「今日はその銀河のお祭」「こんやの星祭」「こんやの銀河の祭り」
「銀河の祭り」「星祭」と呼ばれる夜祭が行われると或る町での夜の出来事が描かれた小説
【ジョバンニ】
学校の後、活版所で働いている少年。
「裏町の小さな家」に住んでいる。
病弱な母を抱えている。
父は、刑務所暮らし。何の罪を犯したのかは不明。ジョバンニは父が悪い人間だとは思っておらず、父が犯罪者の扱いを受けているのは何かの間違いだと信じている。
このことで同級生たちからはからかわれているが、「カムパネルラ」だけは同調せずに気の毒そうにしている。
「(ぼくはどこへもあそびに行くとこがない。ぼくはみんなから、まるで狐のやうに見えるんだ。)」
ジョバンニの父とカムパネルラの父は友人同士。家族ぐるみの付き合いがあった。
「ジヨバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を讀むひまも讀む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないといふ氣持がする」
「朝にも午後にも仕事がつらく、學校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云はないやうになつた」
「きゆうくつな上着の肩」:貧しくて体に合った服が買えないのであろう。
以上のことから、貧しく厳しい生活をしていることが伺(うかが)える。
「青い胸あてをした人がジヨバンニのうしろを通りながら、「よう、蟲めがね君、お早う。」と云ひますと、近くの四五人の人たちが聲もたてずこつちも向かずに冷めたくわらひました。」
活版所で働いている他の大人たちからも冷たい扱いを受けていることがわかる。
夜空や星や星座や宇宙への強い関心・興味を持っている。
「ぼくはもう、遠くへ行つてしまひたい。みんなからはなれて、どこまでもどこまでも行つてしまひたい。」
「ぼくはもう、空の遠くの遠くの方へ、たつた一人で飛んで行つてしまひたい。」
大切な母や姉や父の存在すら念頭から消えて「たった一人で」「空の遠くの遠くの方へ」「行ってしまいたい。」と願う。精神的に相当追い込まれていることを示している。“死”を願う一歩手前といったところか。
【カムパネルラ】
ジョバンニの古くからの友人。
しかし一方で、ジョバンニのことをいじめている同級生たちとも仲良くしており、ジョバンニに対して引け目を感じている。
舟から川に落ちた同級生の「ザネリ」を助ける為に川に飛び込み、行方不明になる。
「ジヨバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐないといふやうな氣がしてしかたなかつたのです。」
ジョバンニはカムパネルラが既に死んでいると認識していて、「銀河のはづれ」を死後の世界だと考えている。
【「圓い板のやうになつた地圖」】
・カムパネルラが「銀河ステーション」でもらったと言う黒曜石製の宇宙地図。
(黒曜石は「摩訶不思議」という石言葉を持ち、古代から多用途の道具や祭事に用いられ、彫刻などの工芸品にも用いられている。古くから不思議な力が宿っているとされている石。)
・ジョバンニはもらっていない。銀河鉄道に乗車して「銀河ステーション」を通過した記憶も無い。
【銀河鉄道】
「セロのやうなごうごうした声」による説明。
「ここの汽車は、ステイームや電氣でうごいてゐない。ただうごくやうにきまつてゐるからうごいてゐるのだ。」
動くように決まっている、とはどういう意味か?
<運命><決まり事><宿命><理(ことわり)>?
