたからこそ
本当に本当に嬉しいです。

 

 

 

その当たり前のことが、
奇跡のように嬉しくて、
私は自分の肌を何度も撫でました。

 

 

 

この体験を通して、私が痛感したこと。
それは、アトピーの治し方ではなくて。

「人生を変えるには、
一度『蓋』を外す痛みが必要だ」
という事実でした。

 

 

 

言いたいことを飲み込んで、
妥協や諦めという薬を塗って、
平気なふりをする。

その「蓋」をしている限り、
痛みは感じずに済むかもしれません。

 

 

 

でも、その見えない場所で、
行き場を失った「本音」という毒は、
出口を求めて膿み続けていたのです。

 

 

 

変わりたい。
自分らしく生きたい。
そう願った時、私は勇気を出して、
その蓋を外さなければなりませんでした。

それは、本当に怖いことでした。

 

 

 

私が経験したリバウンドのように、
蓋を外した途端、
一時的に状況が悪化したように
見えたからです。

 

 

 

人間関係が壊れ、
一番信じていた人が離れていき、
孤独を感じ、「妖怪」のような
醜い自分と向き合う日々。

でも、今ならわかります。

あれは「悪化」ではなかったのだと。

私が本来の自分に戻るために、
どうしても必要な
「毒出し(デトックス)」の
期間だったのだと。

 

 

 

その一番苦しくて、カッコ悪い時期を、
誰のせいにもせず、
逃げずに耐え抜いた先にしか、
嘘のない、ピカピカの「自分」は
待っていませんでした。

 

 

 

そして、もう一つ。

どれだけ厳しい毒出しの最中でも、
私が海に救われたように、
心が「楽しい」「好きだ」と感じる時間だけは、
絶対に手放してはいけないのだと知りました。

 

 

 

その喜びこそが、
ボロボロになった自分を再生させる、
一番の薬になるからです。

 

 

 

半年間の地獄を耐え抜いたあの時ように、
人には、底知れない「回復する力」が
必ずあることを私は知りました。

 

 

 

もし今暗闇の中にいるとしても。

それは夜明け前の一番暗い時間なだけ。
そう信じています。

 

 

 

あの日、「私、よくやった!」と
自分を抱きしめられたように
これからも私は、自分の足で立ち、
自分の人生を選び取っていこうと
動き出した大きな決断の出来事でした。

 

 

 

その姿を見せることで、
誰かの背中をそっと押せることを願って。
私はここで、蓋を外して生きていきます。

 

 

 

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