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最高のものや、良い環境に出会った瞬間に、

それがいつかなくなってしまう恐怖を考えて

暗い気持ちになります。

 

最近、StyleBXFitという、

猫背を補正するベルトを使い始めました。

 

つけるだけで姿勢が整う

素晴らしい道具なのですが、

私は今、これがいつかボロボロになって

使えなくなる不安でいっぱいです。

 

最初は本当に半信半疑でした。

 

こんなゴムのベルトを体に巻きつけただけで、

長年の巻き肩が治るわけがないと思っていましたし、

何より見た目が正直に言ってダサいと

感じていたからです。

 

ところが、実際に使い始めてみると、

私の予想は見事に裏切られました。

 

つけている間は、

強制的に背中の筋肉を後ろに引っ張られ、

筋トレをしているかのような状態がずっと続きます。

 

はっきり言って、つけている間は

背中がかなりしんどいです。

 

いつも前傾姿勢で

パソコンに向かっている体を、

強い力で後ろに引き戻されているのですから、

体に負荷がかかって当然です。

 

けど、そのしんどさを超えた先に、

明らかな変化がありました。

 

背筋がまっすぐに伸びて、

肩や頭の位置が正しい場所に

カチッと整ってきたのです。

 

それだけでなく、

正しい姿勢がキープされたおかげで、

勝手に腰回りの贅肉までもが

スッキリしてきました。

 

さらに、正しい姿勢の心地よさを

体が覚えてしまったので、

逆にいつもの悪い姿勢に戻ろうとすると、

違和感があって

体が痛くなってくるようになりました。

 

鏡を見ても、

体のラインがキレイに見えるようになって

姿勢が良くなると、若く見えるし

シルエット美人になれてしまう。

 

姿勢ってめちゃくちゃ大事だなと思いました。

 

このベルトのおかげで、

体に変化が出てきてくれて、

そのおかげで、もっと良くしたい!と

私のモチベーションは跳ね上がりました。

 

今まで「ダイエットをしよう!」

と意気込んでは三日坊主で終わっていた私が、

生活の中のちょっとした隙間時間に、

テレビを見ながらストレッチをしたり、

お尻を少し鍛える筋トレをしたりを、

自然とやってしまうようになったのです。

 

このStyleBXFitの効果には、

猫背を治すことのほかに

「モチベーションも劇的に上がる」と

パッケージに大きく

表記した方がいいのではないかと思うほどです。

 

ここまで効果を感じて、普通の人なら

「良い買い物をした」と大喜びして終わるはずです。

 

しかし私は、

ここからおかしな方向へ走り始めます。

 

「もし、このベルトのゴムが緩んで、

使い物にならなくなったらどうしよう」

 

「その時に、もう新しく

買い直せなくなっていたらどうしよう」

 

「もし、メーカーがこの商品の製造をやめて、

絶版になってしまったら……」

 

まだ使い始めて間もないのに、

何年も先に起きるかどうかもわからない

絶版の恐怖を勝手に想像して、

一人で本気で不安を抱えているのです。

 

この「良いものを見つけると、

失う怖さが同時にやってくる」という現象は、

私の生活のあらゆる場面で発生します。

 

今、私は「安住紳一郎の日曜天国」という

ラジオ番組にものすごくハマっています。

 

過去の放送のまとめを聴き漁っては、

部屋で一人で涙を流しながら爆笑している時間が、

毎日の最高の時間で、常に聴いていたい。

 

久々にこんなに夢中になれるラジオに出会えて

本当に幸せです。

 

しかし、ここでも私の頭の中には

不安が顔を出します。

 

「このラジオが、

いつか終わってしまったらどうしよう」

 

「今聴いている過去のまとめを

すべて聴き終えてしまったら、

私の毎日の楽しみは

完全に消え去ってしまうのではないか」

 

楽しければ楽しいほど、

終わりが近づいてくる

カウントダウンを勝手に感じて、

一人で寂しくなっているのです。

 

Netflixで面白い海外ドラマを

見つけたときも同じです。

 

世間では「シーズンが長すぎて観る時間がない」

と言う人もいますが、

私にとってはシーズンが長ければ長いほど、

本当にありがたいと感じます。

 

可能であれば、一生続いて欲しいと願っています。

 

夢中になれる期間が

それだけ長くなるからです。

 

だからこそ、再生ボタンを押して

映像に夢中になりながらも、心の片隅では

「これが全話終わってしまったら、

私は確実に抜け殻になってしまう」

という不安を常に抱えています。

 

