ご先祖様のおはなし | こぐーの我楽多日記

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雨にも負けて、風にも負ける。東に行って迷走し、西に戻って混乱する。ヽ(´Д`;)ノアゥア...

どっかのお寺の掲示板みたいな。(((*≧艸≦)ププ 

大河も始まったことですし、ちょこっとご先祖様のお話でも。

 

こぐ一族は、いま横浜の南のほうに固まってますが、

昔々はもうちょっと関東の北のほうにいたそうです。

今からおよそ1000年ほど前、桓武平氏の流れ、関東八平氏の一つ、秩父氏というのが遠い先祖になります。

将門の女系子孫にもなるみたいですね。

秩父氏の同族には、畠山重忠で有名な畠山氏、渋谷氏などがいます。

 

この秩父氏が江戸城のあたりに城を構え、江戸氏を名乗るようになりました。

後年、太田道灌に城を譲り、世田谷に移り、この地の地名、コグ氏を名乗るようになりました。

 

ちょっと先日行ってきたんですけど、このお寺が江戸・コグ氏の菩提寺で、

昔ここに、コグ城?コグ陣屋という館がありました。

 

コグ氏は、徳川将軍によって引き立てられ、コグ藩となりました。

東京23区内にあった唯一の藩だそうです。

 

この山門の石畳は当時の藩庁の階段だそうですが、なんかそんなに古いものに見えなかったんですが・・。

コグ藩は、犬公方綱吉の時代に、同族の刃傷事件(浅野内匠頭の話みたいに)で、

連座責任を取らされ改易され、この地を離れることになりました。

 

その時、となりの世田谷城主で仲の良かった吉良様が、

それじゃ、うちへおいでよ、というので、吉良様の別荘?もう一つ持ってるお城のそばに引っ越しました。

そのお城、舞田城跡は横浜の丘の上にあるんですが、いまは女学校になってます。

(吉良氏は足方氏の支族で名門ゆえに高家となりました。南北朝時代に西条吉良と東条吉良に分かれ、

有名な吉良上野介はこの西条吉良(本家筋ということになってるようです)の末裔です。

世田谷城の吉良様は東条吉良だったそうです)

 

さて、その舞田のそばに引っ越した頃に、身を慎むという意味なのでしょうか、

コグ氏から、こぐ氏へと字を代えたようです。家紋も、各家にあった裏家紋に代えたようで、

もともと江戸氏は三つ巴紋、コグ氏は亀甲紋だったんですが、てんでんばらばらになり、

いまのこぐ家の系列は鶴丸紋となっています。JALのマークみたいなやつですね。

 

さて、その陣屋の跡は、江戸・コグ氏の菩提寺になってるわけですが、

引っ越すときにお墓は持って行かなかったんですね。

いまだにご先祖様はここで眠っています。

 

古めかしい墓石と、眷属の墓石が並んでいます。

周りは普通の墓地ですので、場所がわかりにくかったんですが、

たまたま庵主さんかな?お掃除をされてたので、

江戸氏のお墓はどこですか?って聞いたら、こちらですって教えてもらいました。

横浜から参りましたっていったら、もしかしたら〇〇からですか?って町名をいわれたのでびっくり。

時々、末裔ですっていう人が来るんだそうです。へぇ~。

 

お寺の隣に氷川神社があります。

鳥居のそばにある由緒書きに、コグ氏が鳥居を寄進したなんて書いてありました。

 

この神社のあたりまでの全域が、藩庁だったようですね。

 

それにしても、今でも交通が不便ですが、当時はもっと不便だったと思いますよ、ホント。

そういえば、江戸氏の墓石に供えられていた卒塔婆には、

コグ氏ではなく、こぐ氏って書かれてました。字を代えたことをお寺の方はご存じなんですね。

こぐ氏の一部は、もっと北に行き、松前藩に仕えた人もいたそうです。

 

とまあ、いろいろすごい人がいたのね?

どうでもいいけど、たま~にある一族会議とかもうやめてくれないかね?

って思ってる不詳の末裔の今日この頃でございます。≧∇≦ブハハハハハ