13年ですね。
こぐ、あの日御茶ノ水から歩いて帰ったのでした。
何万人もの人が第一京浜を西に向かって歩いてましたよ。
家に着いたのは午前2時過ぎだったなぁ。
上の小僧は高校生、下の小僧は中学生、同居人も含めて家族も、
実家も無事だったのがわかったので、気が楽ではありましたが。
某放送協会に務める弟は福島でのど自慢のロケ中だったんですが、
急遽打ち切り盛岡支局に帰ろうとしたものの、当日中には仙台までしかたどり着けず、
翌日土曜日にやっと盛岡に戻れたものの、そのまま寝袋持って沿岸へ。
それから2週間、地獄絵図を見たそうです。
津波に襲われ木に引っかかった人をカラスが啄んでるとメッセージありました。
彼は、あの日のことが忘れられず、東北に骨を埋める覚悟をしたようです。
今朝の新聞にもありましたが、原発が万が一の際には車で逃げよという指針、
事起こった際に、ホントに車で逃げられる状況なんでしょうか。
あの日、東京、神奈川でさえ、車が動かない状況だったのに。
大地震は必ずやってきます。
家はどうでもいいから、同居人には怪獣だけ連れて逃げてくれと行ってます。
地震が来る頃には、怪獣が同居人を連れて逃げるようになってるかな? (^ー^* )フフ
備えよ常に。