終わられたら困る、終わったらどうしようと、

ハラハラしながら画面を見つめているのです。

 

文房具でも、

ものすごく文字が描きやすいペンに出会うと、

嬉しさと同時に恐怖が押し寄せます。

 

絶版になって手に入らなくなることが怖くて、

文具店に行っては

替えの芯を大量に余分に買い込んで、

引き出しにストックしておかないと

気が済みません。

 

これ、誰も口には出さないけれど、

同じように

「幸せの真っ只中で、

わざわざ終わりの絶望を

先取りして疲れている人」って、

実は結構いるのではないでしょうか。

 

この思考の癖は、私が会社員として

週5日で働いていた時の休日にも、

全く同じ形で現れていました。

 

一週間の中で一番幸せな瞬間は、

間違いなく金曜日の退勤時間です。

 

今日が終わっても、明日も明後日も休み。

 

金曜日の夜は無敵の状態です。

 

そして土曜日の朝を迎えます。

 

目覚まし時計をかけずにゆっくり起きて、

コーヒーを飲んでいる時間は、

まだ心に十分な余裕があります。

 

なぜなら、明日もまだ休みだからです。

 

問題は、日曜日の朝です。

 

目が覚めた瞬間、

まだ日曜日が始まったばかりで、

丸一日休みが残っているはずなのに、

私の頭には

「明日からまた月曜日が始まる。

あの嫌な仕事に行かなければならない」

というプレッシャーがよぎります。

 

せっかくの休日なのに、

まだ来てもいない

月曜日の仕事のことを考えて憂鬱になり、

目の前にある日曜日を全力で

楽しく過ごせなくなってしまう。

 

時間としては確実に休んでいるのに、

頭の中は仕事場に出勤している。

 

これほど勿体ない時間の使い方はありません。

 

自分でも重々わかっているのに、

気持ちが不安を先回りして感じてしまうのを

止めることができませんでした。

 

今この瞬間、目の前には楽しいことや、

心地いい環境が、確かに存在しています。

 

良いものに出会えたことも、

良い環境に巡り会えたことも、

客観的に見ればものすごく幸せなことです。 

 

それなのに、なぜ私は

その瞬間になくなる不安ばかりを考えて、

今を味わうことができないのでしょうか。

 

原因をじっくりと考えてみて、

一つの気づきがありました。 

 

私は、今感じている幸せな時間が

もし終わってしまったとしても、

「その先にもっと楽しい時間や、

新しい素敵な出会いがある」ということを、

心の底から信じられていないのです。 

 

楽しいものがなくなってしまったら、

もう二度とそれ以上のものには

出会えないという、変化することへの恐怖が

人一倍大きいのだと思います。

 

実は、この

「先回りの不安で動けなくなる」

という思考の癖は、

過去に嫌な職場にいるにも関わらず、

環境を変えることができなかった時の

心理と完全に一致していました。

 

当時の職場の人間関係や労働環境に対して、

毎日強い不満を感じていました。

 

本当はそこから抜け出したいはずでした。 

 

それなのに、私は

新しい一歩を踏み出すことができませんでした。 

 

なぜなら、

「ここを辞めて新しい場所に行ったとき、

これ以上に悪い環境だったらどうしよう」

という、まだ見ぬ未来の不安が

私を支配していたからです。

 

動いて失敗する恐怖に比べたら、

今の嫌な環境の方がまだマシなのではないか。

 

「もしかしたら、色々と文句はあるけれど、

今の私はまだ恵まれている方なのかもしれない」と、

自分に都合のいい嘘をついて言い聞かせていました。 

 

これまで何とか

この場所で耐えてやってこれたのだから、

これからも我慢できるなら

大丈夫なのかもしれない、と、

現状維持を選ぶことで

自分を守ろうとしていたのです。 

 

我慢できるから大丈夫なのではなく、

大事なのは、今この瞬間を

どれだけ自分が満足して生きられるか。 

 

まだ起きてもいない未来の不足を心配して、

今ここにある幸せを無駄にする生き方は、

本当にもったいないです。

 

変化を恐れて、今あるものを失う不安に怯えるあまり、

私は自分の可能性や、

今ここの幸せを完全に放り出していました。

 

ベルトのゴムが緩んだら、

その時にまた別の

素晴らしい姿勢サポートグッズを探せばいいのです。

 

ラジオが終わったら、

また新しい面白いエンタメに出会えばいい。

 

選択を間違ったと思ったのなら、

そこからまた変えていけばいい。

 

今こうやって、最高だと思える幸せを

感じられている自分がいて

環境が作れているのだから、

これが最後、これ以上はないなんてことは

あり得なのだから。

 

