先日の話ではないですが、知人の画像を見て、
あ~やっぱり、残された者?残った者の務めは大事かもしれないなと。
思いを馳せることで、その人は生き続けるよねと。
先日読んだ小説に書いてありましたが、人は二度死ぬのだそうです。
一度目は肉体が終わりを迎えたとき、二度目は人々の記憶から消えたとき。
亡くなった著名な放送作家も同じことをいってましたね。
彼はまだみんなの記憶の中に生きているのでしょう。
そうしてみると、記憶ってせいぜい祖父母くらいまでだから、
3代下るともう二度目の死を迎えることになりますね。
明日から会議が行われる街も、
二度目を迎えることを防ぐために、人々の記憶から消えることを恐れるが故に、
活動を続けているのかもしれません。
残された者の務めは大事ですが、残された者の安寧もまた大事かもしれません。
思いを寄せることで、自らの心の平穏を覚えることができるともいえます。
そういう意味では、例えば孫に対して、きっちり逝って見せることは重要なのかも。
どこでいつ亡くなったのかわからないときは、どうしても偏った思いになるでしょうから。
人生折り返して後半に入ってから、また屈託ない振舞いをする怪獣を見ていて、
時折ふとそういうことを考えるようになりました。
さてさて、昨日予定をあ~だこ~だと書きましたが、
30と31も船に行くことになりそうです。
舞鶴って遠いかと思ったら、三宮からバスで行けるんですね。便利便利。
今日は、次回の業界勉強会の幹事になったんで、
議題案を考えて関連先に打診しなきゃいけないなぁ。
ま、アドリブで何とでもできるけど。≧∇≦ブハハハハハ
