岐阜県岐阜市にある標高329mの金華山、旧名を稲葉山(いなばやま)と言いました。
金華山の頂上辺りに岐阜城があります。
織田信長は1567年(永禄10年)9月 、稲葉山城下に進攻。
(稲葉山城の戦い)
敗れた城主斎藤龍興(16歳)は長良川を舟で下り、伊勢長島へ落ちました。
斎藤龍興は後述の鷲見氏と関連がありますが、永くて複雑な物語になりますので割愛します。
岐阜城は、別名稲葉山城と呼ばれました。
1201年(建仁元年)に二階堂行政が築城したものです。
織田信長以前の城主は二階堂氏、美濃斎藤氏です。
この由緒ある城も1601年(慶長6年)に 徳川家康が廃城を決め、無くなってしまいました。
代わりに奥平信昌へ10万石を与えて加納城を築城させたのです。
家康が岐阜城を捨てたのは山城だったからと伝えられていますが、実は信長が天下取りの志を込めて命名した「岐阜」という地名と「岐阜城」と言う名を、嫌った為だと資料に記されてありました。
岐阜の岐は中国の故事にならい鳳凰が降りた山「岐山」、阜は孔子が生まれた山「曲阜」から採ったといわれています。
日本の県名の由来が中国にある唯一の例です。
博識織田信長の凄さを垣間見る想いですね。
家康にとって岐阜の名は、徳川氏に代わる天下人の出現を髣髴とさせるものがあったのでしょうか
現在の岐阜城は1956年(昭和31年)7月に再現した鉄筋コンクリート造りです。
では、金華山をロープウェイで下って国道256号線に出、長良橋通りを南下しましょう。
続きます。
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