変化することは、

失うことだけではありません。

 

また新しい「最高」に出会うための、

スタートでもあるのだから。

 

これからも、私は

先回りの不安を無くすことはできないけど

今この瞬間にあるお気に入りの時間を、

ただただ、ご機嫌に味わっていこうと思います。

 




 

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昔、本当に「どうした、私!?」

という気の迷いで入ったコミュニティで、

中身も読まない主催者の女性から

「文章が長すぎて誰も読まないよ」

とバッサリ切り捨てられたことがあります。

 

 

あの時の私は、穏やかな見た目とは裏腹に

「おいおい、こいつ何言ってんだ?」

という怒りの大花火が大爆発していました。

 

 

世間に溢れる

「こうすれば上手くいく」

という成功法則の皮を剥いでみると、

そこには自分を殺して息苦しくなるという、

本末転倒な罠が隠されているのです。

 

 

今の時代、ショート動画だ、

タイパ(タイムパフォーマンス)だと言われて、

とにかく「短く、わかりやすく、一瞬で」

が正義とされていますよね。

 

 

どこを見渡しても、世の中全体が

「考えたくない、時間をかけたくない、

手っ取り早く答えがほしい」

という、ものすごいスピードの渦の中にいるのです。

 

 

そうなると、真面目な人ほど

「そっか、短くしなきゃダメんだ」

「みんながやってるあの型を真似しなきゃ、

誰にも見てもらえないんだ」と思って、

自分の大切な言葉を無理やり140文字に縮めたり、

画面に向かって身振り手振りで

ハキハキ喋るテンプレに、

自分をギュウギュウにはめ込もうとします。

 

 

でも、そうやって自分の気持ちを無視して

誰かの成功法則をそのままなぞっているうちに、

だんだんと息ができなくなってくる。

 

 

発信すること自体がただの苦行になり、

パソコンを開くのすら嫌になる。

そんな風に、誰かが決めた「正解」という名の、

居心地の悪い狭い箱の中に自分で入って、

適応しなければと必死になってしまう。

 

 

これ、真面目に発信を頑張ろうとしている人にとって、

本当に深い「あるある」だと思うのです。

 

 

そんな私の書く文章は、

ご存知の通り毎回もれなく長文です。

 

 

大体2000文字なんて余裕で超えますし、

むしろ大幅に超えることの方が日常茶飯事。

 

 

私のプロフィールにいたっては、

文字数をカウントしたら

15,000文字ほどありました。

 

 

もはやちょっとした短編小説というか、

一冊の本が出せるレベルのボリュームです。

 

 

「この倍倍速の時代に、

こんな長い文章を一体誰が読んでくれるんだろう」

自分で自分にツッコミを入れながらも、

やっぱり気持ちを乗せて、熱量を100%伝えるには、

どうしてもこれくらいの長さが必要になってしまう。

 

 

それが私の仕様だからです。

でも、ありがたいことに、

私のメルマガやブログは

「普段は活字が苦手で本も読めないのに、

恭代さんの文章だけはなぜか引き込まれて

スラスラ読めちゃう」

「毎朝の日課で、読むのを楽しみにしてる」

と言っていただけることがたくさんあります。

 

 

読者の歩幅に合わせて、飽きないように、

迷子にならないように、

自分なりに必死で工夫して

書いているからです。

 

 

それなのに、です。

 

 

先ほどお話しした、

昔の気の迷いで入ったコミュニティでの出来事。

 

 

その主催者の女性は、

昔はブログでかなり有名だったらしく、

事あるごとに

「私、昔すごくブログで有名で〜」

と自分から言っちゃうタイプの人でした。

 

 

「自分で言っちゃうんだ……」

とちょっと笑えてきたんですけど、

それはいいとして。

 

 

その人が、私のブログを

大して読み込みもしないクセに、

ただ「文字量が多い」

という表面上の見た目だけで、

上から目線でこう指摘してきたのです。

 

 

「文章が長すぎる。

これじゃ誰も読まないから、

もっと短くしたほうがいいよ」

 

 

……あの瞬間、

「え!?何様!?」

と言ってしまいそうになったのです。

 

 

内容もちゃんと把握していないクセに、

外側だけで決めつけて、

なんでお前に私の譲れない大事な部分を

全否定されなきゃいけないんだ、と。

 

 

そのコミュニティはそもそも

文章を学ぶ場所でもないのに、

主催者だからって

すべてが正しいと思うなよ、と。

 

 

図々しさにも程があります。

 