【カムパネルラの独白】
「ぼくわからない。けれども、誰だつて、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸ひなんだね。だから、おつかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ。」
友達を助ける為に川に飛び込み死んでしまったカムパネルラの行為が正しかったのか間違っていたのかカムパネルラは自問自答していたが、「ほんとうにいいこと」をしたのだと確信し、母親もそのような考えであろうと自分に言い聞かせている。
【ぼうつと青白く後光の射した一つの島】
「白い十字架」が立っている島が見えてくる。すると乗客たちが皆「まつすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の數珠をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そつちに祈」りながら「ハルレヤ、ハルレヤ。」と口にする。
【十字架】
イエス・キリストが磔刑に処されたときの刑具と伝えられ、主要なキリスト教教派が、最も重要な宗教的象徴とするもの。
キリストの受難の象徴また死に対する勝利のしるし、さらには復活の象徴として捉えられた。
(ウィキペディアより)
銀河鉄道の乗客たちが、復活を願う“死者”であることを示唆している。
【プリオシン海岸】
「白鳥停車場」で下車した2人は、「プリオシン海岸」という海岸に足を運ぶ。
120万年前に海岸だった場所で、今は化石の発掘現場となっていた。
そこでは「ボス」と名付けられた「牛の祖先」の化石の発掘作業が行われていた。
「ボス」の墓場なのかもしれない。
【「鳥捕り」の言葉】
「この汽車は、じつさい、どこまででも行きますぜ。」
「どこまでも行」く、とはどういう意味か?
場所を指しているのか?、それとも、乗客たちの“これからの行く末”を指しているのか?
永遠に続く<時間の流れ>のことか?
【鳥捕り】
この世界(宇宙)の不思議な事柄を詳しく知っている。
瞬間移動の特殊能力を持つ。
「ジョバンニ」「カムパネルラ」の2人を「遠くから」来た者だと認識する。
おそらく、この死者の世界の住人。
【ジョバンニの切符】
車掌から乗車券の確認を求められたジョバンニは、困りながら上着のポケットに入っていた紙切れを車掌に渡す。
すると車掌は気を引き締めたような態度に変わり、「これは三次空間の方からお持ちになつたのですか。」とジョバンニに尋ねる。
「三次空間」とは何を表すものか?
<現世>?
特別に認められた存在だけが居ることができるどこか?
ジョバンニだけが与えられた特別な切符?ジョバンニが“特別な存在”であることを示唆?
ジョバンニの紙切れを見た「鳥捕り」の言葉。
「ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢやない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれあ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鐵道なんか、どこまででも行ける筈でさあ。」
「本当の天上」とは何を指しているか?「本当の天上」とは異なる「天上」も存在する?
現世における“天上のような世界”との区別か?
「天上」:信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所(キリスト教)
人間界の上にあり、最上の果報を受ける者が住む清浄な世界。(仏教)
ジョバンニの切符が相当な意味・力を持っていることを示している。
また、その切符を持っているジョバンニという人物が、この世界では稀有(けう)な存在であることも示唆している。
ジョバンニの厳しい境遇・背負ってきた苦難・それでも揺るがない優しい心、そういったものが切符を与えられた理由?
【「鳥捕り」への思い】
ジョバンニは当初「鳥捕り」のことを馴れ馴れしい厄介な人物と思っていた。
「僕はあの人が邪魔なやうな氣がしたんだ。」
しかし、その思いは変化して、人のいい素直で素朴で働き者で小心者、という愛すべき人物だったと思い直す。
ジョバンニは、「鳥捕り」のことをまるで自分のことを見ているような気がして嫌悪を感じていたのではないだろうか?と同時に、愛しさを感じたのだろう。
