冬の近さは誰にでもわかってる♪ | こぐーの我楽多日記

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雨にも負けて、風にも負ける。東に行って迷走し、西に戻って混乱する。ヽ(´Д`;)ノアゥア...

立冬だそうで。しかししか~し神戸は夏日なのであった。今朝はちょっと涼しいけど。

秋を探しに出たけれど、秋は何処にも見つからず、

小春日和というけれど、小春日和どころか小夏日和の今日この頃。

 

あ、HEATHさんが亡くなったそうな、RIP。

酔いどれがやけ酒飲んでそうだ。まああれも日本縦断酒飲み音頭と一緒で、

何があっても結局飲んでるのだが。

 

さてさて、鬼の山を下ってきまして、備中高松城に参りました。

水攻めの御城ですね。今でもそのときに築かれた堤の跡が残ってます。

 

二の丸から本丸を望んだ景色ですが、まっ平でしょ。

左の方のは蓮です。つまり、ここらあたり湿地の平地だったわけですね。

そりゃ水攻めされるわな。

この蓮、土を掘り起こして沼を再現しようとしたら、400年前?の種が復活して花を咲かせたそうで、

宗治蓮と呼ばれてるそうです。なんで宗治かっていうと、

 

このお城の御殿様が、清水宗治さんだったんですねぇ。

秀吉の大群に囲まれて、すぐそばには毛利の大群も助けに来てたんですが手が出せない。

ついに、城内全員の命と引き換えに自刃することを決めたんですね。

 

小早川隆景は、この殿さまを惜しみ、領地割譲はさておき命はといったそうです。

小早川さんってのは、毛利の三本の矢で有名な三男ですね。

長男が早く亡くなったので、次男の吉川元春と共に、甥の毛利輝元を助け、

毛利の両川と呼ばれた人です。

秀吉の甥を養子にして(秀吉は毛利本家に送り込もうとしていた)、

本家を秀吉から守ったといわれています。

後年五大老の一人になり、三原城に居住してましたよ。

いやいや、小早川さんの話じゃないのであった。

 

清水さんは大群の囲む中、水に浮かんだお城から船で秀吉の本陣の前に進み、

そこで腹を切ったそうです。

浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の苔に残して(辞世の句)

 

その場所が、このお城の前の、今お寺のある場所だといわれてます。

 

お寺の境内にある、清水さん自刃の地:お墓です。

んが、ここには遺骸は埋められてないんだそうな?

んじゃどこに?ってことになると、

 

本丸に、首塚があります。

秀吉は後年にしばしば見せた残虐さを示すこともなく、城兵を労い、

首も懇ろに弔ったそうです。

(自刃の前夜にも、酒肴を送り暇の時間を与えたといいます)

 

そしてそして、城の北側に、

 

胴塚があります。

清水さんは、首のない体を舟で城内に戻ったそうですが、

これを城内一同が悲しみ哀れみ、この地に埋めたんだそうです。

穴を掘った人は、そのまま自ら首を切って遺骸の上に倒れこみ殉死したとか。

 

境内の自刃の地のすぐ目の前に、ごうやぶ遺跡と呼ばれる古い塚があります。

これは清水さんを慕い、あとを追った武士たちの塚だそうです。

 

ということで、いまいち秋らしい気配を感じることもなく、神戸に戻ってきました。

ん~、やばいぞ地球。やばいぞ人類。

 

今日は夕方からノルウェイ大使館の人たちと個人的にお食事なのでございます。

サーモン食うか?≧∇≦ブハハハハハ