 

でも、もしあの時、私が

「やっぱり実績がある人の言うことだから」

と自分を殺して、中身の薄い

短いブログに切り替えていたら、

今の私は絶対にいません。

 

 

他人の外側だけを真似して、

形だけ上手くいったとしても、

自分の心を無視したまま

苦しい状態でやり続けなきゃいけないなら、

そんなの絶対に続かないからです。

 

 

私がなぜ彼女の真似をしなかったのか。

 

 

それは、自分が絶対に譲りたくない、

大事にしたいものをどうやって活かしていくかを

考えていきたかったからです。

 

 

最近、新しくリール動画を作り始めたのですが、

ここでもやっぱり

「違和感」という名の妖怪が顔を出します。

 

 

まだ1本しか投稿していないのに、

すでに「なんか違う……」

とモヤモヤしている自分がいるのです。

 

 

SNSの画面を開けば、

カメラに向かって身振り手振りで、

ハキハキとテンポよく話している人が

数え切れないほどいます。

 

 

これが「リールの正解の型」なのでしょう。

 

 

私も「まずはこの形でやってみよう」と、

ある程度形を決めて動き出してみたものの、

いざやってみると、心が全然踊らない。

 

 

画面に向かって話している

無数の人たちの中から、

「これならできるかも」

というやり方を見つけて

真似してみるけれど、

「私はこういう風に喋りたいんじゃない」

「この見せ方は嫌だ」

という本音が、お腹の底から次々と

湧き上がってくるのです。

 

 

周りで「Aという方法」で

上手くいっている人がいるからといって、

私がAをやって上手くいくとは限らない。

 

 

逆に、他の人が

「Bというやり方は伸びなかった」

と失敗した方法でも、

私にはBのほうがカチッとハマるかもしれない。

 

 

それなのに、

世間の「成功法則」に自分を無理やり

当てはめさせようとして、

勝手に気を使いすぎて疲弊していく。

 

 

この「なんか違うのに、

どうすればいいか分からない」というループ、

本当によく分かりますし、

自分らしく生きたいと願う人なら

誰もがぶつかる壁ではないでしょうか。

 

 

じゃあ、どうすればいいのか。

 

 

私が体験から学んだ最大の解決策は、

その「違和感」から逃げて放り出すのではなく、

むしろその違和感をこれでもかと深掘りして、

自分を徹底的に追求することです。

 

 

「嫌だから、もうやめる」

「めんどくさいから、動画なんて作らない」

それはただの逃げであり、楽をしたいから、

怠けたいからという言い訳になってしまいます。

 

 

そうではなく、

「なぜ私は今、ここに

違和感を感じているんだろう?」

「どうしたらもっと楽しんで、

もっと良くなるんだろう?」

「目的はなんだったっけ?」

という問いから、

絶対に手を抜いてはいけないのです。

 

 

自分を深く掘り下げて知っていくというのは、

絶対にサボってはいけない部分だと

私は思っています。

 

 

リールを投稿すること自体は、

決してゴールではありません。

 

 

動画を投稿することによって、

「私」という人物やその考え方、

何を伝えていきたいのかを

分かってらうための、大切な目印です。

 

 

だからこそ、自分が楽しく、

熱量を持って続けられる伝え方を、

諦めずに、もっと良くするために

追求していく視点が絶対に必要です。

 

 

世間のマニュアル通りに動けない

自分の「不器用さ」を

責める必要は全くありません。

 

 

「じゃあ、私の仕様に合うやり方はどこにある?」

と、自分への追求を、

ニヤニヤしながら続けていけばいいのです。

 

 

違和感は、自分を困らせるために

起きているのではありません。

 

 

「そっちの道は、あなたの本物じゃないよ」

と教えてくれる、

最高に優秀なセンサーです。

 

 

私はこれからも、自分が一番楽しくて、

自分に一番合った伝え方にこだわって、

私の言葉を発信し続けていきます。

 

 

 

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わが家のベランダに作られた小さな蜂の巣を、

住人がいない隙を狙ってこっそり撤去した。

 

 

翌日、戻ってきた蜂は、

消えた巣を何度も何度も確認するように、

激しくその場所をぐるぐる飛び回っていた。

 

 

その必死な姿をじっと見つめていたとき、

私は「もし私がこの蜂だったら、

全く同じ行動をするかもしれない」と、

人間の不器用な思考の癖を重ね合わせていた。

 

 

ある日ベランダの片隅で見つけた、

まだそれほど大きくない蜂の巣から始まった。

 

 