また、「鳥捕り」の卑屈でへりくだった態度に対して軽蔑の念を抱いたことを後悔しているのだろう。人を馬鹿にするという行為・思考は、ジョバンニが同級生や活版所の大人たちからさんざん受けてジョバンニの心を苦しめていたものだったから。
【黒い洋服をきちんと着た、せいの高い青年】
「わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい、あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこはいことはありません。わたくしたちは神さまに召されてゐるのです。」
「ぢき神さまのとこへ行きます。」
やはり、銀河鉄道とは、死者を運ぶ列車のようだ。
【青年と少年と少女】
「鷲の停車場」に「三つならんだ小さな青じろい三角標」が立っていた。
すると、青年・少年・少女の3人が姿を現す。
「三角標」は死者の印であり、死者が乗車する合図。
「うん、だけど僕、船に乘らなけあよかつたなあ。」(少年)
「そしてわたしたちの代りに、ボートへ乘れた人たちは、きつとみんな助けられて」(青年)
「船が氷山にぶつつかつて一ぺんに傾き、もう沈みかけました。」(青年)
青年は、少年と少女を助けようとしたが、他の子供たちを押しのけて犠牲にしてまで救命ボートに近付くことはできず、2人を抱いて海に沈んだのだった。
「そのとき俄かに大きな音がして私たちは水に落ち、もう渦に入つたと思ひながらしつかりこの人たちをだいてそれからぼうつとしたと思つたらもうここへ來てゐたのです。」
死んだ者が、気が付くと銀河鉄道に乗っている。
銀河鉄道とはそういうものなのだ。
ただし、死んだ者全てが乗るのかどうかは定かではない。
【灯台守の言葉】
「なにがしあはせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」
“幸せ”とは何か?という問題に対する答え。
つらい選択・悲しい結果となった選択をした「青年」への慰め・教え。
また、キリスト教的な幸福論が表されているのかもしれない。
【新たな三角標】
「川下の向う岸に青く茂つた大きな林が見え、その枝には熟してまつ赤に光る圓い實がいつぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立つて、森の中からはオーケストラベルやジロフオンにまじつて何とも云へずきれいな音いろが、とけるやうに浸みるやうに風につれて流れて來るのでした。」
死んだ音楽家たちが集まって演奏をしているのだろうか?
車内に乗客たちによる讃美歌が響く。
ジョバンニとカムパネルラも自分の意志ではなくいつのまにか歌い始める。
【少女】
「十二ばかりの眼の茶いろな、可愛らしい女の子」
無邪気で人懐こい。ジョバンニは苦手な様子。
あまりものを知らない。無知。ジョバンニは少女に対して軽蔑の念を抱いている様子。
ジョバンニは、「生意気」「あんな女の子」と思う。
カムパネルラが少女と「おもしろさうに話してゐる」のが気に入らない。
しかし、そんな自分が嫌で、「(どうして僕はこんなにかなしいのだらう。僕はもつとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。」と思う。
「(こんなしづかないいところで僕はどうしてもつと愉快になれないだらう。どうしてこんなにひとりさびしいのだらう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といつしよに汽車に乘つてゐながら、まるであんな女の子とばかり話してゐるんだもの。僕はほんたうにつらい。)」
【インデアン】
現在のデスバレー国立公園地域には、紀元前8000年頃からアメリカ先住民が居住していたことが知られている。(ウィキペディアより)
つまり、この作品にアメリカ大陸の名称や風景が出てくるのは、この「デスバレー」を描きたかったのだろう。「デスバレー」とは和訳すると「死の谷」である。銀河鉄道はまさに“死”を司る列車であり、死に向かう列車なのである。
【ジョバンニの気持ちの変化】
高い崖の上を走っていた汽車が谷底の川(天の川)を目指すように下り始めると、ジョバンニの気持ちが明るく変化を始める。
あれだけ不快に感じていた少女とも会話を始める。
「天の川」は人の気持ちを明るくする力を持っている?
