“人を化かす狡猾な生き物”として描かれてきた「狐」という動物への優しいまなざし。

 

いたずらっこの子供への優しいまなざし。

 

この2つのまなざし・視点・視線によってこの作品は描かれています。

 

 

また、親を失って一人ぼっちとなってしまった同じ境遇を持った「兵十」と「ごん」という、本来その悲しみや寂しさを他の誰よりも分かり合えて親友になれたはずの2人が、作品で描かれるような悲しい結末になってしまうという、“運命(うんめい・さだめ)の悲しさ・残酷さ・現実の非情さ”、が描かれていると思います。

 

一方で、「ごん」が「兵十」に撃たれて死んでしまうという結果は、先に「ごん」が行ったいたずらの“報い”を受けたのだと考えることもできます。

作者の「新実南吉」がそのように考えて「ごん」に報いを与えたのかどうかはわかりません。

因果応報の物語を書く意図があったのかどうかは定かではありません。

定かではありませんが、「悲しいこと・良くないことが起こるのは、自ら行ったことへの報いなのだ。」、と読者の多くは受け取るでしょう。

 

それでも、この「ごんぎつね」という作品をひどく悲しく感じさせるのは、「新実南吉」が子ぎつねの「ごん」の姿をとても愛くるしいものに描いたからでしょう。愛さずにはいられないのではないでしょうか?

また、「ごん」と「兵十」という唯一無二の親友になれたかもしれない2人があんなふうな出会いと別れをすることになってしまったことに、やりきれない気持ちでいっぱいになるからでしょう。