観察していると、その蜂には

決まった行動パターンがあることが分かった。

 

 

早朝のまだ涼しい時間帯には、

どこかへ出かけていて姿がない。

 

 

しかし、お昼前後の

いちばん太陽が高くなる時間になると、

必ずその場所に戻ってきているのだ。

 

 

仲間をたくさん引き連れて

ブンブン暴れ回るわけでもなく、

いつもたった一人の警備員のように、

静かに、そして健気に

自分の作った巣を見守っていた。

 

 

毎日毎日、時間になると

当たり前のように

そこに座っている蜂を見ているうちに、

なんだかちょっとしたご近所さんのような

親近感すら湧いてくる。

 

 

特別な実害があるわけではない。

けれど、いくらご近所さんとはいえ、

「蜂」である。

これ以上巣が巨大化して、

ベランダに一歩も立ち入れない

立ち入り禁止区域にされてしまっては困る。

 

 

そこで私は、蜂がいつものように

外出している早朝の時間を狙って、

レンジでチンする予定はないけれど、

アイラップというビニール袋を手に取り

その小さな蜂の巣をごっそり

跡形もなく排除した。

 

 

作業は一瞬で終わり、ベランダの壁は

何事もなかったかのように

キレイな更地に戻った。

 

 

「よし、これで一件落着だ」

人間の勝手な都合で申し訳ないとは思いつつも、

私はホッとした気持ちで部屋に戻った。

 

 

だが、本当のドラマが始まるのは、

ここからだった。

 

 

翌日の昼、案の定、

あの蜂がいつものルーティン通りに

ベランダへ現れた。

 

 

そして、自分の家が

あったはずの空間に到達した瞬間、

蜂の動きが明らかに動揺したように変わった。

 

 

「え? ない。確かにここに

建てたはずなのに、ない」

 

 

そう言わんばかりの勢いで、

蜂は壁の同じ場所を何度も何度も、

ぐるぐると旋回していた。

 

 

それは通り過ぎるような飛び方ではなく、

「私の見間違いだろうか」

「計画の間違えだったのか」と、

何度も現実を確認し、

答え合わせをしているかのような

飛び方だった。

 

 

何分もの間、

蜂は更地になった壁に向かって

寄せては返す波のように

行たり来たりを繰り返し、

消えた巣の残像を追いかけていた。

 

 

その次の日、ベランダを見てみると、

さすがに諦めたのか

蜂の姿はどこにもなかった。

 

 

「さすがに天敵の存在に気づいて、

別の安全な場所へ引っ越したのだろう」と、

私は勝手に納得していた。

 

 

ところが、数日後。

ふとベランダに目をやった私は、

目を疑った。

 

 

なんと、あの蜂が、数日前と同じ場所に、

何事もなかったかのように

ちょこんと座っているのだ。

 

 

...そしてそのさらに翌日には、

信じられないことに、

またゼロから同じ場所に

新しい蜂の巣を作り始めていた。

 

 

私はその光景を見て、驚くと同時に、

なんだか胸が痛くなった。

 

 

「なぜ、わざわざ

一度破壊された危険な場所に、

もう一度材料を運んでまで

戻ってきたのだろう」と、

蜂の思考の裏側を、

勝手に妄想せずにはいられなくなった。

 

 

蜂が何を考えてその行動に出たのか、

昆虫の頭の中のことは分からない。

 

 

けれど、もし私が蜂の立場だったら、

もしかしたら全く同じ行動を

してしまうかもしれない、

と共感してしまったのだ。

 

 

もし私がその蜂なら、

巣が突然消え去ったという

理不尽な現状に対して、

 

「これは、外側にいる

巨大な天敵(人間)に壊されたのではない。

何か、私自身に原因が

あるんじゃないだろうか」

 

「私の土地の選び方が不注意だったから、

風で飛ばされてしまったのかもしれない」

 

「私の巣の作り方の

強度が足りなかったから、

崩れてしまったのかもしれない」

 

そんな風に、原因を

外側の環境や不可抗力のせいにせず、

すべて「自分への矢印」として内側に向け、

自分を疑ってしまう。

 

 

そして、

「私の何が悪かったのか、

もう一度同じ場所で作って確かめてみよう」

という結論に至るのだ。

 

 

もう一度同じ条件でトライしてみて、

今度こそうまく構築できるか、

それともまた同じように消えてしまうのかを、

自分の身を挺して

実験しようとしているのではないか。

 

 

そう気づいた瞬間、私はベランダの蜂を

笑うことができなくなった。

 

 

