太宰治の代表作である小説のタイトル「人間失格」。

 

この「人間失格」という言葉は、主人公「大庭葉蔵」が麻薬中毒者になって精神病院に入れられてしまうことになった時に、他者から自分に押された烙印として感じた言葉だ。

 

そういった物語の背景もあって、「人間失格」という言葉はネガティブな意味でとらえられてきた。

 

「落伍者」とか「廃人」とか「ダメ人間」みたいに。

 

しかし、小説「人間失格」を読むと、そうではないことがわかる。

 

「人間失格」という言葉は逆に圧倒的に肯定的な言葉なのだ。

 

小説のラスト、主人公「大庭葉蔵」をよく知るバーのマダムが彼のことをこう振り返ります。

 

 

「…だめね、人間も、ああなっては、もうだめね」

 

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気が聞いて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、…神様みたいないい子でした」

 

 

そう、「大庭葉蔵」は「落伍者」ではなく「神様みたいないい子」なのである。

 

人間失格 = 神様みたいないい子

 

つまり、人間らしい人間こそ醜く否定されるべき存在であると言っているのだ。

 

 

太宰治は作品で常に“自己弁護”を繰り返している。

 

自分は誤解されている。

本当の自分はこうだ。

こんな風に見てもらいたい、見られたい。

今の自分は本当の自分ではない。

 

その自己弁護の集大成が「人間失格」だと思う。

 

「神様みたいないい子」と思われたかった太宰治。

 

それは津軽の大地主の家の子という出自によって形成された“甘え”や、“精神の幼さ”もあるだろうが、他人から愛されたかった孤独な男の切実な願い・祈りでもあるのではないだろうか。