【蝎(さそり)の火】
自己犠牲の精神の象徴。
自分のことだけを考えていた蝎は、死に際してひどく後悔する。
「どうしてわたしはわたしのからだを、だまつていたちに呉れてやらなかつたらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。」
【サウザンクロス】
「だけどあたしたち、もうここで降りなけあいけないのよ、ここ天上へ行くとこなんだから。」
この少女の言葉から、「サウザンクロス」が、死者たちが向かう場所であると理解できる。
「天上へなんか行かなくたつていいぢやないか。ぼくたちここで天上よりももつといいとこをこさへなけあいけないつて僕の先生が云つたよ。」(少年)
「だつてお母さんも行つてらつしやるし、それに神さまも仰つしやるんだわ。」(少女)
「そんな神さまうその神さまだい。」(少年)
「あなたの神さまうその神さまよ。」(少女)
少年は、死ぬことを受け入れられず生き続けることを望んでいる。
また、“神”とは何か?“神”とは何者か?という問を読者に投げかけている。
「汽車の中はもう半分以上も空いてしまひ」
多くの乗客が「サウザンクロス」で下車したことになる。
つまり、死の世界に渡っていったのである。
【「サウザンクロス」発車後】
「僕はもう、あのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまはない。」
「うん。僕だつてさうだ。」
ジョバンニとカムパネルラの心に自己犠牲の精神が宿る。
『「けれどもほんたうのさいはひは一體何だらう。」
ジヨバンニが云ひました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云ひました。』
ジョバンニとカムパネルラの2人は“幸福とは何か?”という問に考えを巡らせる。
「カムパネルラは俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指さして叫びました。『ああ、あすこの野原はなんてきれいだらう。みんな集つてるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あつ、あすこにゐるのはぼくのお母さんだよ。』」
そう言った後、カムパネルラは姿を消す。
カムパネルラが向かっていた死後の世界に到着したのだろう。
【黒い大きな帽子をかぶつた青白い顏の痩せた大人】
ジョバンニに語りかける。
「おまへはおまへの切符をしつかりもつておいで。そして一しんに勉強しなけあいけない。」
「おまへのともだちがどこかへ行つたのだらう。あのひとはね、ほんたうにこんや遠くへ行つたのだ。おまへはもうカムパネルラをさがしてもむだだ。」
「だからやつぱりおまへはさつき考へたやうに、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなと一しよに早くそこに行くがいい。」
カムパネルラが居る場所ではなく、「あらゆるひと」「みんな」と一緒に行く場所へ行くように伝える。
「カムパネルラ」=小義・小さな世界
「あらゆるひと」「みんな」=大義・大きな世界
また、歴史・地理・化学・信仰・神・等についてジョバンニに教える。
【ジョバンニの決意】
「ああマジエランの星雲だ。さあもうきつと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」
この決意をした後、遠くにある天の川と「まつすぐに草の丘に立つてゐる」自分に気付く。
現実世界に戻ってきたことを表す。
【セロのような声】
「お前はもう夢の鐵道の中でなしに本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまつすぐに歩いて行かなければいけない。」
銀河鉄道の世界が「夢」の世界であることを示す。
「本当の世界」=現実の世界
【切符】
ジョバンニは最後に、銀河鉄道の切符を再び手にする。
それは、死者が死の世界へ向かう夢の汽車の乗車券であり、親友のカムパネルラが暮らす「天上」の世界に通じるアイテムである。
「鳥捕り」が「本当の天上へさへ行ける切符だ。」と言っている。
ジョバンニは現実世界で「本当の幸福」を手に入れることによって、カムパネルラが暮らす「天上」の世界に行こうと決意する。いつの間にか上着のポケットに入っていたフリーパスの「切符」ではなく、カムパネルラと同じ資格としての切符を得たいと願っている。
【最後に】
「銀河鉄道の夜」という作品は、自己犠牲の精神・他人を思い愛する気持ち・死生観・幸福論・学問の大切さ・友情・家族愛・信仰とは?神とは?、といった「宮沢賢治」の様々な思想・思考がつまった作品だと言える。
そして何より、“宇宙というものに対する思い”。それは“憧れ”のようなものなのだろう。
ジョバンニの現世での苦しみ・苦難が“死”によって救われるのではなく、逆によりよく生きようとする“生への強い思い”を抱くことで自らが救われることを望もうとする姿勢を賢治は描いている。
“死”を美化しているかのようにも“死”への賛歌のようにも見えるこの作品は、本当は“生への執着”“よりよく生きようと願う精神”を訴えている。
「ジョバンニに幸あらんことを!」と心から願うのである。
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