なぜなら、これまでに私が

人生のあらゆる場面で繰り返してきた

「自滅のパターン」と、

この蜂の再建築の姿が、

見事に一致していたからだ。

 

 

人間、というか私は、

何か物事がうまくいかなくなったとき、

すぐに「自分の何が悪かったんだろう」

と自分を責めてしまう癖がある。

 

 

たとえば、理不尽な人間関係や、

自分を削ってまで尽くしてしまう

搾取の環境に身を置いて、

結果として心がボロボロに破壊されたとする。

 

 

客観的に見れば、それは単に

「その場所が最悪だっただけ」

「相手がとんでもない天敵だっただけ」

という、ただの不可抗力だ。

 

 

さっさと荷物をまとめて、

別の安全な場所に

引っ越せばいいだけの話である。

 

 

それなのに、

クソ真面目で不器用な私たちは、

更地になった絶望の壁の前に立ち尽くし、

わざわざ自分に矢印を向けてしまう。

 

 

「私がもっと気を遣っていれば、

壊されずに済んだのかもしれない」

 

「私の能力が足りなかったから、

こんな結果になってしまったのではないか」

 

そうやって過去の失敗の

答え合わせをするために、

無意識にわざわざ同じような

苦手な相手を選んだり、

同じような過酷な環境に

自ら飛び込んでいったりして、

 

「もう一度、同じ場所に巣を作って確かめる」

という不毛な再演を始めてしまうのだ。

 

 

「今度はうまくいくかもしれない」

「私がもっと完璧にやれば、

今度は壊されないはずだ」と、

上書きするためだけに、同じ場所で

何度も何度もぐるぐると回り続ける。

 

 

蜂の健気な第二期工事を見つめながら、

私は自分のこれまでの6年間や、

過去の失敗のループを思い出して、

苦笑いするししかたがなかった。

 

 

天敵に壊されただけなのに、

自分の不注意のせいにしてしまう。

 

 

場所が悪いだけなのに、

自分の技術不足のせいにしてしまう。

 

 

私の心が狭いだけだと、

思い込んでしまう。

 

 

自分に矢印を向けて反省することや

自分を疑うことは、人間関係を築いていく上で

持っていなければならない考え方だと

私は思っている。

 

 

けれど、度を越した自分責めは、

必要ないということも、散々経験してきた。

壊されたのは、こちらのせいじゃない。

 

 

そこにたまたま、容赦なく巣を壊してくる

人間という天敵が住んでいたからだ。

 

 

計画も、注意深さも、

何一つ間違っていなかったのだ。

 

 

ベランダで新しく

小さな土台を盛り上げ始めている蜂に向かって、

私は思っていた。

 

 

「きみの熱意はよく分かった。

でもね、ここは何度作っても、

私がまた壊しちゃう場所なんだよ。

だから、自分を疑うのはもうやめて、

次はもっと居心地の良い、誰も邪魔しに来ない

別のベランダに巣を作ってもいいんだよ」

 

 

それは同時に、何かあるたびに

「私が悪かったのかも」

と一人相撲を始めてしまう、

私自身への強いメッセージでもあった。

 

 

今ある景色の中で

自分の心地よさを

構築していく工夫は素晴らしい。

 

 

けれど、そもそも

天敵が常に目を光らせている場所に、

お気に入りのマイホームを

建てる必要はないのだ。

 

 

自分の不器用な行動の癖を

教えてくれた小さな建築士に、

深いリスペクトと

少しの申し訳なさを抱きながら、

私は今日も、あの蜂が

このベランダに戻ってこないことを願い

見守りながらこの文章を書いている。

 

 



 

 

 

 

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誰かの話を「うん、うん」と

笑顔で聞いているとき、

私の頭の中では、

相手が次に出す言葉の着地点が

数秒前に見えています。

 

 

相手は「あぁ、すっきりした!」と

満面の笑みで帰っていきますが、

私の手元に残るのは、

一滴も残らず吸い尽くされたような

深い疲弊感だけです。

 

 

この「聞き上手という名の無料ボランティア」を

繰り返してきた結果、

気がつけば私の友達は、

片手で数えられるほどしか

いなくなっていました。

 

 

世間ではよく

「聞き上手は好かれる」なんて言われますよね。

 

 

本屋さんに行っても、

コミュニケーション本の棚には

『人の話を聞く技術』みたいなタイトルが

ズラリと並んでいます。

 

 

でも、ちょっと声を大にして言いたいのです。

 

 

真面目に、誠実に

相手の話を聞けば聞くほど、

なぜかこちらのエネルギーが空っぽになって、

家に帰った瞬間にベッドになだれ込んで

白目を剥くような状態になってしまうこと、

本当によくあります。

 

