私が通所している作業所では、作業開始前に【朝のミーティング】というものがある。
・利用者及び職員の出勤状況
・利用者及び職員からの各種伝達事項
・今日の作業内容
・ミーティング後の掃除の分担
といったものの後に、利用者及び職員が、<今の気分や体調>を順番に報告する。
精神系の障害者作業所なので、精神状態や体調の情報共有が大事なのだ。
先日のミーティングで、ある利用者さんが「最近、なんのために生きているんだろう?と思うことがあります。」と言った。
「なんのために生きているんだろう?」
このような疑問を抱く精神状態というのは良いものではない。
生きていることへの疑問
生きることへの疑問
それはつまり、生きることに対して前向きで肯定的な気持ちが欠落あるいは減退していることを表している。
日々の生活に<充実感>や<楽しい気分>が欠落しているのだろう。
<夢>や<希望>や<目標>といったものが無い状態なのだろう。
<日々の生活>・<今の生活>・<想像する将来>に対して、空しい気持ちが襲ってくるのだろう。
空しい気持ちが、苦しさを覚える程に強いものにならなければいいのだが。
私も、大学生の一時期、この疑問が脳内を支配し私を苦しめていた。
その答えを文学作品から見つけ出そうとして、様々な小説や詩を読み漁った。
「野坂昭如」氏のエッセイなどもよく読んだ。
そうして私なりの答えを得た。
「人間はなんのためにも生きていない。そういうものなんだ。」
と。
そして、「それでいいんだ。」と。
そうして、そんな思いを抱いて生きてきた。
疑問が私を苦しめることは無くなったが、虚無的だった。
本当は、「何かの為に生きている。」と強く思えることが望ましいのだ。
では、今の私は【なんのために生きているんだろう?】
正直、明確に言えるものは無い。
「生きているから生きている。」
「死ねなかったから生きている。」
そんな馬鹿げたことしか言えない。
それでも、「楽しい。」という気持ちを抱く事もあるし、日向ぼっこをしていると心地良い気持ちになれるし、就労して自分の稼ぎで生活するという目標もあるし、ギターを弾くことで得られた喜びを再び獲得したいという夢や希望もある。
今はそれでいいと思っている。
それくらいでも十分だと思っている。
少し前までの私には何も無かったのだから。