 

「今度、ゆっくり話聞くよ!」なんて言って

近づいてくる人に限って、

カフェに入った途端にノンストップで

自分の話のオンパレード。

 

 

こちらは相手の言葉を遮らないのが

最低限のマナーだと思っているから、

相手の表情を見て、感情を察知して、

相槌を打って、純粋な興味を持って「聴く」という

大切な対話の姿勢をキープしているわけです。

 

 

それなのに、やっとこちらが

「実は私もね……」と口を開きかけた瞬間、

相手の「会話のハサミ」がチョキチョキと

容赦なく入ってくるのです。

 

 

「あ、そう言えばさ、私もさ!」と、

驚くべき強引さで自分の話題へと切り替え、

会話を泥棒し、

私の話は不完全燃焼のまま煙を上げて終了。

 

 

さっきまで私が話していたエピソードは、

まるで最初から存在しなかったかのように

どこかへ消え去るのです。

 

 

相手だけがサウナ帰りのような爽快な顔で

「じゃあ、またね!」と帰路につく。

 

 

これ、あえて口には出さないけれど、

心の中で

「私はあなたの感情のゴミ箱じゃないんだけど」と、

切ない気持ちと、深い疲弊感が押し寄せます。

 

 

それだけではありません。

 

 

「何でも質問してね」と言うと、

ちょっと頭を働かせれば3秒でわかるような

浅い質問を平気で投げつけてきます。

 

 

会話の文脈を自分の中に落とし込もうとせず、

ただ思いついた言葉を平気で投げつけてくる。

 

 

私がどれだけ誠実に答えても、

言葉が右の耳から左の耳へと

素通りしていくのが分かります。

 

 

噛み合わない歯車を

無理やり素手で回すような会話は、

脳のエネルギーをゴリゴリと

削り取っていきます。

 

 

「私は相手に求める

コミュニケーションの基準が高すぎるのだろうか。

それとも、人として友達を作る才能が

致命的に欠落しているのだろうか」

そうやって、暗い部屋でひとり

頭を抱えて落ち込むのがいつものパターンでした。

 

 

しかし、あるとき私の中に、

奇妙な矛盾があることに気がついたのです。

 

 

リアルな日常の雑談では、 

こんなにもすり減って友達もいないのに、 

なぜか「ある場所」では

 全く逆の現象が起きていたのです。

 

 

なぜ私は、 リアルな会話では孤立してしまうのに、

 特定の場所では他人の心を掴み、 

深く繋がることができるのか。

 

 

その裏側には、

私がほぼ無意識のうちに行っていた 「ある能力」の暴走と、

 世間一般の雑談の器には収まりきらない 

「知性と感性の格差」がありました。

 

 

もし、同じように、 

「人間関係に疲弊して、いっそ一人でいた方が楽だ」 

「周りに気を使いすぎて、 結局感情のゴミ箱にされてしまう」

 と悩んでいるのなら。

 

 

あなたが感じていた深い疲弊の正体を、 

ロジカルに、そして徹底的に解き明かしました。

 

 

その他大勢に合わせて自分を窮屈にするのをやめ、 

言葉の重みを正しく理解し合える

 「本物の対話相手」とだけカチッとハマる、 

そんな心地いい世界へ行くためのヒントについて・・・

 

 

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求人も出ていない近所のケーキ屋に直接電話をかけて、未経験で働き始めた時期があります。

 


甘い香りに包まれたカウンターで、目の前のお客様が私の接客でパッと笑顔になってくれた。

 


会社のノルマではなく、目の前のたった一人に喜んでもらうこと自体の純粋な楽しさを教えてくれた、大切な体験です。


 

ビジネスを自分で始めて、毎日一生懸命に発信していると、ついついやってしまうことがあります。

 


朝起きて真っ先にスマホを開いて、インスタのフォロワー数が昨日より減っているのを見つけて「あ、私何か悪いこと書いたかな」とベッドの中でどんよりした気持ちになったり。逆に、ちょっと「いいね」が増えていると、それだけで「よし、今日はいい日だ」とホッとしたり。


 

気づけば、画面の向こうにいる生身の人間ではなく、アプリが表示する数字のグラフばかりをじっと見つめて、一喜一憂する毎日になってしまう。


 

真面目に一生懸命になればなるほど、目の前にいるはずのお客様という「人」が、いつの間にか「数字」や「目標をクリアするための対象」に見えてきてしまう。

 


そして、そんな風にしかお客様を見られなくなっている自分に気づいたとき、なんだか少し寂しくて、自分を嫌いになってしまいそうになるものです。


 

最初は「自分の経験を活かして、誰かを幸せにしたい」「困っている人の力になりたい」と思って始めたはずの発信なのに、いつの間にか「どうやったらバズるか」「どうすれば市場の正解に合わせられるか」というノウハウばかりを検索してしまう。


 

パソコンの前に座っても、手がピタッと止まってしまって、「あー、もう何を書けば正解なのか分からない」と、ため息を白ご飯の上に乗せて食べてしまいそうになるくらい、深い停滞感の中に入って抜け出せなくなってしまう。


 

世間が求める「キラキラした成功者」の型に自分を無理やりハメ込もうとすればするほど、発信すること自体がただの苦しい義務作業になって、自分の本当の本音がどこに行ってしまったのか分からなくなってしまいます。


 

実は、私は先ほどお話ししたケーキ屋で10ヶ月を過ごした後に、大手携帯ショップへ契約社員として就職しました。

 


長年培ってきた「人の顔色を察知する力」を活かしてがむしゃらに働いた結果、正社員に登用され、入社からわずか一年後には店舗の運営を任される「店長」という立場になったのです。


 

23歳で店長になってからの毎日ときたら、まさに数字と役割の嵐でした。


 

本部の指示による生産性のない早朝の説教会議に出席し、やってます!頑張ってます!アピールのための業務をこなし、店舗のホワイトボードに書かれた目標件数を達成するために必死になる日々。

 


操作説明に来ただけのお客様に対して、会社の売上ノルマのために、本当はそこまでおすすめではないオプションを、引きつりそうな笑顔で勧めながら、心の中で「ごめんなさい」と呟いてしまう。


 

どれだけお客様に寄り添いたくても、背後からは「プランのオプション、何件取れた?」という無言のプレッシャーがのしかかります。


 

部下を管理し、理不尽なクレーマーの男性に胸ぐらをつかまれても、私は会社が求める「強いリーダー」という仮面を完璧に被って、平気な顔をして業務をこなしていました。

 


誰にも相談することも、弱い部分を見せることができなかった私は、営業終了後、暗い店内でひっそりと泣いたこともたくさんありました。


 

せっかく稼いだお金も、平日の夜に名古屋駅へ会社の仲間と飲みに行き、終電ギリギリまで上司の愚痴を言い合う「愚痴大会」の代金として消えていくだけ。

 


家へ帰れば、周囲の期待に応えるために本音を押し殺しているストレスから、過食嘔吐を繰り返す毎日を送っていました。


 

当時の私は、「目の前の人を喜ばせたい」というピュアな願いは、いつの間にか「クレームを出さないため」「会社の数字を守るため」という、自分を守るための防衛策へとすり替わっていきました。


  

だからこそ、誰かの期待に応えようとして、自分の感覚を麻痺させてまで頑張っているリーダーや経営者の方の姿を見ると、胸がギューッと痛くなります。

 


あなたは自分のことよりも周囲を優先できる、ものすごく優しい人なんですよね。


 

たくさんの人にいい顔をして愛想を振りまく必要はなくて。

 


本当に大切にしたい、信頼できる少数の人たちのために、自分の持てるエネルギーを100%注ぎ込むこと。

 


その工夫と覚悟の中にこそ、本当の意味での「働く自由」と「心地よさ」があるのだと信じています。


 

他人がどう思うかという「外側の基準」を一度すべて手放して、かつて私がケーキ屋のお客様から教えてもらった「目の前のたった一人を喜ばせること」に、焦点を戻すことが大事で。

 


結局はその本質こそが、最終的に多くの人を救い、喜ばせられることだと思うんです。


 

市場全体に向けてウケるような、誰が書いたか分からない綺麗事の正論をや、そんな浅い言葉では、本当の魅力は伝わりません。


 

そうではなく、これまでの人生の途中で、たくさん遠回りしながら、傷つきながらも大切に守り抜いてきた本音の気づきや、日々の仕事の中で感じているリアルな違和感を自分自身の言葉でありのままに伝えてみてほしいです。


 

「こんなカッコ悪い失敗、書いたら引かれるかな」と思うような隠しておきたい事実の中にこそ、あなたという人の魅力が詰まっています。


 

そうすることで、あなたの知性と感性を対等にリスペクトしてくれる、本当に誠実な人たちだけが、あなたの元へ集まって繋がれます。

 


世界は思ったよりも、ずっと優しい場所だから。

 

 



 

 

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